三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

三億円事件の場所の特定bb10

2021-06-30 03:44:14 | 日記
前日、つまり、1968年11月26日(火)、三億円事件犯人は、日野市多摩平団地近く、豊田駅北口で、クルマシートを窃盗している。おそらく、クルマシートを窃盗したときは、使用する盗難車を替える時であろうと推測される。たとえば、サニーからスカイライン1500という具合である。とすると、もし、分梅町で、現金輸送車に見立てたクルマも参加して、訓練をしていたとして、そのクルマは、サニーなのだろうか、それとも、スカイライン1500なのだろうか。あり得るとすれば、ありふれた大衆車である、サニーではないかと思える。目撃されたとしても、すぐに、遺棄してしまうクルマなので、リスクは小さいというわけだ。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定bb9

2021-06-29 03:28:53 | 日記
1968年11月下旬というと、もう一つ、小金井市本町住宅団地への車両の投棄がある。分梅町で訓練をしていたとすれば、ちょうど、同じ時期となるわけだ。ただ、重なったとしても、とくに、問題はないだろうけど。あるいは、たまたまだとすれば、三億円事件が、いよいよ、具体的となり、訓練をし、かつ、手元にあると危険な、盗難車を遺棄した、ということだろうか。もう一つあるとすれば、分梅町も、小金井市本町住宅団地も、それぞれ、それほど、遠くないというところだ。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定bb8

2021-06-28 03:16:57 | 日記
三億円事件犯人が、分梅町で目撃されたのは、1968年11月下旬だったのだが、あるいは、その前や、それ以降も、出没していたのかもしれない。たまたま、目撃されたのが、11月下旬だったのかもしれない。とはいえ、やはり、1968年11月27日(水)、11月28日(木)の2日間に、目撃例が集中しているということも、無視はできないように思える。訓練していたにしても、やはり、11月27日(水)、11月28日(木)は、特別だったということかもしれない。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定bb7

2021-06-27 03:47:28 | 日記
このあたり、府中に対し、西側にあるので、西府というのだろうか。三億円事件犯人は、おそらく、関戸橋から分倍通りを通り、そのまま、東へ伸びる、鎌倉街道に入り、府中へ、向かっていたと思われる。逆に、府中から、関戸橋へも、向かっていたことだろう。関戸橋を渡ると、その先には、北野街道がある。北野街道を西へ進めば、偽白バイ用の大型バイクを窃盗した、平山団地、そして、クルマシートを窃盗した、豊田駅北口、多摩平団地もある。つまり、三億円事件犯人は、多摩川を渡るには、関戸橋、または、西側の多摩大橋を使っていたわけだ。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定bb6

2021-06-26 03:00:52 | 日記
関戸橋から北に伸びる、鎌倉街道、甲州街道までは、1977年に開通したわけだが、さらに、その先、順次、開通していっているものの、今に至るも、全通はしていない。いまだ、高度成長期と変わっていない地域も、多いのだろうな。それはそれとして、三億円事件当時、分梅町は、あきらかに、府中と直通していたようだ。あるいは、関戸橋から府中へ向かう場合、その途中、というところだろうか。
(2013年12月記)

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