三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

三億円事件の場所の特定bg12

2021-08-31 03:27:41 | 日記
1955年、高度成長期が始まる頃に東府中駅から分岐する京王競馬場線が開通した。これで、東京競馬場正門近くの府中競馬場正門前駅まで、電車で行けるようになったので、東府中駅で下車して歩かなくてもよくなった。東府中駅は、東京競馬場のための駅ではなくなったのである。地元のための駅となったのだ。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定bg11

2021-08-30 03:08:42 | 日記
東府中駅についてだが、京王線開通当初から、駅はあったようだ。ただ、駅の場所は、もっと西側、駅名は八幡前駅。八幡神社のための駅だったのだろう。その後、昭和になり、南側に東京競馬場が開設。それにあわせて、今の場所に臨時競馬場前駅が開業。しばらくすると、八幡前駅はなくなり、今の場所の臨時競馬場前駅は東府中駅になったらしい。つまり、東府中駅は府中の東側の駅ではあるのだが、もう一つ、東京競馬場のための駅でもあるのだ。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定bg10

2021-08-29 03:04:08 | 日記
第四回多磨農協脅迫事件はどういう場所なのだろうか。最寄駅は、京王線東府中駅ということになる。あとは、東府中駅の北側に旧甲州街道と甲州街道がある。旧甲州街道を東へ向かえば、第三回多磨農協脅迫事件の現場となった、綿新商店がある。また、新しい甲州街道が開通した最後の区間は、東府中駅あたりからである。それ以前は、新しい甲州街道は、東府中駅の北側で旧甲州街道と合流していた。三億円事件の7年前、1961年に新しい甲州街道は開通している。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定bg9

2021-08-28 03:43:25 | 日記
第三回多磨農協脅迫事件を報じた、同日、毎日新聞夕刊(おそらく大手新聞では唯一の記事)では、「ゴミ収集箱」となっている。もちろん、「緑の箱」という言葉が、当時、府中市以外では通用しない、府中市内だけのダストボックスの固有名詞だからである。もう一度、府中市のダストボックス「緑の箱」について記しておく。1967年3月15日発行、「広報ふちゅう」から、「この箱には、利用者の名前が記入されていますので、注意事項どおりにゴミを捨てていただきます」とあり、さらに、実物の写真も、載っていて、「緑の箱」の、正面から見て右側面に、書類(名札)を、差し込めるような、突起、が付いていた。ただ、これは初期型であり、配備され始めた頃には、突起のない、普及型ダストボックスということになる。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定bg8

2021-08-27 03:25:06 | 日記
第三回多磨農協脅迫事件では、脅迫状が置かれたのは、旧甲州街道沿いの綿新商店近くのダストボックスである。そして、一橋本、79頁によると、「綿新さんですね。お宅の前にある緑の箱の横に名札をかけるところがありますが、その箱と名札入れの間に手紙が入っています。その手紙を多磨農協に届けて下さい。さもないと、お宅に迷惑がかかりますよ」という強迫電話である。ただし、脅迫状はダストボックスの下に置かれていた。第四回多磨農協脅迫事件では、東府中駅から南へ伸びる通り沿いのダストボックスの下に脅迫状が置かれていた。一橋本、79頁によると、「お宅の前に緑の箱があるでしょう。その下に手紙が置いてあるから、至急、日東ハイヤーで、多磨農協に届けて下さい」という強迫電話である。なお、「緑の箱」というのは、当時からの、府中市での、ダストボックスの固有名詞である。
(2013年12月記)

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