三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

砂利採取 その後(4)

2017-04-30 04:20:53 | 日記
同年、もう一つ、多摩川にとって、画期となる、法改正がある。
河川法の改正、ということだ。
それ以前の河川法では、河川敷について、占有しているか、否かを、地方自体が管理する。占有しない限りにおいて、河川敷に、住んでもいい、ということになる。
ところが、1964年改正された、河川法では、河川敷の利用、用途を、国が、管理する、ということに、変更になった。
つまり、占有しないからといって、河川敷に、家を建てたりすることは、もはや、できなくなったのだ。
その後、終戦以来の、河川敷に広がっていた、住居は、次々、撤去されていくこととなる。
撤去された跡は、公園、グラウンド、駐車場、堤防へと、変わっていく。
(2013年9月記)

砂利採取 その後(3)

2017-04-30 04:19:32 | 日記
砂利採取の限界を、予兆するかのように、かつての、砂利輸送鉄道は、旅客化され、砂利輸送は、ダンプに、置き換わっていく。
江戸時代、多摩川の川筋の固定化と、用水の開削による、開拓で、作られた、広大な田園。
そのような、田園風景の中、巨大な、砂利採掘跡の、凹地が、あちこちに、出現するようになる。
ということで、河口から、徐々に、砂利採掘は、禁止されていくこととなる。
最終的に、1964年9月、多摩川区域内での、砂利採取は、全面的に、禁止され、多摩川での砂利採取は、幕を下ろす。
(2013年9月記)

砂利採取 その後(2)

2017-04-29 04:26:42 | 日記
高度成長期に入り、都心、郊外、建設が、急増していく。
川砂利は、コンクリートの素材になるので、川砂利の需要も、それに応じて、急増していく。
都心、郊外に近い、多摩川でも、砂利採取は、盛んとなる。
しかも、行く当てを失った、多数の朝鮮半島に本籍地のある者が、安価な労働力として、河川敷にいる。
砂利採掘が活発になり、河原での、砂利が、枯渇すると、今度は、近くでも、砂利採取が、始まる。
多摩川は、川筋が、何度も、変わっているので、川の近くでも、かつての、川筋であれば、地下に、砂利が、堆積しているのだ。
こうして、多摩川の岸辺近くには、各所、巨大な凹地、砂利穴が、できていくこととなる。
(2013年9月記)

砂利採取 その後(1)

2017-04-29 04:24:54 | 日記
多摩川は、大正時代から、本格的に、砂利の採取が、始まっている。
とすると、戦後、多摩川河川敷に、住むようになった、朝鮮半島に本籍地のある者の生業も、砂利採取、ということになる。
下流域は、すでに、砂利が枯渇してきていたので、必ずしも、そうだったわけではないが。
ただ、まだ、砂利採取が可能だった、中流域から上流にかけては、多かっただろう。
(2013年9月記)

軍都多摩 その後(12)

2017-04-28 03:33:11 | 日記
推定で、100万人以上いたであろうと思われる、朝鮮半島に本籍地のある者、どうなったのだろう。
その後の、居住地の分布から、推測するしかない。
居住地は、東京、埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、京都、兵庫、福岡、これらの、大都市圏で、85%以上を、占める。
居住地の国籍も、戸籍もなければ、都市部に住むしかないだろう。
都市部の中でも、繁華街、そして、河川敷ということになる。
河川敷は、当時の、河川法によれば、占有しない限りにおいて、その利用に関して、とくに、規制は、受けないのだ。
ということで、都市部の河川敷、朝鮮半島に本籍地のある者の、宅地になっていく。
多摩川流域も、その例に漏れない。
多摩川の河川敷、朝鮮半島に本籍地のある者の宅地が、並ぶことになる。
(2013年9月記)