三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

トラメガ、スカイライン1500の窃盗現場詳細図(3)

2016-12-31 04:31:32 | 日記
また、スカイライン1500の窃盗が、未明から早朝、トラメガの窃盗は、0時から5時。
このような時間帯であれば、鉄道は、動いていず、駅も、閉まっている。
もっとも、盗難している時間帯に、鉄道が動いていようが、関係ないのかもしれないけど。
ただ、クルマは、そのまま、盗難した、クルマで、帰ればいいが、トラメガの場合も、やはり、結局、クルマに、載せて、帰ったと思える。
あるいは、下見の場合は、ともかくとして、クルマの盗難を見送った場合、どうなるのだろう。
帰れなくなってしまう。
(2013年9月記)

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トラメガ、スカイライン1500の窃盗現場詳細図(2)

2016-12-31 04:30:00 | 日記
三億円事件当時、小川駅東口、どうなっていたのだろう。
今もそうだが、府中街道を挟んで、ブリヂストン東京工場の敷地が、広がっていたわけだが。
ただ、工場内に、社宅を完備してあったとすれば、ブリヂストン東京工場への、通勤客、というのは、考えにくい。
とすれば、小川駅の東口、完成が遅れたのも、当然と、思える。
そもそも、今でも、それほど、乗客が、多いとは思えない。
(2013年9月記)

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トラメガ、スカイライン1500の窃盗現場詳細図(1)

2016-12-30 05:14:23 | 日記
ということで、再び、トラメガ、スカイライン1500の窃盗現場である。
三億円事件犯人、どういうルートで、これらの現場に、現れたのだろうか。
西武国分寺線小川駅からだろうか。
もともと、小川駅東側一帯は、戦前、陸軍兵器補給所小平分廠の敷地だったことから、駅東口自体が、なかったようだ。
三億円事件当時も、東口が、なかった可能性もある。
完成した時期は、おそらく、三億円事件の翌年、1964年7月。橋上駅舎になった頃。
(2013年9月記)

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完成当初のひばりが丘団地上下水道(2)

2016-12-30 05:09:29 | 日記
汚水処理場から、団地北側を、下水管、西へ伸びているなら、最初から、北西側に、汚水処理場を作れば、よかったのかもしれない。そうしなかったのは、おそらく、市の下水道、および、汚水処理場が、団地東側から、南へかけて、配置される予定だったからだろう。
結局、それは、完成しなかったようだが。
ところで、では、ひばりが丘団地の上下水道、いつ、広域下水道に変わったのだろうか。
上水については、1967年10月1日。下水については、1981年頃。
いずれも、一度に変わったわけではなく、区域ごと、徐々に、あらかじめ、変わったはずだ。
また、下水道に関しては、すでに、市主導の下水道工事が、1968年12月から、ひばりが丘団地の南側、所沢街道で、始まっている。
(2013年9月記)

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完成当初のひばりが丘団地上下水道(1)

2016-12-29 04:08:43 | 日記
ひばりが丘団地が完成した当初、今あるような、広域の、上下水道は、存在していなかった。
とすると、団地内で、上下水道を、併設していなければならない。
水源地は、団地北東側、汚水処理場も北東側。ひょっとすると、汚水処理場のすぐ南側に、水源があったのかもしれない。
汚水処理場で処理した排水は、下水管で、西側へ。
立野川に、流していたようだ。
(2013年9月記)

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