三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

狛江古墳群について(4)

2017-01-31 03:42:21 | 日記
一般的に、古墳は、以下のように、分類されるものらしい。
前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳。また、大きさでも、分類される。
この形状の、違いは、なにを意味するのだろうか。
当時の治世下における、ランクに対応している、ということだ。
つまり、前方後円墳が、最高ランクであり、方墳が、もっとも、下のランク。
また、大きさも、ランクに応じている。
(2013年9月記)

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狛江古墳群について(3)

2017-01-31 03:40:51 | 日記
このことは、なにを、意味するのだろうか。
つまり、たとえば、狛江古墳群が、あったとして、そこに、相応の、勢力が、存在していたとしよう。
ならば、その勢力は、当時の治世のもと、認識された存在だった、ということだ。
独立した勢力だったり、あるいは、在地の勢力だったり、ということは、まず、ないはず。
(2013年9月記)

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狛江古墳群について(2)

2017-01-30 03:48:38 | 日記
ただ、古墳が多い、ということが、つまり、相応の勢力が存在した、ということと、正確に、対応するわけではない。
正確に記せば、当時の治世のもと、認識された勢力として、相応の勢力が、存在した、ということだ。
つまり、当時の治世の外にいるとすれば、そもそも、古墳を築くことはない。古墳を築かなくとも、それなりの、勢力だった可能性も、あり得る。
もっとも、可能性としては、低いと思えるけど。
(2013年9月記)

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狛江古墳群について(1)

2017-01-30 03:47:39 | 日記
狛江古墳群、ということで、狛江は、古墳が多い、ということになっている。
実際、かなり、多い。
ということは、古墳、自然にできるわけではないので、古墳を築いた、それなりの、勢力、この地に、あった、ということになる。
どんな勢力なのだろうか。
(2013年9月記)

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中和泉四丁目 玉川万葉歌碑

2017-01-27 03:51:04 | 日記
北へ歩いていくと、しばらくして、通りの東側には、万葉歌碑。
多摩川に さらす手作り さらさらに 何そ この子の ここだ 愛しき
多摩川に、麻布を「さらす」の「さら」が、「さらにさらに」という言葉を、導き出している、ということか。
そして、さらにさらに「愛しい」のだ。
麻布は、そのままでは、硬いので、砧で、叩き、多摩川にさらして、柔らかくしたらしい。
そうして、作られた麻布、一部は、税として、物納されたようだ。
「調布」ということである。
調布は、地名にもなっている。
などと、考えているうちに、北へ伸びる、根川さくら通り。
さらに、西へ、向かう。
(2013年9月記)

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