三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

三億円事件の場所の特定ak2

2020-11-30 03:04:48 | 日記
では、「ツタ建材」というのは、どういうものだったのだろうか。当時の電話帳にも載っていず、当時の地図でも見付かってはいない。ただ、当時の電話帳にすべての店舗が載っているわけでもなく、電話すらないという場合も少なくはない。もし、「ツタ建材」があったとすれば、おそらく、三叉路から、多摩川競艇場へ向かう通り沿いにあったと思われる。三叉路に目印の立て看板を付けて置いたとしても、自然ではある。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定ak1

2020-11-29 03:19:16 | 日記
上記のことを踏まえれば、一橋本、92頁、「小柳町の一本松を書かずに、わざわざ松の下にあった蔦建材の立て看板を描くなど、犯人が地元の住人ではなく(以下、略)」という記述は明らかに間違っていることが判る。まず、一本松ではなく、「お助け松」である。一本松という固有名詞の松は存在しない。また、三億円事件当時、この「お助け松」は、相当に傷んでおり、目立つような樹木ではなくなっていた可能性が極めて高い。したがって、三億円事件犯人が、その松ではなく、松の下の「蔦建材」の立て看板を道標として、地図に描き入れたとしても、不自然ではないのである。むしろ、主だった唯一の三叉路の目印として、描いたとすれば、自然なことだ。とすると、「(三億円事件犯人は)地元の住人ではない」という指摘は、まったく当たらない、ということになる。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定aj12

2020-11-28 03:08:46 | 日記
二代目「お助け松」や、三代目「お助け松」が、どの程度の松の木だったのかは、判らないが、枯れてしまったのは、周囲での大規模な砂利採掘やその跡にできた、巨大な穴が関係していたようにも思える。とりあえず、三億円事件当時、二代目「お助け松」は、そうとう傷んでいて、枯れていた可能性が高いのだ。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定aj11

2020-11-27 02:53:01 | 日記
二代目「お助け松」が枯れてしまった後、三代目「お助け松」は、六中通りを挟んで東側、小柳公園の入口に、植えられていたということだ。ただ、こちらも、結局、枯れてしまい、今は、松の木、なくなってしまっている。「ツタ建材」の立て看板、この二代目「お助け松」に、立てかけられていた(掲示されていた)わけだ。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定aj10

2020-11-26 02:57:07 | 日記
おそらく、三億円事件当時の「お助け松」は、二代目と思われる。江戸時代からあったわけではない。最初の松の木、すでに、枯れて、二代目となっていたはずである。「府中市の老樹・名木」22頁には、三億円事件当時の二代目「お助け松」の写真も載っている。写真を見たかぎりだと、とても、巨木、という感じはしない。しかも、そうとうに、傷んでいるように見える。実際、二代目「お助け松」は、しばらくして、枯れてしまったそうだ。
(2013年12月記)

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