三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

三億円事件の場所の特定eu10

2024-09-30 02:32:47 | 日記
三億円事件当時の地図を見ると、いまともっとも違うのは、やはり、本宿トンネルが完成していず、その手前で、行き止まりになっていたことだろう。つまり、交通の流れは、関戸橋、鎌倉街道、中央自動車道高架のかなり手前で、北東方向へ、分梅通り、分梅駐在所交差点で東へ曲がり、そのまま、府中へ。三億円事件の9年後、1977年、本宿トンネルが開通し、関戸橋から甲州街道まで結ばれ、それ以降、関戸橋、本宿トンネル、甲州街道が主要な交通の流れとなる。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定eu9

2024-09-29 02:23:15 | 日記
偽白バイ隊員としての、一連の動作を、様になる程度、身に着けるとしても、ある程度、訓練は、必要だったに違いない。もっとも、そのようなことなら、どこか、目につかないような場所でやればいいし、すでに、少しは、やっていたかもしれない。ただ、現金輸送車との兼ね合い、あるいは、三億円事件現場の地勢等、考慮した場合、やはり、都合のいい場所は、分梅町ということだろう。だが、多摩地域には、戦前、軍都だったためか、広大な敷地を持つ工場は、多いように思える。そのことが、都合のよい練習地として、分梅町を、特に、選ぶ理由とは考えられない。そのような場所の中、三億円事件犯人、なぜ、分梅町を、選んだのだろう。選んだのではなく、なぜ、分梅町しか、思い付かなかったのだろう。そう考えた方がいいかもしれない。考えられるとすれば、分梅町に、ある程度、土地勘があったからだろう。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定eu8

2024-09-28 02:16:19 | 日記
西側に広大な工場、東側、工場に沿う南北に伸びる通り。分梅町の景観だが、これは、そのまま、三億円事件の舞台と通じるような気もする。三億円事件の舞台も、西側に東芝府中の広大な工場敷地、東側には、南北に伸びる府中街道。さらに、東側、南北に伸びる国分寺街道は、分梅町では、分梅通りが当てはまるのだろうか。ひょっとすると、11月27日(水)から、予行練習をやっていたのかもしれない。とすると、あるいは、現金輸送車の代わりも、用意されていたのかも。つまり、犯行を2週間後に控え、入念に、訓練していたのかもしれない。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定eu7

2024-09-27 02:34:44 | 日記
分梅町、ぐるぐると、偽白バイ用の大型バイク、乗り回していたわけだが、練習していたのだろうか。それもあるだろう。白バイ隊員に扮するわけであるから、それなりに、大型バイクの運転に習熟している必要はある。また、運転だけではなく、白バイ隊員としての、動作も、様になる程度、身につける必要はあるかもしれない。もっとも、それなら、もっと、人通りのない場所でやってもよかったように思える。現に、出勤する日本電気社員に目撃されているわけであり、むしろ、避けるべきだったのではないだろうか。それにも関わらず、分梅町を、ぐるぐると、周回していたのだ。三億円事件犯人、いったい、何をやっていたのだろう。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定eu6

2024-09-26 02:29:36 | 日記
交通量、人通りがあまりなかったにもかかわらず、いくつかの目撃例があったということは、通常以上に、偽白バイ用の大型バイク、走行していたということかもしれない。たとえば、11月27日(水)、朝8時に、鎌倉街道と中央自動車高架が交差する地点で目撃されたわけだが、同日、11時、その場所から、さほど、遠くない、分倍駐在所交差点で、事故を起こしている。たんに、走行しただけで、3時間もかかるわけはない。おそらく、このあたり、何度も、周回していたのではないだろうか。だからこそ、交通量、人通りがなかったにもかかわらず、目撃情報があったと思える。
(2013年12月記)

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