三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

三億円事件の場所の特定be5

2021-07-31 03:18:19 | 日記
第三回多磨農協脅迫事件の後になって、脅迫電話を掛けた人物は、脅迫状を置いた人物に、報告を受け、第四回多磨農協脅迫事件では、脅迫状の置いてある場所を、はじめから、ダストボックスの下にしたのだろう。そこには、府中市内における、書類(名札)入れのある初期型ダストボックスから、書類(名札)入れの無い普及型ダストボックスへの移行が背景にあるのだ。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定be4

2021-07-30 04:04:12 | 日記
どうしてそうなったのだろう。おそらく、脅迫電話を掛けた人物と、実際に、脅迫状を置いた人物とは違うということだろう。おそらく、脅迫電話を掛けた人物は、ダストボックスの書類(名札)入れのところに脅迫状を挟み込んでくれと、置いてくる人物に依頼したのだろう。ところが、綿新商店の近くのダストボックスは、書類(名札)入れが無かった。そこで、窮余の策として、ダストボックスの下に置いて、その場を離れたのだろう。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定be3

2021-07-29 03:04:20 | 日記
「お宅の前にある緑の箱の横に名札をかけるところ」と、三億円事件犯人が言ったとすれば、まさに、書類(名札)入れ付きの初期型ダストボックスのことを言っていたということになる。しかし、実際、脅迫状は、ダストボックスの下にあったわけだ。とすると、脅迫電話のあった、綿新商店の近くのダストボックスは、書類(名札)入れの無い、あるいは、書類(名札)を入れていない普及型ダストボックスだったわけだ。だから、ダストボックスの下に置いたのである。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定be2

2021-07-28 03:02:29 | 日記
書類(名札)入れの無い、あるいは、書類(名札)を入れていないダストボックスを普及型ダストボックスとしよう。試験的な配置から本格的な配置へのと移行する中で、普及型ダストボックスへと急速に転換していったに違いない。おそらく、それは1968年9月、全市域への配備の前には、完全に、普及型ダストボックスへ移行したことだろう。なぜなら、すべて、配備し終わってから、転換するのは、無駄だからだ。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定be1

2021-07-27 03:11:45 | 日記
たとえば、書類(名札)入れ付きのダストボックスを初期型ダストボックスとしよう。1966年3月、一部地域に、試験的に、配備されているということなので、当初は、この初期型ダストボックスだったのかもしれない。ところが、普及段階になると、書類(名札)入れがあると不便であることが判明し、あるいは、単純に、書類(名札)は入れないということになり、1968年の時点では、初期型ダストボックスは、無くなっていたということかもしれない。
(2013年12月記)

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