三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

三億円事件の場所の特定cj5

2022-08-31 03:03:57 | 日記
また、三億円事件の後であれば、土田・日石・ピース缶爆弾事件というのがある。1969年10月24日から4件相次いで発生するが、三億円事件から一年も経っていない。当時としては、爆弾を、脅迫、および、犯罪行為の実行の手段として選ぶのは、多かったということだ。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定cj4

2022-08-30 03:00:37 | 日記
三億円事件犯人が脅迫事件の手段として、爆発物、あるいは、事件爆弾を示唆するにあたって、おそらく、影響を受けたのは、一般的には、1968年6月16日(日)に発生した、横須賀線爆破事件であろうと思われるが、他にも、1962年から1963年にかけて、発生した草加次郎事件、1967年6月18日に発生した山陽電鉄爆破事件も、考えられる。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定cj3

2022-08-29 03:06:22 | 日記
脅迫事件の手段は、当初は、様々だったが、第四回、第五回から、火薬を使用した爆発物となっていく。日本信託銀行国分寺支店脅迫事件では、完全に時限爆弾となっている。また、西武多摩川線多磨駅周辺怪文書事件および多磨駐在所脅迫事件でも、時限爆弾を示唆している。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定cj2

2022-08-28 03:03:14 | 日記
なにか、用事があって、東府中駅近くにいなければならなかったと思われる、電話をかけてきた人物、とうてい、多磨駅に行く余裕なぞ、なかったとは、思える。第三回多磨農協脅迫事件で、ダストボックスの下に、脅迫状を置いていった人物、かどうかは、わからない。わからないものの、第四回多磨農協脅迫事件で、ダストボックスの下に、脅迫状を置いていった人物と、多磨駅周辺に、怪文書を貼り付けた人物とは、別人だったとは、思える。
(2013年12月記)

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三億円事件の場所の特定cj1

2022-08-27 03:03:47 | 日記
第四回多磨農協脅迫事件の場合、電話をした本人が、脅迫状を置いたので、電話番号が違う、ということも、薄々、自覚しており、冷静な対応をみせている。もっとも、自分が置いたからこそ、取り乱してしまう場合も、あるかもしれない。冷静な対応をとることができたのは、一橋本、137頁のごとく、世間ずれしていた、ということだろう。社会の中、それなりに、ポジションを得て、経験値も高かったわけだ。その程度のインシデント対応には慣れているに違いない。それはそれとして、では、多磨駅周辺怪文書事件は、どうなのだろうか。
(2013年12月記)

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