伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(50-3) 1977年1~2月③

2008-06-17 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 77~78年


(1977年2月7日(第431回)・同2月14日(第432回)放送分については「曲目リスト(50-2) 1977年1~2月②」に記載)


<1977年2月21日(第433回)>

・ふるさとはどこですか テレサ・テン
 詞:中山大三郎 曲:うすいよしのり R:1977/02/01 HC:42位
・花染め音次郎 水前寺清子
 詞:杉 紀彦 曲:市川昭介 R:1977/03/-
むさし野詩人 野口五郎
 詞:松本 隆 曲:佐藤 寛 R:1977/01/15 HC:2位
◆年間チャート(77年)33位(34.1万)
※この曲の歌詞に登場する「むさし野公園」という名の公園は東京・小金井市と府中市の市境に「都立武蔵野公園」として実在する(1969年開園)。しかし、この歌でいう「むさし野公園」はここを直接指しているものではなく、武蔵野市と三鷹市の市境に位置する「井の頭恩賜公園」をイメージして設定された架空の公園と解されている。
初恋草紙 山口百恵
 詞:阿木燿子 曲:宇崎竜童 R:1977/01/21 HC:4位
◆年間チャート(77年)50位(24.1万枚)
【メドレー】山の吊橋~赤いランプの終列車 春日八郎
 ・山の吊橋 春日八郎
  詞:横井 弘 曲:吉田矢健治 R:1959/09/-
◆第11回(60年)NHK紅白歌合戦出場曲(6回)
 ・赤いランプの終列車 春日八郎
  詞:大倉芳郎 曲:江口夜詩 R:1952/12/-
◆第26回(75年)NHK紅白歌合戦出場曲(17回)
※1949年にキングレコードに入社して以降、泣かず飛ばずの状態が続いていた春日八郎の初のヒット曲。1958年には歌手生活10年を記念してこの曲を題材とした同名映画が日活より封切られ、三橋美智也、平尾昌章、若原一郎ら当時春日とともにキングの屋台骨を支えた看板歌手も総出演した。
・或る女 春日八郎 R:1976/11/-

<1977年2月28日(第434回)>
・想い出のピアノ 森田公一とトップギャラン
 詞:阿久 悠 曲:森田公一 R:1977/02/25
・お元気ですか 清水由貴子
 詞:阿久 悠 曲:三木たかし R:1977/03/01 HC:30位
◆第8回(77年)日本歌謡大賞新人賞受賞
◆第6回(77年)FNS歌謡祭・音楽大賞 優秀新人賞受賞
◆第3回(77年)日本テレビ音楽祭新人賞受賞
◆第6回(77年)東京音楽祭・国内大会 優秀新人賞受賞
<清水由貴子>
 76年、日本テレビ系「スター誕生!」決勝大会で第16回グランドチャンピオンに輝き(ちなみにこの時の次点はピンクレディーであった)、翌77年、「スタ誕」審査員・阿久悠、三木たかしのコンビによる同曲で歌手デビュー。デビュー当初は同期の高田みづえ・榊原郁恵と並び「フレッシュ三人娘」として売り出され、所属レーベルのCBSソニー、所属事務所の芸映ともに大々的なプロモーションを展開していたが、このデビュー曲がスマッシュヒットした以外はヒットに恵まれず、80年以降は女優・タレント業に移行。「欽ちゃんの週間欽曜日」(TBS系)、「それは秘密です!!」(日本テレビ系)などに出演し、庶民的なキャラクターが好評を博した。  
失恋レストラン 清水健太郎
 詞・曲:つのだ・ひろ R:1976/11/21 
 HC:1位(1977/02/14-03/14)
◆年間チャート(77年)9位(62.8万枚)
◆第19回(77年)日本レコード大賞最優秀新人賞受賞
◆第8回(77年)日本歌謡大賞放送音楽新人賞受賞
◆第6回(77年)FNS歌謡祭・音楽大賞 優秀新人賞受賞
◆第3回(77年)全日本歌謡音楽祭優秀新人賞受賞
◆第10回(77年)日本有線大賞最優秀新人賞受賞
◆第10回(77年)全日本有線放送大賞最優秀新人賞受賞
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(初)
・石狩挽歌 八代亜紀
 詞:なかにし礼 曲:浜 圭介 (R:1975/06/25<北原ミレイ盤>)
オリジナル歌手は北原ミレイ。番組内の企画の一環として披露。
<楽曲について>
①同曲は作詞者のなかにしが実兄との関係で経た次のような苦い体験を基にして作られた作品といわれている。
旧満州からの引揚者であったなかにしの実兄は終戦後、小樽へと帰還。しかし、実兄は帰国後ほどなく一攫千金の夢を抱き、祖母の所有する土地を担保に金を借りてニシン網を3日間借り上げるという大博打に出る。最初のうちはなかなかニシンが捕まらなかったが最後の3日目になって見事にニシンの大群が網に引っかかり、一瞬にして大金を手に入れる。この金を資本に実兄は船を数隻チャーターしてニシンを内地に搬送して売りさばき更に巨万の富を得ようと企図するが、時化でこの計画は見事に失敗。これによってニシン漁でもうけた金は一瞬で水の泡と消え、これが原因となって、なかにしの一家は各地を転々としながらの極貧の生活を強いられた。それでも尚、実兄は更に借財をくり返し、ついには弟のなかにし自身がその膨れ上がった膨大な額の借金の返済を一手に肩代わりをせねばならない状況に陥ってしまった。作詞家としての成功の証であった土地・屋敷をそのために手放し、それでもまだ残っている借金の返済のために殺人的とも言えるスケジュールで作詞の仕事を次々と引き受ける。しかし、自身の代わりに身を粉にしている弟を尻目に実兄は反省の素振りなど全く見せることもなく、金遣いの荒さと女性関係の派手さは相変わらずという荒みきった生活を続けていた。そんな兄に対して次第になかにしは憎悪の念が沸き起こり、最終的には自ら絶縁状を叩きつける事態に至ってしまう。
このような破天荒な一生を過ごした実兄に対してなかにし自身が抱き続けてきた積年に渡る「愛憎」とそのような関係を作る端緒となったしまった少年時代のニシン漁の体験がこの曲を書く上での土台となったとされる。
②その後、なかにしは98年にこの曲のテーマとなった兄弟間の「愛憎」をより深く掘り下げた自伝的小説「兄弟」を著し、この小説で第119回直木賞の候補に選出。これを契機になかにしは作詞家から小説家・エッセイストへと活動の重点を移行した。
③ドラスティックな作風と衝撃的とも言える曲の内容ゆえに音楽業界の評価も高い作品であり、特に同回のヒットスタジオでこの歌を披露した八代はこの曲の世界観に心底陶酔。アルバムにもこの曲のカバーバージョンを収録したほか、82年には同曲をモチーフとしたオリジナルシングル「海猫」を製作・発表している。また2007年には中森明菜も演歌の名作を集めた自身のオリジナルアルバム「艶華-enka-」の収録曲の一つとして同曲をカバーしている。
・おんな港町 八代亜紀
 詞:二条冬詩夫 曲:伊藤雪彦 R:1977/02/05 HC:13位
◆第10回(77年)全日本有線放送大賞特別賞受賞曲
◆第28回(77年)NHK紅白歌合戦出場曲(5回、紅組トリ) 

【司会】 芳村真理・井上 順

(参考)この頃の主な出来事
・02/17 水戸地裁、百里基地訴訟で自衛隊を合憲とする判断を出す。
・02/20 東京・青梅市で行われた第11回青梅マラソンで死者発生。
・02/23 宇宙開発事業団、種子島宇宙センターで日本では初の静止衛星「きく2号」の打ち上げに成功する。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
石狩挽歌と「兄弟」 ()
2008-06-17 09:06:58
 なかにし礼さんのこの歌の元になった
小説「兄弟」はテレビ朝日でドラマ化されました。
 兄がビートたけしさん、なかにしさんが豊川悦治さん、なかにしさんの奥さん(石田ゆりさん)が
高島礼子さんでした。
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名曲誕生の背景には壮絶なドラマがある (resistnce-k)
2008-06-17 23:13:39
「石狩挽歌」を私が最初に聞いたのは13年ぐらい前にNHKの歌謡番組で北原ミレイさん自身の歌で紹介されたときだったと思います。

最初に聞いた時の印象は一言でいえば「難しい」という感じでした。「古代文字」「やん衆」「ニシン漁」「赤いズッポ」「ゴメが鳴く」などその地域特有の言葉の連発で意味が捕らえにくかったんですよね・・・。ただ、他のそのときに紹介されていたなつメロとは明らかに異質な雰囲気があったのだけは見ているこちらにも伝わってきました。

今回この記事を書くに当たってこの歌の背景を調べてみて、上記のような壮絶な背景があったことを知った時、「異質さ」の原因が分かったような気がしました。
あの刹那的で投げやりともいえそうなこの歌の雰囲気はそういう荒廃した兄弟関係がそうさせていたのか・・・と。妙に納得感がありましたね。

それで、もう一つ、なかにしさん兄弟の間のエピソードとして付け加えておきたい事柄があります。
上記でも触れているように、放蕩生活を送り続ける実兄に代わって休みなく作詞の仕事に没頭して借金返済に明け暮れる日々をすごしていたなかにしさんに、実兄はある日、こういう言葉をかけたそうです。
「本当の地獄を見なければいい詩は書けない。」
最初はこの言葉に憤懣極まりない気持に苛まれたなかにしさんでしたが、不思議とこの後、書いた歌が次々と大ヒットしていったといいます。これがいつの頃の話なのか、具体的にはよく分からないのですが、恐らく「今日でお別れ」でレコード大賞を受賞した当たりの頃の話ではないか?と思いますが、この時代のなかにしさんの詩は「今日で―」に限らず「雨がやんだら」にしても「夜が明けて」にしてもどこかドラマティックで、印象的なフレーズも多かったのは確かだろうと思います。

ヒット曲、名曲というのはそういった苦悩や挫折の中で生まれてくるものなんだなあ・・・というのを改めて実感した次第です。
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