reikoのヘタレ日記with時々身体作りに株・・とか

日記です、愚にもつかないあれこれ叫んだり呟いたり。
生存報告でもありますw
綺麗な身体作りやど素人の株も、更新中。

形見分け

2024-06-10 06:47:10 | 思い出ってほどでもないけど
昔は誰かが亡くなると、その後に形見分けってのがありました。
故人の持ち物を、友人知人親戚にあげる。
まあなんだ、簡単に言うとそう言うことです。

うちの場合、父の時にはこれ何気にやりました。
何しろ40年以上前のことなので、何となく訪ねきてくれた人に。
どうかね?等と言って、それなりに価値の有りそうなものを見せて、よければもっていってもらいました。

最も親しくしていた叔父は、この時に父のパイプをもらっていった。
でもって、喫煙者に…。
形見分けがこうしたことに、関わるのもあり…ってことでしょうか。

当時は私も喫煙者だったし。
今タバコの匂いも煙もだめになった私ですが、パイプタバコの匂いは問題ない。
つまり、紙タバコの紙が燃えるのが駄目ってことらしいです。

さてその叔父の場合はどうだったかというと。
特に…嫁さんからそうした申し出はなかったような。
まあ2年前ですから、現代ですから。
形見分けって…もう習慣として無いよねえ。

でも私の手元に、叔父からもらったあるものが。
いや叔父には、生前から色々なもとをいただきました。
愛情も理解も、たっぷりいただきました。

時計とかももらいました。
しかし何故か毎朝…毎晩、これが形見かなとか思うものがあります。

叔父がもう、家からあまり出なくなって、でもまだ家の中であれこれしていた時のこと。
遊びに行ったら「佃煮をやるよ、俺が作った」というのです。
この当時はまだ、私は米を食べてましたので喜んでもらったんです。

実際、叔父の作った佃煮は大変美味しくて、おにぎりの具として最高でした。
この時に、プラスティックの丸い入れ物に入れてくれたんですが。
何かの再利用と言うか、使い回し?
蓋がなくて、ラップでくるんでくれたんです。

その入れ物、何のことはないプラスティックの青い丸い入れ物。
私の義歯を入れるのにぴったりだったので、転用しました。

で、毎朝毎晩それを見るたびに。
これが叔父の形見…だよなあ、とか思うわけです。

形見ってのは、故人の思い出を蘇らせるもの。
ピッタリじゃあないかと、思うんですが。

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