Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2009年3-4月号 難民が体験するカクマ・キャンプの法的保護

2009年08月16日 | 人権
情報の欠如、当局へのアクセスの欠如。難民の法的保護や永続的解決の見通しについて不安が広がる。

設立18年目を迎えるカクマ難民キャンプは、東アフリカとアフリカ大湖地域からの難民51230人を抱えている。2009年3月に発表されたUNHCRの統計によると、カクマ・キャンプは直近の食料配給で51,230人の難民および庇護希望者に食料を供給した。

1951年の難民条約によると、難民とは国籍国の外にいる者であって、人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する者である。

難民は自国から逃げ出す前に様々な違法行為に直面してきた。ある者は打たれ、拷問され、政府によって恣意的に逮捕された者もいれば、戦争で荒廃した国から来た者もいる。またレイプと死の脅威を経験した女性もいて、その中には目の前で夫と子どもたちを殺された者もいる。

幸いなことに、これらの難民はケニアに到着し、カクマ難民キャンプに受入れられた。UNHCRのプロテクション・オフィスは母国で権利を侵害された難民に法的保護・擁護を提供するはずだ。

〈不確実な保護と救済策の欠如〉

難民との会話から明らかになったが、キャンプでは難民が期待することと実際の保護の間にギャップがある。「プロテクション・オフィスに入るのは職員から呼び出しがあったときだが、私の場合、到着して登録した時以来、機会がない」とブルンジ人の副責任者は言う。「すべての事はプロテクション・オフィサーの手中にある;[難民]のリーダーには何の関係もない」とも言う。

難民は皆、これから先キャンプにどのくらい滞在することになるのだろうと思っている。多くの難民が、キャンプ内の治安の悪さを心配している。毎年、命を落とす者が出るからだ。行政機関のスタッフや仲間の難民による不法行為についての苦情も出ているが、正義のもとで暮らそうにも彼らにできることはほとんどない。

例えば、二人の女性難民はLWF (ルーテル世界連盟)からお金を盗んだと不当な疑いをかけられた。彼女たちは2008年12月にカクマ警察署に出頭を命じられたが、後に解放された。「私たちはLWF財務オフィスからお金を盗んだと不当な疑いをかけられた。しかし今日になっても私たちに何が起き、どのように終了したのか分からない」と言う。この二人は、LWFの予算削減のため2009年1月に解散させられた女性ケータリンググループに所属していた。

女性たちは、この事件に関して書面での書類をもらっていないと言っている。しかし一人は、警察から呼び出す場合に備えて、電話番号を教えるように要求された。2008年12月以降、警察からの連絡はない。

〈難民認定〉

カクマ・キャンプでは、UNHCRのプロテクション・オフィスが実施する難民認定(RSD)手続きによって、庇護希望者が難民認定基準を満たしているかどうかが決まる。この手続きの課程では綿密な面接もあり、事例数が膨大で処理が遅れるため、数ヶ月から数年かかることもある。

難民への法的保護は生と死の問題だ。ブルンジ、ルワンダ、コンゴ、ウガンダ、エチオピア、スーダン南部からの難民は、現在ナイロビかカクマの複数のUNHCR事務所で難民認定面接を受けている。庇護希望者はカクマ支所により難民として認定されない場合、キャンプに残ったり、医療サービスにアクセスしたり、認定を受けた難民の権利である食料配給などの特典を受けることが許されない。これらの困難にもかかわらず、却下された庇護希望者の少数の者は、キャンプに滞在する以外選択肢を持たない。残留の選択をするのは大家族の場合が多い。キャンプに居ればわずかながらライフラインにアクセスできるからだ。

しかし、若くて独身の庇護希望者で認定却下された者は、ナイロビやエルドレトなどの主要都市で生活する機会を求めてキャンプを去る者も多い。認定却下されナイロビにいる庇護希望者は危険な生活を送っている。彼らはケニア滞在を許可する有効な書類を持っていない。身分証明書を持たないため援助を受けるのは困難だ。彼らの周囲で犯罪が起き、特に捜査当局が容疑者を追跡しているときは、被害者になる可能性もある。

ナイロビに住んでいる難民学生、ジョン・Nは次のように言っている。「教会やモスクで食糧援助を受けるのも難しい。誰も僕を知らないからだ。ここナイロビの病院の診療所で治療を受けるためには身分証明書が必要だが、僕はそれを持っていない。生活は苦しい。援助を受けるためには、僕は難民や弱者に援助を提供している教会などの宗教施設で、難民と認識されている人たちにくっついていなければならない」

KANEREに話をしたある庇護希望者によると、庇護希望者の誰もが認定却下の理由を聞かされていない。

カクマの難民は難民認定の面接が適切な法的基準と手続きのガイドラインに従って進められているか疑問を抱いている。難民によると、その手続きは「時間稼ぎをしている」ように見えるという。ほとんどの弁護士は、法的に詳細な面接をすれば、これに通る難民はいないとわかっていて、面接のプロセスを不必要に形式化しているようだとも思っている。

〈権利に関する情報の欠如〉

多くの難民は難民認定手続きに入るとき、ほんのわずかな知識しか持ち合わせていない。自分たちの権利まで思いが至らず、プロセスそのものの重要性についてもよくわかっていない。

「返答するスキルもなく、学歴も低いのに、訓練され資格のある法律家の前にどうやって出頭しろと言うのですか。こういう難民が面接に受かると思いますか?」と、ルワンダの難民、アネ・ マリーは言う。

「ティンギーティンギ(コンゴ民主共和国またはDRCの一地方)に向かう途中で起きたレイプ事件の証拠を提出するよう男性のプロテクション・オフィサーに言われたら、女性の難民はどんなに恥ずかしいか。こういう長くて心無い聴取の後、UNHCRの委任統治のもと難民に認定しないという決定がなされるのです」と、彼女は付け加えた。

キャンプの難民は、UNHCRが行っている難民条約に基づく保護とグループ認定による保護の意味を理解していない。プロテクション担当のUNHCR職員と会う機会のあるコミュニティー・リーダーでさえ、条約難民とグループ認定難民の地位の違いや、カテゴリー分けが難民にとってどんな意味を持つかもわかっていないと言っている。

〈人道機関? それとも単なるトレードマーク?〉

ある者にとって、UNHCRは、彼らが生き残るために必要なものすべてだ。しかし、他の者にとっては、その同じ機関も単なるトレードマークでしかない。つまり難民は、UNHCRは「良い法律」を備え、良い仕事で難民支援をしてくれると思っている。しかし難民の中には、UNHCR職員は自身の長期雇用を確保するために人道政策を利用していると思っている者もいる。例えば、すべての難民が再定住や本国帰還のためにキャンプを去ることになれば、多くのUNHCR職員は仕事を失うことになる。だから難民をカクマ・キャンプに留まらせたがっているのではないか、というのだ。

ウガンダ出身の難民、オドンゴ氏はUNHCRを批判して次のように言っている。「1988年にケニアで法的に難民と認定されたウガンダ人がいる。1992-1993年にかけて、彼らはカクマ難民キャンプに送られてきた。彼らも私も故国に戻ることを恐れているので、みんなでUNHCRに対して、永続性のある解決を支援してくれるよう要請した。だが、すべては無駄だった。彼らは自らの仕事を確保するために、私たちをここに留め置いているのだ」

KANEREは彼と家族がどのくらいここのキャンプに留まると予想しているか聞いた。というのも目下、難民のジレンマ解消へのよりよい解決策を求めて、UNHCRが難民の調査を行っているからだ。「調査には期待していない。一部の職員は自分たちのやっていることを認識している。2~3年前に調査を受けたのに、未だ何も決定が下されていない難民がどれだけいることか。 調査を始めた再定住担当の職員はいなくなり、新しい人が来て、それも去っていった。今は別の人がいるが、我々の事例について何の音沙汰もない。それなのに彼らは毎月、巨額な給与を受け取っている」

〈将来の保護への不安〉

難民に対し出身国政府が帰国するように要求しているのが心配だ。特に、多くのスーダン人難民は三者合意に言及する。スーダン人の本国帰還はUNHCRが人道上の問題だとして着手したのではなく、祖国政府が政治的な問題として始めたことがわかる合意だという。難民は政府のせいで故国から避難せざるを得なかった。その同じ政府が自分たちを保護するとも、保護できるとも思えないと言うのだ。

「私は3年前に現ルワンダ政府から逃げてきたんです。よくぞ生き延びたと神様に感謝しています。私は、よく知っている人たちの深い傷跡を背負っているのです。彼ら[ルワンダ政府]のどこが変わったというのでしょう。 彼らは法律そのもの、権威そのもの。私を守るつもりなんかあるもんですか」と言うのは、ルワンダ出身のシングルマザーだ。

エチオピア、ウガンダ、ルワンダ、スーダン南部の難民は、カクマ・キャンプでの保護は彼らの祖国政府の影響を強く受けていると主張している。ルワンダ人、南部スーダン人は母国の政府とUNHCR、ケニア政府が調印した三者合意を指摘する。彼らは、ケニアで保護されている難民の地位が「停止条項」の適用を受ければ、命が危険にさらされるのではないかと心配している。保護されている難民の地位が剥奪された場合、不法移民とみなされるか、あるいは母国に強制送還され、命が脅かされるかもしれないのだ。

「1990年代初めに祖国を逃れたエチオピア難民が1998年にまとめて保護を拒否されたことを知っています。今度はこの私が、いわゆる[スクリーニングセンター]で保護のための面接を受けています。ここに留め置かれている間に、UNHCRの保護が剥奪されることになるでしょう」と、1人のルワンダ難民が語った。彼女が引き合いに出したのは、1991年以前にメンギストゥ政権から亡命し、ケニアで難民として保護されたエチオピア人のことだ。しかし、現政府が権力を握ると、これらの難民は保護を拒否された。

実際には、認定された難民が保護を剥奪されるのを心配する理由はほとんどない。本国の政府が安定したからといって、UNHCRが一度与えた難民の地位を取り消す可能性は低い。

〈結論〉

KANEREは、この問題に詳しいUNHCRのプロテクション担当職員と話をしようと試みたが、職員は忙しすぎて、我々記者とのアポイントをスケジュールに組み込むことができなかった。

ケニアにいる難民の命の尊厳と保護は、完全にUNHCRと受け入れ政府にかかっている。しかし、カクマ難民キャンプでの生活が長引くと、移動の自由や情報へのアクセス、教育といった難民の基本的人権に計り知れない影響がある。

加えて、難民は庇護国での権利保護の法的側面や実践的側面をよく知らない。また不満を申し立てたり、必要な知識や自分自身の状況についての情報を得るために、当局にアクセスする十分な機会を与えられていない。

国連機関として、UNHCRは難民の人間としての尊厳を守るために十分な支援をするべきで、難民を「援助」要員を動員するための道具として利用すべきではない。


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