地中に埋めたかめを使った製法を説明するホマスリゼさん
東欧・カフカス地方の小国ジョージアはワインの発祥地域とされ、欧米や日本でも徐々に知名度を高めている。
旧ソ連から独立後、長く停滞していたワイン産業は再興され、輸出量も拡大し続けている。だが、近年のロシアと欧米の深まる対立が再び長期の成長軌道に影を落とす。
「8千年前から続く独自のワインづくりです」。首都トビリシ郊外のブドウ畑で有機農法のワイナリーを営むジョージア正教会の元修道士、アカキ・ホマスリゼさんは強調した。
ジョージアワインは、地中に埋めた陶器のかめの中で、ブドウの実とともに皮や種も入れて発酵させる伝統的な「クベブリ」製法が特徴だ。土の中は比較的低温で安定し、ワインづくりには都合が良い。2013年にはユネスコの無形文化遺産に登録された。
ホマスリゼさんは近年、欧米やアジアなど国外に販路を拡大。6月には来日してセールス活動に当たった。「バイヤーの関心は年々、高まっている。各国の一流レストランでの取り扱いも増えてきた」と話す。
ジョージアのワインづくりの歴史は古い。黒海の湿った空気が流れ込むジョージアは、ワインのためのブドウづくりに適していた。
17年には首都トビリシの郊外の遺跡で発掘された約8千年前のつぼの破片にワインがつくられていた科学的痕跡が発見され、世界最古の記録を更新した。
各家庭では自家用の醸造も盛んだったとみられる。19世紀には大規模なワイン農園が登場した。
だが、ロシア革命を経てジョージアを支配下に置いたソ連は、ワインづくりでも質より量を重視する政策を展開。
病気に強く収穫量が多いセパラビなど3〜4種のブドウだけが大規模に栽培されるようになった。
1980年代のゴルバチョフ政権の反飲酒キャンペーンも逆風になり、ワイン農園の総面積は4分の1にまで減らされた。
ワイン産業が上向くきっかけとなったのは、ロシアとの対立だった。
同国のプーチン政権は2006年、政治的な理由でジョージア産ワインの禁輸措置を発動した。
同国は輸出先の9割を占めていたロシア市場を失ったことで、欧米への販路拡大のために品質を重視するようになった。
多品種のブドウによる個性的なワインづくりも復活に向かった。輸出に占めるロシア向けの割合も22年には6割にまで低下した。
現地メディアによるとジョージアのワイン生産量は同年に世界18位の約2億1000万リットルとなり、輸出額も前年比6%増の約2億5000万ドル(約370億円)に達した。
しかしジョージアの現政権は近年、ロシアへの傾斜を深め、欧米との関係を悪化させている。欧州連合(EU)は6月、ジョージアの非民主的な法律制定を機に同国のEU加盟手続きを事実上停止した。
同国のワイン生産者からは「また買い手がロシアしかいない状態に戻りかねない」との声が漏れる。
(トビリシで、田中孝幸)
日経記事2024.08.01より引用