東京スカイツリーの展望台は地上よりも時間の流れが速い

一般相対性理論によると重力の強い場所では時間がゆっくりと進む。理論的には高層マンションの最上階と地上階では、地上階のほうが重力の影響を受けるため時間がゆっくりと進むはずだ。

だが数十〜数百メートルの高低差による重力の違いはごくわずか。日常生活で時間の流れの差を意識することはない。

 

そんな時空間が地上でも実はゆがんでいることを東京大学大学院の香取秀俊教授や理化学研究所の高本将男専任研究員らのグループは2020年4月、証明した。

東京スカイツリー(東京・墨田)の地上450メートルの展望台と地上階では、展望台のほうが1日当たり4ナノ秒速く進んでいることがわかった。これを証明したのが100億年で1秒ずれる程度、10のマイナス18乗という極めて高精度な光格子時計だ。

 

光格子時計は2001年に東大の香取教授がコンセプトを発表した日本発の技術だ。

では光格子時計とはいったいどんなものか。「光の定在波で時計の基になる原子の振り子に影響を与えないように原子を閉じ込め、一度に多数の原子を同時に観測できる手法」と発明者の香取教授は説明する。

 

光格子時計は、現在の高精度な時計の基となっている原子時計の一種だ。

原子時計は、原子の周囲を回る電子が軌道を遷移する際に吸収する原子固有のエネルギー(振動数)をレーザーなどで計測。その振動数を基に極めて正確な秒を決める。

 

1950年代に発明されて以降、高精度な時計の手法として発展を遂げ、セシウムを用いた原子時計は現在、3000万年に1秒の誤差の、10のマイナス15乗程度の精度を持つ。

ただ高精度な原子時計にも弱点がある。精度を高めるためには何度も繰り返し計測しなければならない点だ。現在の最高精度の原子時計は100万回程度の計測が必要で、10日ほど時間がかかってしまうという。

 

ここで100万個の原子を同時に観測できるようにすれば、10日かかっていた計測が一瞬で済むようになる。これが光格子時計のベースとなるアイデアだ。ではどうやって狭い領域に多数の原子を閉じ込めるのか。

実は原子がわずかに動くだけで時計の秒を決める原子の振動数に誤差が生じてしまう。遠ざかる救急車のサイレンが変化するのと同じドップラー効果だ。周囲に電場、磁場があるだけでも原子が動いて振動数に影響を与えてしまう。これまでの原子時計は、こうした影響をいかに排除するのかに苦心してきた。

 

香取教授は多数の原子を閉じ込めるために逆転の発想をした。外部の影響を排除するのではなく、積極的に与えることで原子を閉じ込める入れ物を作るというアプローチだ。

具体的にはレーザー光を使うことで、卵パック状の光のかご(光格子)ができる。この卵パックの中に原子を一個ずつ閉じ込めれば、原子が外部の影響を受けず、同時に多数の観測ができる。

 

東京スカイツリーの実験に用いた可搬型の光格子時計装置
東京スカイツリーの実験に用いた可搬型の光格子時計装置(出所:東京大学)

 

香取教授はストロンチウムを使った光格子時計の開発に取り組み、2015年に10のマイナス18乗の精度を実証。

実験室サイズだった巨大な装置を持ち運びできるサイズまで小型化し、今回の東京スカイツリーでの実証につなげた。

 

 

一般相対性理論を使って測地、火山予知にも期待

10のマイナス18乗の精度を持つ光格子時計は、国際度量衡委員会で1秒の基準であるセシウム原子時計の次を担う有力候補だ。

それ以上に頭のてっぺんと足元では時間の流れが違うといった時空間のゆがみを日常的に観測できるようになるインパクトは大きい。「想像もつかないような新しい使い方が生まれるかもしれない」と香取教授は期待を口にする。

 

その一つが「相対論的測地」と呼ぶ新たな分野だ。A地点とB地点にそれぞれ光格子時計を置く。両地点での光格子時計の時間の進み方の違いを調べることで、高低差を測れる。

「これまで高低差は水準点を基準に調べることが多く測量には時間がかかっていた。光格子時計によって、短時間で測量が済む。例えば地下のマグマによるわずかな地表の上昇などを調べて、火山予知などに役立てられる可能性がある」(香取教授)。

 

このような相対論的測地を実現するために、香取教授はNTTなどと共同で遠く離れた光格子時計同士を光ファイバーで結ぶ実験を開始している。

10のマイナス18乗の精度を持つ光格子時計だからこそ実は離れた地点で光格子時計同士を比較するのは難しい。例えばA地点にある光格子時計1からB地点にある光格子時計2を見た時に、地面からのわずかな振動の影響だけでもドップラー効果が生じてしまい誤差が生まれるからだ。

 

光ファイバーを使って複数の光格子時計をリンクすればこうした誤差を抑えられる。NTTなどと20年3月に実施した実験では、全長240キロメートルの光ファイバーを用いて光格子時計をリンクする実験に成功した。

香取教授は次の展開として「光格子時計を車に積み、NTTの光ファイバー網を使って各地で光格子時計を用いた実験を進めてみたい」と話す。

 

10のマイナス18乗の精度によって、時計の役割は時間を計る物差しから、日常的な時空間のゆがみを測るセンサーに質的変貌を遂げるかもしれない。

香取教授によると、欧州では各国の標高基準がバラバラで、国境の山を越えた瞬間、地図上で10メートルの段差が生じるようなケースもあるという。

 

光格子時計による測量はこうした混乱に終止符を打つ可能性がある。

光ファイバー網が全国に配備されている日本は、このような光格子時計を使った新たな応用の開発もやりやすい。光格子時計は、日本が世界に打って出る新たな鉱脈になる可能性がある。