2020年代後半から2030年代の月面・月近傍における本格的な探査・開発活動に向けて、各国の宇宙機関などが通信・測位インフラをそれぞれ提案し、開発を進めている。


「月面版GPS(Global Positioning System)」とも呼べる、月面全球で利用できる測位システムについては、米航空宇宙局(NASA)、欧州宇宙機関(ESA)、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の米欧日の宇宙機関が共同で「LANS(Lunar Augmented Navigation Service)」と呼ばれる標準の策定に取りかかっている。

現在、NASAは「LCRNS(Lunar Communications Relay and Navigation Systems)」、ESAは「Moonlight計画」の下で「LCNS(Lunar Communication and Navigation System)」、JAXAは「月測位衛星システム(LNSS:Lunar Navigation Satellite System)」という独自プロジェクトをそれぞれ進めている。

 

いずれのプロジェクトにおいても、専用の測位衛星を月周回軌道に配備する。LANSではそれぞれの衛星が標準化された「AFS(Augmented Forward Signal)」という信号を発信することによって、月面で活動する探査車(ローバー)などがAFS受信機を搭載すれば規格の違いを気にすることなく、位置情報を得られるようになる(図1)。


LANSは、NASAとESAが共同で推進し、2023年にJAXAの参加も認められた測位・通信などの国際標準フレームワーク「LunaNet」の1要素になる。AFSはLunaNetの互換性を担保するための仕様「LunaNet Interoperability Specification (LNIS)」で定義されている信号形式の1つである。あくまで送信信号の形式を規格化したもので、配信する軌道・時刻情報の精度などは規定されていない。

 

         図1 月面版のGPS標準「LANS」のイメージ

月周回軌道を回るLCRNS、LCNS、LNSSの衛星が標準化された信号を発することで月面のローバーなどが自己位置を特定できる(出所:日経クロステック)
 

 

LCRNSとLCNSはいずれも、以下の方法で月周回軌道上の衛星の位置情報を特定するとみられる(軌道決定)。まず、地球上に配備した直径数十m級の大型アンテナから月周回軌道上の衛星に向けて電波を送る。

衛星はその電波を送り返し、地上の大型アンテナで受信して衛星までの距離を算出。そのデータを蓄積するとともに軌道計算を合わせて軌道決定をし、そのデータを衛星に送る。

 

GPSが地上に向けて発信しているのと同様、これらの衛星は月面に向けて自らの位置情報と自らが搭載する原子時計による正確な時刻情報(定期的にアップロードが必要)を月面に送信する。

受信機を搭載したローバーなどは、月周回軌道上の4機以上の衛星から電波を受信できれば、正確な位置情報を得られる。

 

NASAはLCRNS衛星の初号機を2025年以降、ESAはLCNS衛星の初号機を2027年に打ち上げる予定だ。当初は水資源の探査が行われる月の南極域を主にカバーする(図2)。

 


     図2 NASAが計画するLCRNSのイメージ

初号機を2025年以降に打ち上げる予定。月周回軌道は比較的安定している楕円軌道の「ELFO」が選定されている(出所:NASA/David Ryan)
 
 

GPSの漏れ電波を活用

一方、JAXAのLNSSはNASAやESAの方式とは全く異なる。

米国のGPSや欧州のGalileo(ガリレオ)などの地球向けのGNSS(Global Navigation Satellite System)の「漏れ電波」を月周回軌道上で捕捉して、オンボードで位置特定するという世界初の技術の実用化に挑む。

 

GNSSは地表面に向けて電波を発しているが、電波は広がる性質があるため、電波の“すそ野”は漏れ電波となって、遠く月周辺にも届く。それを4機以上から捕捉できれば、月周回軌道上での位置特定が可能になる。

JAXAがGNSSの漏れ電波を活用する背景には、日本には直径数十m級の大型アンテナが2カ所にしか設置されていないという事情がある。

 

欧米は、米国、欧州、オーストラリアにそれぞれ複数の大型アンテナを配備しており、地球が自転していても常に月と通信ができるが、日本はそうではない。

LNSSはある意味、その弱点を克服する技術とも言える。JAXAは、2028年度のLNSS衛星初号機の打ち上げを目指している(図3)。

 

              図3 LNSSの概念図

月周回軌道の「ELFO」に配備したLNSS衛星が、複数のGNSSから漏れ電波を受信し、軌道決定する(出所:アークエッジ・スペース)
 
 

LNSSは、内閣府の宇宙開発利用加速化戦略プログラム(スターダストプログラム)「月面活動に向けた測位・通信技術開発」において、JAXAからの委託を受けた、衛星開発のスタートアップであるアークエッジ・スペース(東京・江東)を中心としたコンソーシアムが開発を進めている。

同コンソーシアムには、KDDIやKDDI総合研究所、三菱プレシジョン(東京・江東)などが名を連ねる。

 

このプログラムは2021年度に開始され、2023年度までにアーキテクチャーや衛星の概念検討、GNSSの高感度受信機、LNSS信号発信機、原子時計などペイロードの検討を進めてきた。

2024年度からは、実際に重さ100kg前後の小型衛星の開発を開始する見通しだ。

 

 

アークエッジ・スペース 執行役員先端研究開発部部長の柿原浩太氏によれば、「LNSS衛星の軌道決定精度として10~20mを目指す。そして月面での位置精度は40mが目標」という。

サービス対象エリアは当初、水資源探査が行われる南緯75度以南、サービス期間は10年としている。

 

 

 

電波強度は地上の1/400

LNSSの主な課題は2つある。まず、月周回軌道上で捕捉できるGNSSの電波が非常に弱いことだ。

電波強度は距離の2乗に反比例するため、月周辺では地上に比べて強度は1/400となる。

 

高感度のGNSS受信機とアンテナの設計が重要になる。こちらはJAXAが担当する。

もう1つは、月周辺からGNSS衛星が地球を周回する高度約2万kmの軌道までが非常に遠いため、LNSS衛星から見てほぼ同じ方向から複数のGNSSの電波が飛んでくることだ。

 

これによって従来のGNSSと同様の計算手法だと精度が悪くなるため、計算手法に工夫が必要になるという。

2028年度に計画しているLNSSの実証では、以下の3点をテストする。
(1)GNSSの漏れ電波を受信した衛星の位置・時刻特定の検証、
(2)LNSSの受信機を搭載した月面着陸機(ランダー)によるLNSS衛星からの信号受    
    信検証、
(3)NASAのLCRNS衛星・ESAのLCNS衛星も使ったLANS互換性検証、である。

 

(3)は2028年度には、NASAのLCRNS衛星が数機、ESAのLCNS衛星が1機、月軌道上を周回しているはずなので、それらを利用する。

ただし、LNSSについては「まだ誰も月周辺でGNSSの漏れ電波を受信したことがない。理論上はできることが分かっているが、詳しい情報はない」(柿原氏)としている。

 

実は、NASAが2024年、ESAが2026年に予定している月探査ミッションにおいて、GNSSの漏れ電波を月周辺や月面で受信できるかの実証も行われる予定だ。

こうした実証を通じてLNSSの実現性が見えてくるだろう。