ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

立葵を見て

2019-06-18 | わたしの好きなもの

 historytoday.com

 ケイト・グリーナウェイのイラストのひとつ

 

 

ある方のブログで見事に咲き誇る立葵のお写真を拝見した。それを見て、昔母がどこに住んでも必ず立葵を庭の塀間際に植えて咲かせていたのを思い出す。それは初夏の頃から真夏を経て初秋を感ずる頃まで咲いていた。庭を立体的にするかのように、ピンと背を伸ばして空へ高く育つ立葵は、まるい赤や白やピンクやらの美しい花をたくさんつける。それを目にし始めると、朝食ももどかし気に終えて、小学生だった弟と私は、麦わら帽子をかぶり、手には捕虫網と虫かご、足にはズック靴あるいは長靴を履いて(途中で計画変更をして、オタマジャクシを捕獲するやしれないのでーそんな時に備えてポケットには畳んだビニール袋があった)、近くの野山へ飛び出した。母が持たせてくれた水筒の麦茶を飲むことも忘れて、今日は絶対に兜虫とアゲハ蝶、などと二人で話しながら、涼しい午前中を過ごした。弟と二人でファーブルに夢中だった時代であった。そして横浜といえどもまだまだ森が続き、水田があった。


美しい立葵は、夏も盛んになると、蜘蛛が花と花を結ぶかのように、たくさん糸をかけ、蜘蛛の巣だらけになってくる。ちょうど咲き誇るカンナに、たくさんカマキリが居座るように。カンナにはカマキリ、立葵には蜘蛛、というのが、塩と胡椒、のようなペアだと思っていた。


捕虫網と虫かごの時代から長い年月が過ぎ、母となった私は、子供にはハンドメイドのエアルーム的作品を作りたく、長女がまだ三か月ほどの頃から毎週一晩のスモッキング刺繍と小児用のエアルーム(Heirloom=家族の伝統となるような、何代にもわたって家族にあるもの)衣類を作るクラスを取った。その時間は夫が娘を見て、私はプロフットボール選手(シンシナティ・ベンガルズ)の奥さんが教えるそのクラスを毎週楽しみにした。そのクラスのおかげでその後かなりたくさんの(つまり子供五人分の)伝統的な子供服を作ることができた。


その折出会った本が、英国のエリカ・ウィルソン女史の本であった。1980年代初頭は、こうした伝統的な子供服を見直すことがちょっとしたブームで、私にとってエリカ・ウィルソンやキテイ・ベントン(確か米国人)は師匠のようなものだった。そのエリカ・ウィルソンの著書のひとつ、Erica Wilson's children's worldに好きな画家ケイト・グリーナウェイをモチーフにした子供服のデザインがいくつか載っていた。その作品のひとつに、サンボンネット少女と立葵の絵図がある。



ケイト・グリーナウェイを手芸や子供服に使うエリカ・ウィルソンのアイデア


サンボンネットの少女の後ろに咲くのが、アップリケと刺繍の施された立葵


1983年出版されたエリカ・ウィルソンのErica Wilson's children's world

よく使った形跡があるのがお分かりかも。

 


サンボンネット少女と立葵は衣服というよりもブランケットに使うデザインだが、今これを再び見て、刺繍糸とアップリケ布を取り出して製作し始めたいと思う。こんな可愛らしい立葵には、蜘蛛の糸を絡みつかせたくはないものだ。このモチーフを使ったブランケットを孫娘たちに作りたい昨今である。

 

 

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父の愛

2019-06-16 | アメリカ事情

 kpfa.org

 

 

 

 

写真は、二、三年前の僕(左の病床にいる)と父。


まだ診断名のつかない肺炎に罹り、十日間ほど死線をさまよった。


父は僕の傍にいつも座り続け、本を読んでいたが、(僕はそれについては覚えていないが、)父はこうして呼吸器のチューブを持ったら、僕にとって楽だろうと判断し、何時間もそのようにしてくれていた。


 Sunnyskysz誌へ投稿なさった方の投稿から。

sunnyskyz.com

父の愛


そしてこの金曜日、六月十四日ドイツ・フランクフルト現地時間午後二時過ぎ(カリフォルニア州時間で午前五時過ぎ)、次男の二番目の子供が生まれた。次男の名はChristopher(クリストファー)と言うが(普段はKで始まる愛称)この男の子はミドルネームはRistoと名付けられた。Ristoはフィンランド語でChristopherを縮めた名前である。この子の母方の祖母はフィンランド人で、母はフィンランド語も操る。再び父となった次男、父の日、おめでとう! 



 

生まれたてのRisto。



 





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種屋さんの話

2019-06-14 | アメリカ事情

  Shutterstock.com 515671684

 

 

 

この季節、多くの日本の方々が、梅シロップや赤紫蘇ジュースをお作りになるのをブログで拝見し、誠に羨ましいと感じる。日系マーケットのミツワなどで青梅や紫蘇見かけることもあり、いつかチャレンジしてみたい、と思って何年になるだろうか。材料が入手困難だから、ではなく、本気でやる気持ちがなかなか湧かないのが残念である。いいえ、本当はやる気はあるのだが、時間の問題が私を怠け者にさせる。赤紫蘇のジュースは少し前福岡の知人宅で自家製のものを楽しんだことがあり、あのおいしさを思い出しては、今年こそ、と思うのだが。。。そうそう、そうだった、赤紫蘇自体を見かけないのだ。緑の紫蘇は10枚ほどのパッケージで売っているのに、ジュースに使う大量の赤紫蘇はミツワにもない。


お隣の国、メキシコにはAqua de Jamaica(アクア・デ・ハマイカ=ハイビスカス水=ハイビスカス茶)があちらこちらの屋台で、あるいはレストランで売られている。カリフォルニア州はテキサスやアリゾナ同様メキシコに隣接するため、メキシコ食文化がこちら側でも発達して、国境を越えずともハマイカは楽しめる。けれど、同じ赤いジュースでも、赤紫蘇ジュースが欲しい。青梅から作る梅シロップが欲しい。青梅はともかくとして、赤紫蘇は、それならば、かつて母が庭で栽培していたように、私もそうしたらいいのではないか、と考えて、早速北澤商会から取り寄せたカタログを取り出した。


北米にお住みの方は、北澤商会(Kitazawa Seed Company)をご存知ではなかろうか。社名を知らずとも、おそらく日系商店の片隅に置かれているマニラ紙の小さな封筒に緑のインクで野菜のイラストが何の種なのか示している種袋をお見掛けになったことがおありかもしれない。北澤商会は、1917年カリフォルニア州サンノゼでギジュウ・キタザワ氏によって始められた。現在はオークランド市に会社はあるが、アメリカ全土に日本野菜やアジア的な野菜の種子を届けている。もちろんここではちゃんと赤紫蘇の種も販売している。種子カタログをご希望の方は、こちらのPDFを右クリックで新しいタブでどうぞ。ちなみに種子パケットは一袋$4である。園芸店や日系商店では$4よりも少し安く売っている。



Credit: Courtesy of Maya Shiroyama

創業当時1917年の加州サンノゼの北澤商会。左:創業者のギジュウ・キタザワ氏



このカタログや種子袋を目にすると、一種の懐かしさを覚えるのは何故だろう。創業時と変わらぬ実直な商いの仕方が続いていると思える。この北澤商会について、カリフォルニア州立大学バークレー校大学院を卒業して、サンフランシスコ湾地域でジャーナリストとなったアリッサ・ジオング・ペリーによって書かれた記事がPublic Radio International(PRI)にある。題して、「如何にしてひとつの日系アメリカ人のビジネスが第二次世界大戦を生き抜き、二つの家族をつなげたか」。


「シロヤマ・マヤと彼女の夫は、カリフォルニア州サンノゼにあるランチ風の家で、車を停めた。そこには網戸の所に一人の老人が二人を待っている。87歳(注:この記事は2017年11月10日付)のトム・キタザワは、百年前に北澤商会(キタザワ・シード・カンパニー)を開業した創業者の最後の生き残りの息子である。


トムの父親、ギジュウは、日本からの移民で、ふるさとの味が恋しい日系人のために、日本茄子、シソの葉、大根などの野菜の種を売っていた。

 

 

しかし、この種子会社は数回経営難に陥った - 最初は、北澤家が他の何万人もの日系アメリカ人と共に第二次世界大戦中、収容所に送られた時である。 ギジュウは終戦後、会社を一から再構築しなければならなかった。

 

 

そして数十年後、ある日系アメリカ人家族(シロヤマ・マヤの家族)が事業を閉鎖から救った。しかし、この二家族は、今年になるまで座って話をする機会が一度もなかった。


 

第二次世界大戦以前は、日系アメリカ人の3分の2は、農業、あるいは農業関連事業に従事していた。戦争はそれをすべて変えた。


 

日本がパールハーバーを襲撃してから2ヵ月後の1942年2月、フランクリンD.ルーズベルト大統領は10万人以上の日系アメリカ人の強制移住を命じた。


 

当時少年だったトム(キタザワ)は、サンノゼを去ることを強制されたのを覚えている。彼の父親は、すべての種苗を売却しなければならなかった。いつ、もしもできるとしたら、帰ってこられるかわからなかったからである。


 

「持ち運べるものしか持っていけないので、人々は家の中のすべてを処分しなければならなかったのです」と、トムはマヤに言う。


トムは家族のワイオミング州ハートマウンテン戦時移住収容所への旅を振り返り、言った、「私たちはみんな鉄道線路に連れて行かれました。鉄道の駅ではなく、鉄道の線路です。」


家族は屋根付きの貨物車に押し込まれて、ハートマウンテンへ連れて行かれ、その旅は数日間続いた、と彼は言う。


戦後、やがて北澤家はサンノゼに戻った。そしてトムが言うには、彼の父親、ギジュウが、事業を再開するために一生懸命働いたそうだ。


「彼はすぐにしなければならないと感じた種類のことをし始めました」とトムは言う。彼はいくつかの種子会社とそこの種子供給業者に連絡を取った。


次世代(経営者)のシロヤマ・マヤと北澤家との関係は戦後から始まった。彼女は1950年代に生まれ、彼女の父方・母方両方の祖父母たちが農場を持っていたフレズノ郊外で育った。彼女の祖父母たちも戦時収容所に送られたが、(フレズノに)戻ると農業を再開した。


「両家族(マヤの家族と北澤家)とも(自分達の農場に)戻れたのは幸運なことでした」と彼女はトムに言う。 「(両家族の)隣人たちが(収容所に送られている間農場の)世話をしてくれていました。そして北澤さんから私は園芸について学びました。」


しかし、マヤは自分が植えた種がいつの日か彼女の家族とトムの家族を結ぶことを知らなかった。


1999年に、マヤはなぜ彼女の父親が注文した種の配送が滞っているのか調べるために北澤種子会社へ行った。そこで彼女は、会社を経営していたトムの姉妹から、事業がうまくいっていないことを知り、事業閉鎖を計画していると聞いたのだ。


「北澤シードカンパニーは日系アメリカ人の歴史の大きな一部であるから、それは非常に残念なことだ、と私は言ったのです。」とマヤは言う。


その翌年、彼女はその会社を買い取り、それをオークランドに移した。北澤は現在オンラインストアを持ち、日本やアジアの他の地域からの何百種類もの野菜の種を提供している。


しかし、いくつかのものは昔と変わらず同じままだ - 緑色のインクで記されている小さなマニラ紙の種子封筒のように。


マヤと彼女の夫がいとまを告げる前に、トム北澤は孫のために何冊か種のカタログを送るようにと二人に頼む - 孫たちが自分たちの家族歴史を知るように。

alamedabackyardgrowers.org



この記事を読んだ私は、早速赤紫蘇の種と日本茄子、そして小松菜の種を注文した。








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動物を愛する人

2019-06-12 | わたしの好きなもの

 pinterest.com

 

 

 

 


狼犬のマヤがいなくなってから、多くの隣近所の飼い猫が、我が家の庭にやってくる。以前は汚されるのが嫌だったが、夏の日差しの強い頃に庭のレッドウッドの下を好んで涼みによく来ている。ついでにオポッサムを追い出してくれたりもするので、好きにしてくれたらいいと思うようになった。私の住む所では、実は野良猫や野良犬は滅多に見かけない。犬のようだが太い尻尾を持つキットフォックスと言われる小さめのキツネや、有袋類のオポッサムはその代わりよく見かける。つい最近はボブキャットが車の多い街中の往来をのんびりと歩いていた。オポッサムはアライグマや野ネズミ同様人家の天井裏などに巣を作る。撤去するのがたやすくない。そうした動物は、猫(チリチリと首輪の鈴をならしてやってくる飼い猫たち)が頻繁に庭にやってくることでかなり逃げ出してくれる。害獣でも、殺傷したくはなく、追い出してくれれば、それはありがたいことである。


おそらくペットロスから、私は多くの動物を愛する方々のブログを訪れる。愛らしい動物たちの写真もさながら、お書きになることも私は興味を覚える。高級なペットをお持ちの方もいらっしゃるが、それ以外に、雑種犬や野良猫や野鳥やらを慈しんでたくさんの愛情を持ってお世話している多くの方々のブログはいつ拝読しても心が打たれる。同じ屋根の下に暮らしてはいなくとも、給餌や給水は欠かさず、怪我や病気の際には獣医へなんとかして連れていく。もちろん看取りもするし、とにかくこうした野良となった動物たちのお世話を欠かさないのである。沖縄のある女性は「使い物」にならなくなって路上に放りだされて捨てられた瀕死の軍鶏を拾っては看護して助けているという記事も読んだ。言葉を持たない者、力のない者への深い愛情をお持ちになるこうした方々は行動を起こしてお世話なさっていらっしゃる。野良特有の文字通り満身創痍の猫を最近みかけないが、と心を痛め、戻ってくると喜んでいつでも用意してある餌や水をその猫のすぐ近くへ持っていく。こうした行為をなさる方々には頭が下がるし、涙さえこぼれる。それはまるで庭によく見かけるセント・フランシスの像が生き返ったかのようである。


アメリカでは、セント・フランシス、日本では聖フランシスコあるいは聖フランチェスコ。そう、かのアッシシ(アッシジとは日本語で)の聖フランシスコのことである。確かに私はクリスチャンであっても、旧教徒ではないのだが、高校生の頃にセント・フランシスの作った讃美歌のひとつ(All creatures of our God and King;邦題:神は造り主)が素朴で美しいと感じたことと、彼の生涯もたいしたものであったので感銘を受けて興味を覚えたのである。


裕福な家庭に生まれたフランシスはどの人にも礼儀正しく接してはいたが、散財家で、享楽的な生活をしていた。しかしながら若いうちに神の啓示を受けたり、聖痕(スティグマータ)も受けたとされ、そうした経験からこの世俗社会を抜け出し、修道士となる。私が興味を持つのは、修道士となる過程や結果よりも、彼の自然保護や動物愛護の精神である。欧米の民家の庭にセント・フランスの像をよく見かける。それは大抵その肩に鳥が止まっていたり、足元には羊や犬や猫などの動物がいたりする。中には両手が鳥の水浴びや餌のために使われる鉢を抱えている像もある。


lowes.com




簡素で謙虚な道を行く生涯を選んだセント・フランシスは、動物に話しかけ、魚にさえ教えを説いたという伝説もあるが、声なきもの、小さいものへの愛情を示すことは、どのような宗教でも無宗教でも、人間として最善を尽くすことのひとつではあるまいか。昨今の小児に対する理不尽なむごい犯罪を見て、ただ深い悲しみに包まれるだけではなく、万物の命を尊ぶ生き方について改めて考えたいものだ。それを実行なさっていらっしゃる方々がこのブログ世界に多いことは、暗闇に光る希望である。





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末娘のこと

2019-06-10 | 家族

zyzixun.net

 

 

 

 

 

この夏は祖母業(あるいは母親業)が忙しくなる。六月十四日に帝王切開が予定されている次男の妻が第二子を迎え、翌月には末娘夫婦に初子となる息子が、そしてその先には長女の第二子が誕生する。三人とも男児である。末娘と長女は同じカリフォルニア住人である故、産後のお手伝いに参じるが、ドイツ在住の次男夫婦はスエーデンから妻の母親が駆けつけることになっている。娘の産後の手伝いはやはり実母の方が私の経験からしてもいい。

 

その末娘が先日三日ほど入院した。娘は高熱を出し、母子ともに鼓動が早く、容態が安定するまで入院となった。各検査の結果は良好で、抗生物質と解熱剤の両方が効果を奏し、やっと退院できた。退院したその日に夫と私は会いに行ったが、おそらく風邪だろうという診断が下され、いつも健康に溢れている娘が大分やつれていた。入院中産科医も始終胎児の様子をモニターし、まったく異常がなかったのは、本当に幸いなことだった。疲労困憊な娘は、症状があった間、満足に食事を取れずに、ただただ胎児に悪いことをした、とこぼしていたが、夫と私がきちんとした食事を用意すると、やっと食欲が出てきたようだった。

 

娘の入院した病院は、彼女の勤務する大学病院で、娘が入院したと知った同僚たちはかわるがわる娘にランチを一緒に食べたい、お見舞いに行きたい、と連絡してきたそうで、そのたび娘は感染を恐れる病院が入院中は夫以外会えないことにしたため、泣く泣く断ったそうだ。良い職場、良い同僚、そして良いボスに常に恵まれている娘である。


娘の夫は法科大学一年目を四月に終えて、先月から夏季インターンシップが始まっており、サンディエゴから列車で二時間かけて週四日オレンジカウンティの彼曰く”Big laywer"の許へ通勤している。八月からの二年で、その彼もJD(Juris Doctor degree=法務博士)となり、カリフォルニア州の弁護士資格試験を通れば、父親と兄弟と同じ弁護士となる。そんな夫を末娘が賢明に支えている様子は、親として応援・支援以外のなにものもない。二人の食料の買い出しを終えて、頑張れ、と夫と私は彼女をハグしてから、娘宅を後にして帰途に就いた。いったん親になると、ずっと親である。




techjunkie.com

 

彼女(達)は私の心、私の魂。
「これまでに私に起こった最高のこと」である。
多くの笑いの源、そして少しの涙も。
彼女(達)は私(達)の娘(達)であり、
私(達)の世界である。
(息子達に対しても然り。親だもの。)

 








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