ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

チェリーから

2019-06-08 | アメリカ事情

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春学期も終了し、卒業式も5月に済み、夏学期が始まったといっても、森閑としたキャンパス。夏のこのキャンパスが一番好きである。今年は冬から春にかけて降雨が多く、去年まで日照り何年目だったのが、洪水が起こるほどの雨量だ。そのために、春・夏はカリフォルニア州の野山は茶色く枯れる季節なのが、今年はまだ緑がぽつぽつとしている。キャンパスの芝生は美しい。六月に入った昨夜でも、雷雨・洪水注意報まで出される。先年大規模な山火事が起こった北部カリフォルニアのパラダイス地区は、特に洪水や土砂崩れが懸念されている。


通常冬が雨季のようなカリフォルニアは、その雨が多量だったり、頻繁過ぎると、ある農作物への弊害が起こる。今年は、チェリーにしわよせが来ている。ほぼ熟している取り入れ寸前のチェリーに雨が当たると、その薄い皮が裂け、商品化できなくなる。チェリーの値が高騰することになるが、その兆候はすでに表れてきている。テスラが製造され、その多くがそこかしこのフリーウエイを走り回り、ハイテクの殿堂のようなシリコンヴァレーのあるカリフォルニアでも、農業大国としてのカリフォルニア州でも、やはり天候は大きな賭けで、ボタンひとつで操作できる自然などまだまだありえない。


私が行った大学のある町は、西部州のひとつにあり、ストーン・フルーツと言われる種の大きな桃、プラムやチェリーの産地でもある。その町は大学生が利用する大学構内を通る循環バスは只であったので、大学近くに住んでいたが、家近くにあるバスストップから学校へ行くのに利用した。そのバスストップのある角の家には前庭に大きなチェリーの木が植えられていて、今頃の季節にはビング・チェリーが大量になり、バスを待つ乗客たちは気が向くと、一つ二つ取って食していたものだ。私もつまんだことがあるが、鳥に摘まれるのと同じにその木の持ち主はそれを許していて、毎年特に収穫をしてどうのこうのよりもバスを利用する客たちにどうぞご自由にお摘みください、としていたのだった。甘いチェリーは喉を潤し、一粒でも心が豊かになるようだった。今でもビングチェリーが売り出されるとその頃のことを思い出す。


拙宅の左右の横庭にそれぞれ柑橘類とストーンフルーツ類を植えているが、毎年約束通りのように収穫できるのは、ネクタリンと白桃、柑橘類で、チェリーとイチジクはずいぶん長い間その実を見ていない。夫の趣味だが、耕しに耕しても、ハード・パン(硬土層)と言われる固い水はけの悪い土壌には合わないのかもしれない。それでも夫は冬場に枝を剪定する度に、「来年は頑張って」と期待している。大学町にあったバスストップの大きなチェリーの木は、持ち主が特に目をかけて栽培していたのでもなく、ごく普通にそこに植わっているのが木にとってしあわせかのように、毎年毎年質のよい実をならせていた。それは適材適所の大当たりということなのかもしれない。


できるならば、キャンパスを巣立っていった卒業生諸君が、それぞれ適所を得て、適材となり、活躍してほしいものである。例年通りの天候ではない時でも、育つ農作物はたくさんある。ハード・パンであろうがなかろうが、しっかり根を張って立派な実をつける果樹もある。そういえば、今年の学院卒業生の特筆すべき人々の中の一人は、25年間服役した男性である。彼は貧しい生まれと育った環境から、ついつい悪に染まり、若い時に入獄し、その長い服役生活中、逆境にあっても教育を受ければ、世の中なんとかなる、と気が付き、所内でまず高校卒業資格を取得した。それからカレッジの単位を取得し、次は四年制の大学の学士過程を習得し、出所する頃には、大学院へ進むことを固く決意し、社会福祉学を学ぶことにした。苦学の末、彼はこの五月に学部長メダリストに選ばれる優秀な成績を収め、修士号を持って卒業したのだ。齢52歳。彼は取得した社会福祉学の知識と自らの経験を使って、ソーシャルワーカーとして、自分と同じ境遇の若い人々を助けて行きたいと燃えている。そして難しい土壌に生まれ育っても、教育こそが、地にしっかり根をはるに必要なことだ、と伝えていきたいと語る。ソーシャルワーカーとなる彼は、多くのよい実を結び、多くの人に恩恵を分け与えることだろう、あの学生町のチェリーの木のように。


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コメント (2)
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