ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

ハンモックを編む

2019-06-02 | アメリカ事情

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カウントリーマガジンという田舎暮らしの写真、料理、レせピなどを載せる雑誌がある。以前姉が、私にその購読をプレゼントしてくれて、一年間読んでいたが、写真はきれいだし、昔懐かしい料理や、気の利いた記事も好ましく、楽しんだ。その雑誌に載った一つの記事をご紹介。ダニエル・テイラーという記者が書いた記事である。題して;

 

 

彼の会社は、言う;そのすべての製作年月、彼は一目とてやり損ねたことはない

 

手編みのハンモックは鋭い目、熟練した手、そして多くの忍耐を必要とする芸術である。しかし、レンウッド・ハドックの場合、盲目であることが有利に働く。十分訓練を受けてきた彼の敏感な手は、複雑なプロセスのあらゆるステップを鋭く認識している。 1986年に始めて以来、レンウッドは、その技術を余すことなく尽くして約145,000の完璧なハンモックを織っている。


現在61歳のレンウッドは、1973年、18歳で狩猟事故により視力を失った。 「私の仕事のキャリア全体は盲目で、行われたということです」と彼は言う。彼の最初の仕事は、木工としてだったが、働いていた組織が閉鎖された時、ノースカロライナ州盲人サービス部門はハッテラスハンモック社と彼を結びつけた。


その仕事の初日に、「私は合計でひとつのハンモック作りをしたんです」と、レンウッドは思い出して笑う。 「それから帰宅してソファに横になり寝ました。私は重量挙げをしますが、(ハンモックを)織り始めるまでは、思ったほど屈強ではありませんでした。(ハンモックを作ることは)多くのエネルギーを必要とし、大抵一日中立ちっぱなしなんです。」



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しかし、やがて、レンウッドは良い仕事流れのリズムに入り、その仕事にコツがあることに気付いた。当初彼は現場で働いていたが、1年後に彼は木工時代の十年間勉強の場だった自宅のワークショップに自分の仕事を移した。


そこで、彼は毎週何十もの綿、ポリエステル、デユラコードのロープで様々なサイズのハンモックを作っている。ある日、彼は自分の携帯電話の歩数カウンターが、自分のワークショップを一歩も離れずに8マイルも歩いたことを記録していたのに気付いた。


ハンモックを織るプロセスは何百ものループを作り、ひとつづつつなげていく。ループを見逃したスティッチが一つでもあると、ハンモックに穴が開き、それが編むうちにどんどん広がり、使用するのに不快適であるばかりか、使用が危険にさえさせる可能性がある。経験豊富な編手でさえ、時にはそんなループを見逃すことがあるが、会社の知る限りでは、レンウッドは一度も目を落としたことはなく、ハンモックを作りあげる。


彼の左手の親指がロープのすべてのループに触れながら、軽快なレンウッドの指はすばやくそれらのをつかみ、間違いがあれば、即座に直すことができる。


レンウッドが三十年前にハッテラス・ハンモック社で仕事を始めて以来、社は他のブランドを買収合併し、その名をハンモック・ソースに変更した。今日、会社は世界最大のハンモックのメーカーの売り手であり、そのハンモックはすべて手編で作られている。


そうした変更期を通して、レンウッドのルーティンはほとんど変わっていない。彼の手指はロープの列を横切って前後に動き、ロープを輪にして引っ張る。彼は一つづつ撚ったロープを引き締め、均一な製品を作り出す。レンウッドはすべてのハンモックを完璧に生み出せるよう専念している。 「私は目の見える方々が、それをどのように行うかわかりません。」と彼は言う。



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