新令和日本史編纂所

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

自民党戦国バトル 総裁候補乱立

2021-09-05 09:09:05 | 新日本意外史 古代から現代まで


  自民党戦国バトル
 
  総裁候補乱立


それ倩(つらつら)想ん見る秋の自民党総裁選挙。
老生、今回の自民党総裁選を見るにつけ、日本国をどうするのか、どんな国にしたいのか、大きな構想力に、強い意志とリーダーシップのある政治家が居ないことに失望している。
どの候補者も小粒で、日本の将来を考えたとき暗澹たる気持ちを禁じ得ない。
女では高市早苗氏と野田聖子氏が立候補が取り沙汰されてはいるが。




菅氏は、元々が「総理になろう、なりたい」という強烈な願望と意思の無かった男である。棚ボタでひょんなことから最高権力者の座に就いたから大変である。
彼の人気は最低だが、大局的に政策は決して間違ってはいなかったし、無難にこなしてきたし、公約もほぼ実施している。
武漢病毒悪性肺炎(新型コロナウイルス)対策にしても、中国のような共産党の恐怖政治で押さえつける手法は採れない。
欧米やインド、ブラジルなど、日本も民主主義国家は試行錯誤の連続で現在も呻吟している。


問題も、対策も山積みではあるが、そんな中で、この一年半で死者数16000人に留まっているのは上出来ではないか。
今回菅氏は総裁選には立候補をとり辞めた。勝てないと見極め、戦意喪失したのだろう。その顔に無念さが滲み出ていて察してあまりある。だか潔い、情けない、敵前逃亡だと評論家は無責任だから喧しい。
口下手だ、発信力がないと酷評されながらも、氏は基本的には真面目な男である。
だが、戦争も喧嘩も負けると判ったらしないのが当たり前。「男一匹、行くぞハジキの雨の中」と突っ込んだらやくざの世界。
かって日本の軍部は勝てない戦争に、世界を相手に戦って大敗したという教訓を忘れてはなるまい。


野党は悪辣さの規模は小さいが、自民党の権力闘争は複雑怪奇で面白い。男の嫉妬と恨みが渦巻く永田町で、首相を目指す闘争は「オールイカサマ何でもあり」なのである。
選挙に至る過程の駆け引きを汚い、卑怯だとマスコミや評論家、国民も批判する。しかし小学校の生徒会役員選挙さえ「買収」が行われているのである。
アメリカの大統領選挙の凄まじさは周知のことである。
中国や北朝鮮の権力闘争は、何千何万人の邪魔者を殺してトップを手に入れる、血塗られた手段が定番なのと比べれば、民主主義は「殺し有り」が無いだけマシといえよう。


かって中曽根元総理は若い頃から大きなビジョンを持ち、高い志があった政治家だった。
若い頃から首相になりたいという強い願望を持っていたが、当初は自分に派閥がなく、首相になる道のりなど全く見えなかった。
しかし、諦めることなく、首相公選制を呼びかけ「首相を選挙で選ぼう」と自らが首相になれる道を切り拓こうとした。
三公社五現業の民営化を掲げてそれを成し遂げた。


小泉元首相が「コケの一念」で、郵政民営化を成し遂げたときには、最終的に自民党議員からも支持をされない中で、解散総選挙に持ち込んで数々の刺客を放って選挙に勝ち、実現にこぎつけた。
2人とも若い頃からこれらの問題を提起し、一点突破主義で集中し、最終的に成果を上げている。
二人の成し遂げた政策は、現在評価が分かれるが、大切なことは戦争で言う「集中と突破力」なのである。
また、若いうちから、大きなビジョンを持ち、政治家になりたいという人間も少なくなった。
何しろ、子供たちが政治家になるという「大志」を持った者が居ない。将来なりたい職業はスポーツ選手、ゲーマー、バテシェ、タレントで、漫才屋などという頓珍漢も多い。
野党に至っては、枝野や安住などの「すっ飛び小僧」ではコメントのしようがない。次は立憲民主党を中心の野党が衆議院選挙で勝って政権奪取というが無理だろう。
誰が次の総理になっても日本は変わらないし、明るい未来を展望することはできない。


追記


中国寄りの考えがちらほら見られる候補者の中で、高市早苗氏の政策には注目すべきものがある。
彼女の「日本経済強靭化計画」はアベノミクスの拡大継承でいただけないが、
防衛予算増強で中国と決然と対峙する政策は良い。また憲法改正と国防軍明記も良い。
コロナ対策では治療薬の国内生産の供給に予算を付けるのは良い。
それは「生産協力企業への国費支援策の具体化」「研究開発拠点、生産拠点の国内回帰を促す税制財政支援策の構築」「基礎的原材料の確保」である。
これだけのことをやってくれるなら、「高市早苗総理大臣」もよろしい。


今甦る!! 令和に必読の書 『さらば星座』(黒岩重吾)

2021-09-01 10:36:16 | 新日本意外史 古代から現代まで



今甦る!!
令和に必読の書 『さらば星座』(黒岩重吾)


久しぶりに書庫から「黒岩重吾」の小説「さらば星座」の全巻を取り出し読み終えた。全2400ページにも及ぶ大冊である。
戦火で父母を失い、敗戦後の大阪の廃墟を逞しく生き抜いた「春日正明」11歳から30歳までの物語である。
正明と同じ境遇の恋人であり、紆余曲折を経て夫婦になる悦子との愛の遍歴でもある。これは作者黒岩が多くの本に書いているように、実体験の投影でもある。
この二人を取り巻く登場人物も多彩で、香港(中国)人、朝鮮人、警察官、弁護士、元軍人、教師、役人、ヤクザ、娼婦、政治家、総会屋、ホステス、新聞記者と、社会のあらゆる階層の人間が登場し、
社会派作家と謂われた黒岩の面目躍如たるものがある。


日本は連合国に原爆まで落とされ、完膚なきまでに叩かれ、国土は廃墟と化し、国民の命も多くを失った。
その全て「無」の中から、日本人は立ち上がり、世界に冠たる見事な復興を成し遂げた。正明と悦子も日本の成長とともに人間的に成長し、30歳を迎える。
物語は愛、友情、ロマン、勇気、夢、尊敬、性愛、暴力、裏切り、策謀、人間の欲望全てを描きながら進む。


敗戦後76年を経た21世紀の情報化時代の現代、世界は決して平和とは言えない状況に在る。局地戦争、テロ、飢餓、覇権国家中国と米国との対立。
猖獗を極める武漢病毒悪性肺炎(新型コロナウイルス)。日本は急速に進む人口減少と、国家財政の破綻を目前にして、「頼れない政府」の迷走。
こうした、物質と情報が氾濫し、混迷とカオスの時代こそ、「黎明の時」と発想を転換し、男は夢と勇気持って生きていくべきだろう。そのヒントがこの書に在る。




余談になるが、黒岩の書は古代史物を除いてほぼ全ては所持しているファンの一人である。昭和の作家は晩年、エロものに走るか、宗教物や、歴史物に行き着くのが定番である。
黒岩は古代史の分野にも多くの著作を残しているが、全ての基を「記紀」に依拠している。そして古代史にロマンを求めている。彼ほどの頭の良い碩学もここだけは惜しい。




以下に作者のあとがきを引用しておく。


  あとがき




 「さらば星座」の濁流の巻を初めて「週刊ポスト」に掲載したのは、昭和五十年の秋であった。完結までまる十四年間もかかっている。
私のこれまでの作品の中で、これほど長期間にわたって連載した小説はない。
 勿論、濁流の巻から黎明の巻までの間、数年ほど筆を休ませたこともあったが、その間も私の脳裡から、主人公の正明の存在が薄れたことは一度もない。
 そういう意味では、春日正明は私自身であった。また時には友人でもあった。正明は戦災孤児である。それだけではなく、血縁者のいない天涯孤独の孤児だ。
 私は正明と共に歩きながら、何度もぐれはしないか、と冷や冷やした。大阪で戦災で死亡した母の遺骨を奪われ、社会と大人への復讐の憤りをたぎらせながら浮浪児となった正明は、ただ飢えとの闘いに明け暮れ、
焼野ヶ原を放浪したのである。そういう意味で正明は野生児であり、彼を縛るものは何もない。正明を縛ろうとした収容所の職員や警官は、自由に生きたいという願望の炎に油を注ぐばかりだ。
 間違いなく正明は、他の浮浪児の多くがそうだったように、ぐれて自然なのである。


 だが正明は、ぐれなかった。それは正明が生まれながらに体内に持っている血のせいであろう。血という言葉で表現したが、たんなる血ではなく、正明の自浄力の強靭さであり、ロマンに対する渇望が熾烈だからである。
 確かに正明は相川という師を持つことが出来たが、それも正明が求めたロマンのせいであり、悦子にいたっては、ロマンの花といえよう。
 もし正明に自浄力とロマンが稀薄であったなら、間違いなく正明は歪み、社会の裏街道を歩んでいたであろう。
 大事なのは正明が精神面でも崖っぷちを歩きながら、飢えがもたらす人間性の破壊に負けなかったことである。


 日本の社会は昭和三十五年頃から高度成長期に入り、贅沢な生活にどっぷり浸り、即物的なものが、人間の精神を支配するようになった。
 私は人間が人間であることの唯一の誇りは、即物的なものにあるのではなく、ロマンへの渇望であることを正明を通じ知っていただきたい、と切望するのである。
 高級品に憧れ、美味を求めて生きることも、決して悪いことではない。ただそれに溺れ、人間の誇りを忘れた瞬間から、その人間はビッグと呼ばれても、憤る権利を自ら放染したことを認識すべきであろう。
 勿論、正明は完全な入間ではない。完全な人間とは、キリストや釈迦など、煩悩から解脱し、神と仰がれる存在であり、人間では存在し得ない。
 煩悩があるからこそ人間であり、不完全なればこそ血が通っているといえよう。


 やっと三歳に達した正明け、今後の人生を社会の汚濁の中で過さねばならない。多分、正明も迷い、苦しみ、汚濁の飛沫を浴びることになるだろう。
 ただ私は正明はロマンの火だけは消さないで生きて行くことを信じている。なお、正明が存在し得だのは、実際に戦災孤児であった北垣庄助氏から、戦災孤児の実態を教えていただいたおかげである。
 北垣氏は現在、大阪市で印刷会社を経営するかたわら、養護施設や児童福社関係に力を注がれている。北垣氏には心からお礼を申し上げたい。


 一九八九年十月


   黒岩重吾




◆ 略 歴


旧制宇陀中学(現:奈良県立大宇陀高等学校)、同志社大学法学部卒。同志社大学在学中に学徒出陣し、北満に出征する。


敗戦による逃避行の末、1946年に朝鮮に辿り着き、内地へ帰還した。


復学後に闇ブローカー業を行い、卒業後は日本勧業証券(現みずほインベスターズ証券)に入社。


1949年に「北満病棟記」を書き、『週刊朝日』の記録文学コンクールに入選、同人誌「文学者」のグループに参加した。


ドッジ政策により株相場で大失敗し、家財を売り払って株の情報屋となり、次いで「証券新報」設立に参加する。


1953年、悪食を試み、腐った肉を食べたことで小児麻痺を発病し、以後3年間入院生活を送る。


退院後は、入院中に株が暴落し、帰るべきところがなくなったために、釜ヶ崎(あいりん地区)のドヤ街に移り住み、トランプ占い、キャバレーの呼び込み、「水道産業新聞」編集長などさまざまな職業を経験する。


1958年に「ネオンと三角帽子」がサンデー毎日に入選、発表。


1960年に「青い花火」が「週刊朝日」「宝石」共催の懸賞に佳作入選。同年、書き下ろしで『休日の断崖』を刊行し、直木賞候補となる。


翌年に釜ヶ崎を舞台にした『背徳のメス』で直木賞を受賞している。


以後、「西成モノ」を主に、金銭欲・権力欲に捕らわれた人間の内面を巧みに抉った社会派推理・風俗小説作家として活躍した。


1963年、日本推理作家協会関西支部長に就任。直木賞選考委員、奈良文学賞選考委員を務めた。


◆ 古代史転向


1970年代後半から、以前より関心のあった古代史を舞台にした歴史小説の執筆を始め、『天の川の太陽』で吉川英治文学賞をした。


また、一連の作品により菊池寛賞を受賞している。


代表的な古代史小説に『聖徳太子』『天翔ける白日』『白鳥の王子ヤマトタケル』などがある。


2003年3月7日午後1時20分、肝不全のため兵庫県西宮市内の病院で死去した。享年79歳。