新令和日本史編纂所

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

プラモデルの断捨離

2021-09-18 18:58:43 | 新日本意外史 古代から現代まで

プラモデルの断捨離


老生、男の終い支度として、身の回りの物をほとんど捨てた。
その中に趣味で作ったプラモデルが数百点在る。これも業者に綺麗さっぱり全て引き取ってもらった。
プラモデルなどというシロモノは興味のない人間にとってはただのプラスチックの厄介なゴミにすぎない。
ただ、比較的印象に残っている作品は画像としてクラウドサーバーにUPし保存してある。
これはその中の一点だが、当ブログの「小難しい文章」の合間の一服としてお許しいただきたい。
武器はどんな綺麗ごとをいっても紛れもない「殺し道具」でしかない。しかし小は拳銃やナイフから戦艦大和まで、その機能と美しさが一致した究極の造形美は事実であり、皮肉でもある。
なお、作品のほとんどはリアルさを追求する「汚れ技法」は使っていない。武器が綺麗だということは、戦争がないということだから。




ドイツ空軍ジェット戦闘機 ホルテン(Ho229)


以下、実物写真と説明文はウイキペディアからの転載です。


ホルテン兄弟は少年期からグライダーや全翼機に興味を持っていた。彼らは当時のドイツで盛んだったグライダー競技会の少年向けスケールモデルグライダー部門で1931年~1933年に連続優勝するほどの腕前であった。
1931年にはH Iを初飛行させた。主として設計は弟のライマールが担当し、パイロットでもある兄ヴァルターがその支援や試験を行っていた。1936年にドイツは再軍備を宣言し、兄弟は新生ドイツ空軍に入隊した。
兄のヴァルターは情報士官パイロットとして、弟ライマールは飛行教官として任官した。兄弟は空軍での勤務の傍ら、無尾翼機の研究開発を行っていたアレクサンダー・リピッシュ 博士の指導も受けて、
全翼機の設計・製作を続け、1936年~1938年の間にH II,III,IV,Vを誕生させた。
2年後の1941年、戦闘機査察技術部に転任したヴァルターはライマールを転属させ、11月以降、兄弟揃って全翼機開発に取り組んだ。1943年、ヘルマン・ゲーリングは3×1000計画(„Projekt 3000“).を計画した。
これは時速1000キロメートルで1トン(=1000キログラム)の爆弾を搭載して1000キロメートルの距離を行動できる爆撃機を作るというものだった。
1943年2月、ホルテン兄弟はこの計画にジェットエンジンを動力とする全翼機を製作するというホルテンIX計画で応募した。その提案では速度900km/h、爆弾搭載量700kg、航続距離2,000kmを目指すものであった。
1943年8月ゲーリングは兄弟と面会し提案内容を承認、ドイツ空軍はホルテン兄弟に50万ライヒスマルクの援助を約束し計画は実行されることとなった。


1944年3月1日、無動力のプロトタイプ、型式番号H IX V1の初飛行が成功。搭載エンジンとして当初はBMW 003が予定されていた。このエンジンは小型大出力を目指す野心的な設計だったが、開発の遅れによる供給困難のため、
より大型のJumo004にエンジンの変更を余儀なくされた。Jumo004は直径が大きく重量も重かったため、緊急に設計変更が行われたが、兄弟はこの問題を解決し、1944年12月にH IX V2が完成した。
翌年2月2日にテストパイロットエルヴィン・ツィラー中尉(Elwin Ziller)により初飛行したV2は満足すべき性能と安定性を見せた。


ただ、V2は2月26日のテストフライト時(通算4回目、飛行時間2時間弱時)にエンジンのフレームアウトを起こし墜落、炎上した。緊急着陸に失敗したパイロットのエルヴィン・ツィラーは死亡した。
ただテストフライト自体の結果は良好であり、高性能を喜んだ空軍は本機をHo229として制式化した。量産能力を持たないホルテン兄弟の代りにゴータ社とクレム社に量産を発注した。
戦局を覆す可能性がある高性能機として軍当局の期待は高く、複座型や夜間戦闘機型といった多様な派生型が計画、製作された。


鋼管フレーム構造が良く分かる写真


本機は鋼管のフレームに接着剤でベニヤ板を組み付けるといった簡易な構造で製造が容易であり、またアルミニウムといった戦略物資を多用しないように配慮されていた。塗料には炭素粉を使用するなど、
世界初のレーダーステルス機といえる。。派生型はV3からV6まで各地で製作途中であったが、結局ドイツは敗戦し製作も打ち切られた。
翼型はS字キャンバーではないことが判る一番完成度が高かったV3はフリードリヒローダ(ドイツ語版)にあったゴータ社工場で侵攻してきたパットン将軍指揮下のアメリカ陸軍第3軍に鹵獲された。
現在はアメリカ国立航空宇宙博物館のP.E.ガーバー施設にて保管されている(ただし両翼の先端は現在失われている)。
この機体の後尾部に書かれている鉤十字は捕獲時の記録写真にはなく、戦後にアメリカ側が記入したものである。ホルテン兄弟の作成した他のほとんどの機体には鉤十字は垂直尾翼に書かれていた。
2009年にナショナル・ジオグラフィックは本機を復元する特別番組を制作。ノースロップ・グラマンの協力により本機の設計図を元にレプリカを作製してステルス性を検証し、
当時のイギリス軍レーダー網に対する十分なステルス性を確認した。なお、このレプリカはサンディエゴ航空宇宙博物館に寄贈されている。