消防演習
火と水はプラスとマイナスか陰陽のごとくで、人々の暮らしに重要で大切な代物である。
真夏日の焼け付くような暑さには、水は特に欠かすことはできない。喉の渇きをいやす一杯の水、体温を冷やして遊ぶ海水浴やプールでの水泳、小川での小魚採りや水遊び、幼児のたらい水、チャプチャプ水はね喜ぶ笑顔、見る親たちまで嬉しくなる。
つい火の不注意で火事となる。一一九番へ緊急電話、間もなく消防車が駆けつけ放水して消火にあたる。大火にならずに消えればよいが。
さて、現在の消火や救急に従事する隊員は、殆ど公共専従の公務員の月給取りである。それに比べて半世紀前、戦前の消防活動は町村や大に消防団を結成して、無報酬で事に当たらせていた。その団員は、団長と小頭以外の団員は血気盛んな若者達で結成されていた。
当時、男は満二十歳で徴兵検査。健康で並みな男は皆兵隊に取られ、陸軍は二年、海軍は三年の軍事教練がすむと在郷軍人(一人前の男)として帰還し、家業やその他の仕事に就く。
さあ、どこそこの息子が兵隊から戻って渡世を始めたぞ、と消防の役員が逃がさず駆けつけて団員に入れる。貸与品は忠臣蔵討ち入り兜に似た消火帽子に正帽、背に団名入りの法被に足元まである股引、地下足袋。団員としての心得は、そりゃ火事じゃと半鐘が鳴ったら、何処で何していてもサッと家に常備の衣服に身を固め、ポンプ小屋に駆けつけ、団員共同でポンプ引き出し消火にあたる。
その当時の消防団の年間行事としては、二月二日の初午、町の所々でポンプで家の屋根に水を掛け、その後団員が二、三人ずつに分かれて、火の用心の張り紙と火吹き竹を各戸に配って寄付を集める。当夜は団員が集まっての慰安会。
次は、訓練と演習を兼ねた年に一度の大消防演習。各団体(本山、大石、吉野、田井、森、地蔵寺)、五ヶ町村が本山町に集い盛大に行われた。各団には一台の手押しポンプ(約八十センチ~一メートル幅で、七、八十センチの高さの角で、空気圧力式、手動、エ形のギットンコットン)があった。
消防演習日は毎年八朔(旧八月一日)と決まっていた。立秋も過ぎ、朝晩は少し涼しくなったが、昼間の残暑はまだ真夏日である。
さて場所は、本山小学校から段々の小ぜまち田んぼの下に開けた広い川原(現在地は本山の町を大きく迂回した三九四号線のすぐ下の自動車練習場)である。
当日は、今日もまた昨日に続いて天気が良うて暑いぞ、水掛け合いの消防演習にもってこいで面白いわ、と嶺北一円の消防団やその家族、のひいきもきよい立ち、朝も早ようから御馳走の手弁当を重箱に詰め込み、部落総出の応援。
団旗を先頭に荷車に積んだポンプを引き立てた団員の後に、中の人達がわんさと続いて本山の川原に押し寄せた。
午前十時頃、団旗をかざした各団員は本山小学校に整列し、警察署長や総団長の訓示と激励を受けて一応解散し、川原にもどり昼食や休憩。昼過ぎから待望の消防訓練や競技が始まる。
先ずは訓練の水飛ばしで、吉野川の川辺十メートル余の所に間隔をおいて、各団ごとにポンプを据え、少し手前の岡にもどって総員横列し、「訓練始め」の号令で一斉に駆け出して自団のポンプへそれぞれの持ち場に着く。
吸い玉の元筒を川に投げ込む者、ホースを延べる者、筒先を持つ砲手に介添え(助手)で筒先を構える。ポンプ係はエ形のとんこめ押棒に八人から十二、三人かき付いて、そりゃ押せ、ワッショイ、ワッショイの掛け声と共に力一杯。
押棒は胸より高く腰より低く、一方上がれば一方下がる。トンコメは空圧で水を吸い上げる。押せば押すほど圧力で水を押し出す。ホースに充満した水は筒口でパチパチッと音を立てて放水する。六台のポンプ、そのトンコメを押す団員の掛け声と汗に、六本の筒口から力の入った放水は、吉野川の対岸にとどけとばかり、水は飛ぶ飛ぶ。競い合う消防士やわめきたてる観衆に水しぶきが散る。
放水訓練の行事が三十分たらずで終わると、一旦休憩。さて、次は待望の的寄せ競技となる。
しはえは広場の川辺より岡の上に、川上から下手へ約三十メートルの両脇に、なる(足場用の間伐材、棒)を立て、約五メートルの高さに八番線をパンと引き渡し、その線に一斗缶を直き付け(自在に動く)。その缶を中央にして、両側から水を飛ばして的缶を敵陣に送り付ける競技を、団体せりあげで行う。
さあ待ち兼ねた競技が始まる。両側に分かれたポンプに消防士が配置につき、奇声を挙げて手技を押し出す。的缶の下、両脇に対峙した砲手は選ばれた名手、筒先を地面に向けた放水は地砂を跳ねて合図を待つ。
「始め」の合図と共に水棒になった放水は力強く斗缶に当たり、カンカン、ガラガラと音たてて激しく競り合う水流は×の線を描いて水花が散る。攻防の内に筒持つ手元が狂いでもすると、的缶は横に滑る。防戦の砲手や筒たぐりは後ずさり、追う攻め手、共に防水は大きくくねる、持ち直して的を撃つ。
押されたり押し返したりで攻防が続く。応援観衆もハラハラ、ドキドキ、のぼせた歓声と消防士達の気勢に、火花のごとき水しぶきが小雨になって場内一帯に降りかかる。
消防士も、見る者も、共に町村対抗で力の入った楽しい競技、大消防演習は日が西に傾くまで続いた。
この消防演習は、血気な在郷軍人が軍隊に招集されるまでの戦前まで、毎年行われていた楽しい思い出の一つである。
三郎さんの昔話・・・作者紹介
三郎さんの昔話
火と水はプラスとマイナスか陰陽のごとくで、人々の暮らしに重要で大切な代物である。
真夏日の焼け付くような暑さには、水は特に欠かすことはできない。喉の渇きをいやす一杯の水、体温を冷やして遊ぶ海水浴やプールでの水泳、小川での小魚採りや水遊び、幼児のたらい水、チャプチャプ水はね喜ぶ笑顔、見る親たちまで嬉しくなる。
つい火の不注意で火事となる。一一九番へ緊急電話、間もなく消防車が駆けつけ放水して消火にあたる。大火にならずに消えればよいが。
さて、現在の消火や救急に従事する隊員は、殆ど公共専従の公務員の月給取りである。それに比べて半世紀前、戦前の消防活動は町村や大に消防団を結成して、無報酬で事に当たらせていた。その団員は、団長と小頭以外の団員は血気盛んな若者達で結成されていた。
当時、男は満二十歳で徴兵検査。健康で並みな男は皆兵隊に取られ、陸軍は二年、海軍は三年の軍事教練がすむと在郷軍人(一人前の男)として帰還し、家業やその他の仕事に就く。
さあ、どこそこの息子が兵隊から戻って渡世を始めたぞ、と消防の役員が逃がさず駆けつけて団員に入れる。貸与品は忠臣蔵討ち入り兜に似た消火帽子に正帽、背に団名入りの法被に足元まである股引、地下足袋。団員としての心得は、そりゃ火事じゃと半鐘が鳴ったら、何処で何していてもサッと家に常備の衣服に身を固め、ポンプ小屋に駆けつけ、団員共同でポンプ引き出し消火にあたる。
その当時の消防団の年間行事としては、二月二日の初午、町の所々でポンプで家の屋根に水を掛け、その後団員が二、三人ずつに分かれて、火の用心の張り紙と火吹き竹を各戸に配って寄付を集める。当夜は団員が集まっての慰安会。
次は、訓練と演習を兼ねた年に一度の大消防演習。各団体(本山、大石、吉野、田井、森、地蔵寺)、五ヶ町村が本山町に集い盛大に行われた。各団には一台の手押しポンプ(約八十センチ~一メートル幅で、七、八十センチの高さの角で、空気圧力式、手動、エ形のギットンコットン)があった。
消防演習日は毎年八朔(旧八月一日)と決まっていた。立秋も過ぎ、朝晩は少し涼しくなったが、昼間の残暑はまだ真夏日である。
さて場所は、本山小学校から段々の小ぜまち田んぼの下に開けた広い川原(現在地は本山の町を大きく迂回した三九四号線のすぐ下の自動車練習場)である。
当日は、今日もまた昨日に続いて天気が良うて暑いぞ、水掛け合いの消防演習にもってこいで面白いわ、と嶺北一円の消防団やその家族、のひいきもきよい立ち、朝も早ようから御馳走の手弁当を重箱に詰め込み、部落総出の応援。
団旗を先頭に荷車に積んだポンプを引き立てた団員の後に、中の人達がわんさと続いて本山の川原に押し寄せた。
午前十時頃、団旗をかざした各団員は本山小学校に整列し、警察署長や総団長の訓示と激励を受けて一応解散し、川原にもどり昼食や休憩。昼過ぎから待望の消防訓練や競技が始まる。
先ずは訓練の水飛ばしで、吉野川の川辺十メートル余の所に間隔をおいて、各団ごとにポンプを据え、少し手前の岡にもどって総員横列し、「訓練始め」の号令で一斉に駆け出して自団のポンプへそれぞれの持ち場に着く。
吸い玉の元筒を川に投げ込む者、ホースを延べる者、筒先を持つ砲手に介添え(助手)で筒先を構える。ポンプ係はエ形のとんこめ押棒に八人から十二、三人かき付いて、そりゃ押せ、ワッショイ、ワッショイの掛け声と共に力一杯。
押棒は胸より高く腰より低く、一方上がれば一方下がる。トンコメは空圧で水を吸い上げる。押せば押すほど圧力で水を押し出す。ホースに充満した水は筒口でパチパチッと音を立てて放水する。六台のポンプ、そのトンコメを押す団員の掛け声と汗に、六本の筒口から力の入った放水は、吉野川の対岸にとどけとばかり、水は飛ぶ飛ぶ。競い合う消防士やわめきたてる観衆に水しぶきが散る。
放水訓練の行事が三十分たらずで終わると、一旦休憩。さて、次は待望の的寄せ競技となる。
しはえは広場の川辺より岡の上に、川上から下手へ約三十メートルの両脇に、なる(足場用の間伐材、棒)を立て、約五メートルの高さに八番線をパンと引き渡し、その線に一斗缶を直き付け(自在に動く)。その缶を中央にして、両側から水を飛ばして的缶を敵陣に送り付ける競技を、団体せりあげで行う。
さあ待ち兼ねた競技が始まる。両側に分かれたポンプに消防士が配置につき、奇声を挙げて手技を押し出す。的缶の下、両脇に対峙した砲手は選ばれた名手、筒先を地面に向けた放水は地砂を跳ねて合図を待つ。
「始め」の合図と共に水棒になった放水は力強く斗缶に当たり、カンカン、ガラガラと音たてて激しく競り合う水流は×の線を描いて水花が散る。攻防の内に筒持つ手元が狂いでもすると、的缶は横に滑る。防戦の砲手や筒たぐりは後ずさり、追う攻め手、共に防水は大きくくねる、持ち直して的を撃つ。
押されたり押し返したりで攻防が続く。応援観衆もハラハラ、ドキドキ、のぼせた歓声と消防士達の気勢に、火花のごとき水しぶきが小雨になって場内一帯に降りかかる。
消防士も、見る者も、共に町村対抗で力の入った楽しい競技、大消防演習は日が西に傾くまで続いた。
この消防演習は、血気な在郷軍人が軍隊に招集されるまでの戦前まで、毎年行われていた楽しい思い出の一つである。
三郎さんの昔話・・・作者紹介
三郎さんの昔話