霊が舞う
昔から、夏が来て暑い夜の夕涼みには、怖い色々な話を聞かされたり、怪談ものの芝居や映画を見てぞうっとすると汗がひっ込んで涼しくなる妙を得ている。
最近はテレビで不思議な霊感や心霊術、超能力的な映像を多く放映するので、つい見せられて、霊への関心が高まっている。
半世紀前(戦前)の国内は現在のように開けてなくて、行者や神官や易の占い師が多く点在していた。
病気に罹って回復しないので見てもらうと、家の方角が悪いとか、誰それの霊がくっついて災いしているとか、病人に犬神やトンベ(蛇)の魔性が取り付いたとかで、これらの霊付きや魔性を取り払うには科学的な医術では手に負えず、心霊術の太夫さんに祈祷や祈りでお払いをしてもらって回復を願っていた。
当時は、霊や魔性が目に見えずして飛び舞い、怖くて不思議で、またおかしなことでもあった。
今から三十四、五年も前のこと。専売のたばこを指定店に卸売に行くため、三輪自動車に同僚と二人、運転と販売方で同乗して吉野川の北岸を川口から立川沿いの曲がりくねった三里余りの山道を登った。
仕事を終えて立川からやっと川口に出、北岸道を吉野川沿いを上へ、焼山谷を回って見渡しの良い道路の道端に、真新しい花筒にしきびや花を差し、供え物をして祭ってあった。
それを見た運転手の同僚が、「この間の晩に、こんなえいくで四十過ぎの若い男が自転車でこけて死んだがじゃと。惨いことよのうし」と言った。
それを聞いて「若いけ女房も子もあろうに、不運で惨いことねや」と二人が口を合わして同乗し、葛原橋を南岸へ渡り県道に出、高須の方へ少し登りの坂道。
悪い山道から良い道に出たので、運転手も気が楽になって、車も馬力が出て早くなった。百メートル余りの直線を走る車が左に寄り道端の青草をなでた。
あっ危ない、と思ったとたんに、車は道から外へ飛んだ。傾斜の荒い石垣に回転してヅンと当たって二回転してドンと当たった。助手台で小さい手技にかきついていたが、振り放されて体が石垣にぶちつけられた。
たばこの木箱も荷台から離れてガラガラと落ちる。十メートル余の崖下へ車は三回転して、荒れ畑へドスンとまともに落ち、それへ私と箱が重なり合った。
左肋(骨)が痛んで息が苦しい。運転の同僚はどうかと見たら、棒ハンドルを突っ張って握り、腰掛けまたいで足つんばって乗車のまま。
同僚は私を見て「兄貴どうぜよ、事ないかよ」「おらぁ振り落とされた時、何かで肋を突いて痛い、息がしにくい」「そりゃいかん」と、私を抱えてやっと道路に出て通る人に助けを求めて、私はタクシーで病院へ。運転の同僚は怪我なくて、連絡や後始末に追われた。
私の怪我は、心臓のすぐ脇を、神経痛のためしていたコルセットの真鉄がまがるほど突いて、肋骨が折れていた。何に突き当たったか後で調べたら、傾斜の石垣に生えていた梶を鎌で切って剣のようになっていたものがコルセットの真鉄に当たったもので、コルセットをしていなかったら心臓ぶっすりでした。
この事故は、道も広く直線で安全な通りであるのに、なぜこんなことになったのか腑に落ちん。それで、現場の検地や車の調子、運転手の体調や精神状態など色々と調べているうちに、ある老人の話から、それは不思議で怖い幻想が、事実となって事故を招いたとわかった。
思いがけない災難や事故で、突然死んだ人の霊は素直に成仏できず、悪霊となってさ迷い友を呼ぶという。その迷える霊に同情したりすると付け込まれて誘引されるという。怖いこと誘い殺されよった。
三輪車の事故現場から、「惨いこと」と同情した死者の場所との間は、道路が曲がりくねって大きく迂回して吉野川を渡り、南北直線(四キロ余)に見通した所に来た時、運転手は眠ってないのに目が霞み、ハッと思うた時には車は空へ飛んでいた。
運転上手で確かな同僚は今でも、「あの時はほんとに不思議じゃ、死霊に取り付かれたがじゃ」とこぼしている。
最近は路上で交通事故死者が多くて、道端に花束の供養を見掛けるが、「惨いこと」なんて同情は禁物かも。
知らぬが仏、さわらぬ神に祟りなし。
蛇もハミもよっちょれよ、はいとう様のお通りじゃ。
三郎さんの昔話・・・作者紹介
三郎さんの昔話
昔から、夏が来て暑い夜の夕涼みには、怖い色々な話を聞かされたり、怪談ものの芝居や映画を見てぞうっとすると汗がひっ込んで涼しくなる妙を得ている。
最近はテレビで不思議な霊感や心霊術、超能力的な映像を多く放映するので、つい見せられて、霊への関心が高まっている。
半世紀前(戦前)の国内は現在のように開けてなくて、行者や神官や易の占い師が多く点在していた。
病気に罹って回復しないので見てもらうと、家の方角が悪いとか、誰それの霊がくっついて災いしているとか、病人に犬神やトンベ(蛇)の魔性が取り付いたとかで、これらの霊付きや魔性を取り払うには科学的な医術では手に負えず、心霊術の太夫さんに祈祷や祈りでお払いをしてもらって回復を願っていた。
当時は、霊や魔性が目に見えずして飛び舞い、怖くて不思議で、またおかしなことでもあった。
今から三十四、五年も前のこと。専売のたばこを指定店に卸売に行くため、三輪自動車に同僚と二人、運転と販売方で同乗して吉野川の北岸を川口から立川沿いの曲がりくねった三里余りの山道を登った。
仕事を終えて立川からやっと川口に出、北岸道を吉野川沿いを上へ、焼山谷を回って見渡しの良い道路の道端に、真新しい花筒にしきびや花を差し、供え物をして祭ってあった。
それを見た運転手の同僚が、「この間の晩に、こんなえいくで四十過ぎの若い男が自転車でこけて死んだがじゃと。惨いことよのうし」と言った。
それを聞いて「若いけ女房も子もあろうに、不運で惨いことねや」と二人が口を合わして同乗し、葛原橋を南岸へ渡り県道に出、高須の方へ少し登りの坂道。
悪い山道から良い道に出たので、運転手も気が楽になって、車も馬力が出て早くなった。百メートル余りの直線を走る車が左に寄り道端の青草をなでた。
あっ危ない、と思ったとたんに、車は道から外へ飛んだ。傾斜の荒い石垣に回転してヅンと当たって二回転してドンと当たった。助手台で小さい手技にかきついていたが、振り放されて体が石垣にぶちつけられた。
たばこの木箱も荷台から離れてガラガラと落ちる。十メートル余の崖下へ車は三回転して、荒れ畑へドスンとまともに落ち、それへ私と箱が重なり合った。
左肋(骨)が痛んで息が苦しい。運転の同僚はどうかと見たら、棒ハンドルを突っ張って握り、腰掛けまたいで足つんばって乗車のまま。
同僚は私を見て「兄貴どうぜよ、事ないかよ」「おらぁ振り落とされた時、何かで肋を突いて痛い、息がしにくい」「そりゃいかん」と、私を抱えてやっと道路に出て通る人に助けを求めて、私はタクシーで病院へ。運転の同僚は怪我なくて、連絡や後始末に追われた。
私の怪我は、心臓のすぐ脇を、神経痛のためしていたコルセットの真鉄がまがるほど突いて、肋骨が折れていた。何に突き当たったか後で調べたら、傾斜の石垣に生えていた梶を鎌で切って剣のようになっていたものがコルセットの真鉄に当たったもので、コルセットをしていなかったら心臓ぶっすりでした。
この事故は、道も広く直線で安全な通りであるのに、なぜこんなことになったのか腑に落ちん。それで、現場の検地や車の調子、運転手の体調や精神状態など色々と調べているうちに、ある老人の話から、それは不思議で怖い幻想が、事実となって事故を招いたとわかった。
思いがけない災難や事故で、突然死んだ人の霊は素直に成仏できず、悪霊となってさ迷い友を呼ぶという。その迷える霊に同情したりすると付け込まれて誘引されるという。怖いこと誘い殺されよった。
三輪車の事故現場から、「惨いこと」と同情した死者の場所との間は、道路が曲がりくねって大きく迂回して吉野川を渡り、南北直線(四キロ余)に見通した所に来た時、運転手は眠ってないのに目が霞み、ハッと思うた時には車は空へ飛んでいた。
運転上手で確かな同僚は今でも、「あの時はほんとに不思議じゃ、死霊に取り付かれたがじゃ」とこぼしている。
最近は路上で交通事故死者が多くて、道端に花束の供養を見掛けるが、「惨いこと」なんて同情は禁物かも。
知らぬが仏、さわらぬ神に祟りなし。
蛇もハミもよっちょれよ、はいとう様のお通りじゃ。
三郎さんの昔話・・・作者紹介
三郎さんの昔話