帯状疱疹を発症した5/3日、私は休日診療の先生に、
「5/11から5/13日に旅行があるのですが、どうでしょう」
と、たづねました。
先生は、
「痛くてそれどころではないでしょう」
と、半ばあきれた顔で私を見ました。
まだその時は、帯状疱疹の入り口で、私は先生の言葉があまりピンとこず、
1週間や10日では治らないのか~ ぐらいの感覚でした。
5/11日から私は、40年前、4年間を過ごした懐かしい大分へ、
だいじな友に会いに行く予定でした。
夫の転勤で大分に住むことになった時、
ご近所さんだったAさんと出会い、同い年ですぐ意気投合し、
知らない土地での生活は、
常にAさんが、心の支えであり生涯の友となりました。
Aさんのお義母さんも、なにかと心に懸けてくださり、
Aさんとお揃いで、ろうけつ染めの日傘を作ってくださったり、
ワンピースを作るようにと、
私のために、Aさんと二人でろうけつ染めをして下さったりしました。
いつもお嫁さんの友人である私まで、かわいがってくださるのでした。
たくさんの思い出をいっぱい下さったお義母さんも、ご主人も亡くなり、
今、一人暮らしとなってしまったAさんです。
遠く離れていても、いつも心は近いとお互いに認めつつも、
この大分への2泊3日は、顔と顔を合わせ、
長い空白を埋める特別な時間になるはずでした。
今は一人暮らしの彼女を、ちょっとでも支えてあげられたら・・・
と、思い続けた念願の旅でもありました。
航空券をとり、ホテルを予約し、お土産も準備しました。
あの頃小学生だった子供たちも、今は家族持ちです。
その家族を紹介する写真もプリントしました。
当時小2だった息子が描いた町の絵地図も、カラーコピーし
40年前とどんなに町並みも変わったか、確かめるのも楽しみでした。
何を着ていこうか、鏡の前に立って、
年とってしまったことも忘れて、ウキウキの日が続いていました。
でも、すべてが消えてしまいました。
5/11日、床の中で痛みに耐えながら、今頃は、空を飛んでいたはずなのに・・・
大分空港から、エアライナーで、懐かしの町におりた頃なのに・・・
どこにもぶつけられない悔しさと、
待ち続けてくれていた友へ申し訳なさで、いっぱいでした。
物凄くお上手です 驚きました。
今はどんなお仕事かしら・・・?
几帳面?
お母様の宝物ですね・・・
息子2人に段ボール一箱づつ 思い出箱として子供の時の作品を保存しておきました。
お正月に息子たちがやってきた時 何十年ぶりかでこの思い出箱をあけて、子供の頃の作品を見ながら、皆で大笑いしました。
その時息子に「これは 大分の町でだいじな思い出だからだから、捨てないでよ」と言われました。
今回の大分旅行では、この絵地図をカラーコピーして持っていき、どんなに町並が変わったか確かめることも 楽しみでした。
絵地図の裏に 「2の1」と名前があるのがとっても懐かしいです。