ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

祖父の履歴書 4

2013年06月15日 | Weblog
 朝鮮半島の中ほどに位置する全羅北道南原郡。朝鮮の主要な穀倉地帯でもある。
智異山のふもとに展開する平野は秋になれば、黄金色にこの一帯が染まる。

工業が遅れた当時の朝鮮にあって、日本が大陸へと進んでいくためにはもっとも重要な
食糧確保の拠点であるため、まず農民から農地を接収することを朝鮮総督府は開始した。
 東洋拓殖銀行を設立し、朝鮮全土の農地測量を行うとの名目で土地所有制度などが法制化
されていないことに目をつけてそれまで代々に耕作していた農地をいとも簡単に、総督府は
獲得していった。
祖父もこの収奪の枠にはめられて先祖から受け継いだ農地を奪われることとなる。
 祖父には10歳上の兄と二人兄弟であった。
10歳も年が離れると兄弟というより親代わりで、祖父の兄は南原郡では名士の一人として
近隣の村人の世話から、郡役人との交渉役などを一手に引き受けた。
それは村では数少ない唯一文字を知っていたこともあり、学校にいけない村の子供たちのために
書堂(寺子屋)も開いていた。

 祖父が日本に渡るきっかけとなったのが兄が昌寧氏宗家始祖の墓建立のため、南限から西に100キロ
離れた務安郡に出かけた夜の出来事が原因となる。

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