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ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

2 祖父の履歴書

2013年06月13日 | Weblog
 祖父、ハルべと呼んだ。日本語でいうとおじいちゃんとでもいうのか。
私は母を5歳のときに無くし、神戸の長田区の朝鮮人。
鉄道の高架の壁に古材を張り付け、その骨組みにさびたトタンを乗せただけの
バラック。広さは畳6枚程度。トイレ、炊事場は6所帯が共同で使用し、特に
今でも思うのが、私の住まいの隣が共同便所で、風向きでにおいがそのままに入り込んで
くる、もっと便所のにおいがまともにするの梅雨時、汲み取り業者がし尿の回収時期が
おくれたときには、溢れ出して便所に行く通路がし尿で足の踏み場もなく
さらには我が家の床下に侵入してくるのである。
 梅雨時になれば、破れ傘のように雨が漏るトタン屋根。そして床下からの悪臭。
そして、夜は南京虫に体中かまれてかゆくて眠れない夜を過ごす。
そういった暮らしのなかで、早くから母親を亡くした孫が不憫と思った祖父は
日雇い労働で稼いだ金でもって買った豚肉、野菜、コメを買ってはこの住まいを
毎日のように訪ねてきた。