今、ここに在る。

まだまだ終わらない子育てのあれこれ、母として思う徒然を綴っています。

来るべき時・・

2014-02-17 14:05:51 | 今のこと
それでもランドセル・・は買わねばなるまい・・。

考えたくない・・・もう・・。
そんな気持ちにもさせる小学校問題。

何かで気持ちが前向きになるように・・。
気持ちが小学校へ向くように・・。

ランドセルを買う。
本人は「紫」希望。なかなか見つからず「紺」で
妥協。
そのうちお値段とシンプルさで「黒」に。
紺のステッチがはいったデザイン。

嬉しいのか、面倒なのかわからない反応。
照れているのか・・。

ひとつ選ぶのに、まぁ、面倒だ。

あれも、これも、持ってこい!と言ってはは担ぐ。
それも、なぜか「更衣室」の鏡の前。

かといって「あれも嫌」「これも嫌」

そのうち、ランドセルより「トミカ」買って・・。
とねだりとぐずり。

「決めてからね。」そんなことは聞きはしない。
「決めよう。」
「決めるね。」
「決めたよ」
「いいね。」

・・・・・・「それ嫌だ・・」と始まり・・。

まぁまぁ、とにかく時間がかかる・・。

ひっくり返って、ぐずぐず、ダラダラ。
そのくせ、命令してくる。

・・・・「もうぉ、いい加減にして・・」と怒りが・・
こみ上げる。

せっかく嬉しい「ランドセル」もまた腹立たしい存在に・・。

こちらが怒れば、倍になって愚図る・・。

でも怒りはおさまらない・・。

もうどうでもよくなり、怒りの果てに購入。

帰宅後も「怒りの種」に見えて開けたくもない。

が、当人はケロッとして、担いでは嬉しそう・・。

もう疲れるぅ~~~。

せっかくの嬉しい「ランドセル」のはずが・・。
また、その光景を思い出す嫌な「ひとつ」となる。

嬉しい喜んだ顔でいる今、へ記憶の上書き修正しなくちゃ。

何とか、身体だけははランドセルが担げるように
成長しているらしい・・。

それだけでも喜ぼう・・。

それでもかついで小学校へ行く日が来る。
それもあっという間に・・。

怒りの思い出が、嬉しい記憶になることを願って
きっとその背中を見ていくんだろうな。

そうであったらいいな。

就学相談

2014-02-17 10:12:38 | 特別支援
就学相談・・この窓口を通らなければ、小学校へは
行けない・・。

そう思って早めに早めに手を打った。

1年半前。

何にも進まなかった。
何にも回答がなかった。

そう思ってしまう・・。

何のための時間だったんだろう・・。

グレーゾーンと呼ばれるところにいて、障害児とも
健常型とも違う・・・。

具体的な支援の方法
本人の適応能力の見極め
集団活動が可能かのか、否か。

「それは未知です。
私たちにはわかりません。
ご両親にもおわかりにならないのに・・」

と未知であることをアピールした上で

様々な可能性を提示してくれることはなく・・。

「将来、○○○ くんはきちんとグル―プホームや
施設から、きちんと仕事に行かれて作業のできる
お子さんですよ。

なので、お母様やお姉さまにもきっとご迷惑を
かけることなく、別の人生を歩めるはずです。
なので、お母様もお姉さまも、○○○ くんのことは
別世界と思って、自分の人生を歩まれて下さい。」

「○○○ くんは将来的にも、10名または、それ以下の
中でお仕事されると思います。そのことを考えても
大きな集団での適応な、それほど考えなくても
大丈夫です」

ゾッとするくらいの笑顔で言われる。

私の人生の何をご存知ですか?
私の息子の何をご存知ですか?

誰もそんな先のことを聞きにはきていない。

毎日毎日、一歩一歩、ここに「生きて」いるだけ。
「生活する」最低限、身につけなければならない。
義務教育を受けるために、本人の能力もさること
ながら、他人様にどれだけ、迷惑をおかけし、
お世話にならなければいけないかと、知りたい。

もちろん、ちょっと「手がかかる」のは間違いがない。
でも、それが、教室全体・学校全体にさし障るものか
そうでないか・・。

学校の現場・教室の現場は、今、どんな状態か。
どんな対応までが可能なのか・・。知りたいだけ。

何も答えはなかった。

「人それぞれ違うので・・」

都合の良い言葉だな・・。

大変なんだな、と思う。
色々な方がいらしているに違いない。

全ての言葉を返して

「お母様のお考えは?」とくる。

・・・・だ・か・ら・・・。

とでも言いたくなるほど、全て返され、質問の答えなど
返ってきたことがない。

たまたまの担当者がそうだったのかもしれない。

のくせに・・・。

「グループホームや施設で生活して・・」なんてお言葉を
堂々とかぶせてくる。

結局、何も、誰にも「責任」なんてない。

子供が「生きて」いけるようにするには、親しか
いない・・。

困ること多いけど・・。
難しいこと多いけど・・。

誰も頼ってはいけない・・よ。
そんなことを思い知らされる・・。

でも、お世話にならなければいけない。
手続きひとつスムーズにいかなくなる。

毎度
「すみません。ごめんなさい。
     ありがとうございます・・」

モヤモヤ感のつのる相談・・。

ただでさえ、毎日「生きる」のに必死なのに
モヤモヤ、イライラを増やさないでほしい・・。

良く、言葉を前向きにとれていない自分が悪い。
それは思う。
もっと受け止める強さがあればな・・。

でも、この相談ってやっぱり、
「困って」行っている・・。
そんな時には弱っているのが普通・・だとも思う。

いつになったら、すんなり「相談」ができるかな・・。

6年・・節目。  その2

2014-02-15 10:27:41 | 食べる
昨夜、書きかけでアップ・・。
書きたいことに辿りつく前に時間切れ・・。ダメだな・・。

昨夜の続きです。

そんなこんなで、病院へ6時半到着。

結論から。

「イタタタタ・・・」

と思い・・。

助産師さんも

「まだまだあと4時間くらいはかかります。」

とか言っているのに分娩代へ。

7時24分。あっという間に産まれた。

一度目の出産が帝王出産だったため、ほぼ初産と同じ。

きっとまた帝王切開になるだろうと覚悟していたが、

普通分娩に挑戦させてくれた先生。

「見事でしたね~」とあっという間の出産を
笑って言ってくださった。

我ながら、これはこれは見事な出産だと思った。

楽しい出産だった。
もともと痛みには強い。
なんてことはなかった・・。

超高齢の初分娩。

その後の経過もよく・・。
もちろん、色々あったが、なんてことはなかった。

五体満足・・。それだけで安堵した。
嬉しかった。

よくぞ、母に負担をかけずに産まれてきてくれた。
と、本当にありがたかった。

私には似ていない二重の可愛い男の子。
これにも驚いた。

楽しく嬉しく、ありがたい出産だった。

あれから6年・・。

すんなり、スムーズだったのは、あの出産の時。だけ。

と思うほど「育てる」ことが本当に大変だった・・。

人間、全て平等・・という。
笑うことも、泣くことも、悲しいことも。
苦労することも・・。

これから先はどうだろう・・。

本当に平等かな・・とも時々思う。

たった1時間足らずの陣痛で産まれて、楽をしたのかも。

「障害は個性」そんな言葉では語れない。

「障害は不自由」だし
「障害はさし障る害」です。生きていくのに・・。

まだまだ未熟なので、そうしか思えていません。
聖者にはなれません。

長い長い6年。
失ったものも・・沢山ある。
得たものも・・・・ある。

今日、節目を迎える。

ひとつだけ確信していること。

誰でもない、自分の子がいて、その子を社会の中で生きて
いけるようにする「責任」が自分にはある。

誰のために産まれた。
誰のためにか、ハンディがある。

どうであれ「責任」がある。

節目の日に、その「責任」をさらに思う・・。

6年・・節目。

2014-02-15 10:23:50 | 発達障害
彼が産まれて6年・・。

五体満足であるように・・。
ちょっとくらい、出来が悪くとも、五体満足でさえ
あるように・・・・。そう願った。

2度目の、そして最後になるであろう妊婦生活。
出産の時を待った。
人に甘えられない。甘えるのが下手な私も
長女のことがあるので、周囲の皆さんに頭を
下げ、お世話になった・・。
皆さん、本当に気持ち良く、楽しく支えてくれて
ありがたい毎日だった。

産まれるその日。
友人宅で、お腹を抱えて笑い、あれこれ思い出し
笑い、こんなに笑ったのは
「高校生以来だね♪」と笑った。

笑いすぎてお腹が痛くなってくる。
下腹が張ってくる・・。

「甘い、甘い。甘い。そんな痛みじゃないから・・」
「そうだよね。まだだよね・・」

と言いながら5時の電車に乗り20分。
駅に着く。
ちょっと歩けないかも・・。

休めば大丈夫っ。

一本電話をすれば、駆けつけてくれるであろう父。
でも、電話できなかった・・。

ゆっくり、ゆっくり歩く。
なんだか、痛みが頻繁。
時計を見る。5分おきに張ってくるお腹。

まさかね~・・・。
まだのんきなことを思っていた。

5分で帰れる道を20分かかって帰った。

「ただいま」
「おかえり」

それ以上、何も言えず・・。

なんだかまずい気がすると、病院へ行く支度をする。
病院へ電話。

「・・・・こんな状況です。」
「すぐに来てください・・。」

そっか。そんな状況なんだ。

「病院まで送ってくれる?」

ようやく言えた・・。

「ちょっとかなり近いかも」

周囲があわてて、車を準備。

・・・・・病院到着 6時半。

それから・・。つづきはまたに・・。

音・・・

2014-02-14 13:46:11 | 今のこと
バレンタイン

音楽が聴きたくなくなった・・・。

かつては、音楽・音にはどん欲だった。
ロックにクラシック、パンク、環境音楽、なんでも
聞きたかった。知りたかった。

耳に刺激があると、その情報を必死にとりこんだ。
耳に心地よければ、夢中になった。

音が大好きで、かつては「音響」の仕事にも
携わる。音楽が大好きだった。

今。音が聴けない。

音楽。ちっとも楽しくなくなってしまった。

街に流れるBGM もTV も、音がしんどい・・・。

かつて、父が年老いて「耳が遠く」なることを
何とも、気の毒だと思っていた。

実は、そう、気の毒なことではないかもしれない・・。
と思う。

聞きたくないことが多くなり・・。

静寂を耳も身体も心も求めているのであろう・・。

人の言葉、会話、よくよく記憶していた。

今は、その場から、音・言葉・会話・人も
こぼれ落としている感覚・・。

記憶から学び・・もない。

年をとるという不自由さ。
年をとる自由さ。

自然に、自分が得られるものだけを受容しているのかも
しれないな・・。

生活に「豊かさ」「ゆとり」「楽しむ」を与えてくれる音。

そんなこととは程遠い生活の中にある・・・のかな・・。

「手作り」は豊かさの象徴・・。

長女の作成した「友チョコ」
いつから、そんな習慣ができたのか、なんだか面倒・・。
だけれど「おつきあい」も社会で関わる大事なひとつ。

美しくないな・・。

ちっとも「豊かさ」が・・・・。

これくらいにしよう。

今日はまた雪。

静寂の中に安堵の時間を探している。