今、ここに在る。

まだまだ終わらない子育てのあれこれ、母として思う徒然を綴っています。

どこも同じなんだろうか・・。

2014-05-27 09:48:38 | 発達障害
疲れたなぁ~。

子供と接する時間なんて、5時過ぎにお迎え、10時には就寝。
朝6時半起床。7時半出発。
正味 6時間しかないはずだ・・。
なのに、

疲れるぅ~~~。

帰宅して手洗いなんてまともにしないので
すぐにお風呂・・のつもりなのに・・。
「あとではいる」
「一人ではいる」
「宿題したくなっちゃった・・」←
したことないけど・・。
となんだかんだぐずぐず・・。

その間に、洗濯たたんだり、夕飯の準備をしつつ
入浴態勢に・・。
待ち切れずに・・だいたいこの辺りで一時間は経過。

「先はいるね~。」
とはいってしまうと・・

「おいっ!俺を放っておく気か!!」
「なんでお前が先はいんだよ~!!」
「待てよ!!」

とわめき倒す。

だってさっきからずっと言っているじゃんっ・・。

入ったら、入ったで、泡で遊ぶ。おもちゃで遊ぶ。
水をひっかけてくる・・。

「お母さん、先あがるからね・・。」
「俺だよ、。俺が先!」
「じゃぁ、あがって着替えていてね・・」

しばらく沈黙・・。母は疲労困憊、湯船でいつも
泣きたくなり・・。

あがると

「まぁだ、はだかぁ!!??」

わかってはいるけど・・。イライラ・・。

夕方を超え7時。
姉帰宅・・。

「お姉ちゃん、早くお風呂にはいって~」
コヤツもまたダラダラ・・。

「今日の夕飯何?」帰宅した途端、これしか言わない・・。
腹減り中学生。

バタバタと髪をかわかし、いい加減な夕食作成。

「さ、食べよ」
「え~~~~!!これ、俺いらない・・」
「あ、そっ」
「もおおおお~~~!!
 ○○○食べたいっって言ってじゃん!!」

・・・・言ったんだ・・。そうリクエストに応えられるわけがない・・。

そして、ダラダラ・・。

9時
「あ~、時間割、あわせよう♪。宿題しよう♪」
疲れた身体にムチをうち、心にナイフを秘めて
優しい声で誘導・・。

ここからがまたイライラ・・。
「いい加減にしてっ!!」
と机に教科書、投げたくなる衝動を抑えつつ・・。
何とか、全てを完了・・。

「ねよ、ねよ。」
「俺の歯ブラシ、持ってこいよっ!」
「はいはい」
「俺はまだ寝たくなんかないんだよっ!!」
あ~そうですか、そうですか・・。
私は寝ますよ。
イライラマックスでベッドにはいる。
なんとかぐずぐずしながら、僕ちゃんもベッドへ。

やり残した家事が気になり、夜中1時起床・・。
ネットを見つつ、そそくさと家事・・。

ちょっとウトウトしたりして朝5時。
朝のバタバタ回避のために、身支度開始・・。
洗濯、掃除、朝食、お弁当。

姉を6時に起こし、6時半、僕ちゃんを起こすことから。
これまた、夜以上にぐずぐず・・。

出発までにどれだけ
怒鳴りを我慢するんだろう・・。
頭がおかしくなりそうです・・。

「40超えたら、顔が履歴書」
っていうけど
額の縦ジワとほうれい線が深くなりすぎて
鏡を見たくないです・・。

たった6時間なんだけどな~・・。
我慢できないっつうか。

たった6時間、もっと効率的にならないものだろうか・・。

意味がわかりません。

2014-05-16 09:15:42 | 発達障害
連日、泣いて、わめいて怒っている。

今朝の場面・・
「一人で行く」・・「行かない。」・・「荷物を持て」
ちょっとついて行けば
「一人で行くって言っているのになんでついてくるんだ。」
 母 「じゃぁ、荷物、一人で持っていってらしゃい」
「俺は重いって言っているだろう」
「・・・・」

「そんな道路の端じゃぁ危ないから、こっちに寄りなさい・・」
「なんで俺に命令するんだよ~!」
 母 「あなたが危ない目にあって欲しくないからでしょう・・」
「いいんだよっ!ここで!」
 母 「あ、そう・・」

帰りに学童へお迎え・・
「早いって言っているだろう!」
「この上履き、小さすぎるんだよっ!」
「迎えに来るなって言ってんだろう・・」
 母 「じゃぁ、明日から一人帰りをお願いするね」
「それはだめなんだよぉ!わかってんのかっ!」
「もっと早くに来いっ!」
「自転車で来るなっ!」
 母 「では、自転車はおいていくから、ランドセルをかついで
ちゃんと歩いて」
「持てよ」
 母 「お母さんも荷物があるから持てないよ」
「持てって何回言ったらわかるんだ!一回で聞けよ・・」
「おまえはいつも、俺に意地悪をする・・」
 母 「おまえって・・いじわる・・って」

一事が万時、この調子・・。

怒り、泣き、わめくのは親の責任・・・だそうだ。
親が出す、指示や言い分に対して、言語が追いつかないから。
親の質問に対して、返答できないのも、言語が追いつかず
曖昧だったり、聞いていないふりをしたり・・。
親の責任・・・だそうだ・・。

人間の思考は言語でできているから、
言語が発達していないので、
感情や思考の整理も表現も難しい。
ここが発達障害ゆえ・・。

こちらの言語を理解しないわけでもない。
でも、その意味や奥を理解はしきれているわけではない。
何度も何度も繰り返し、伝えるしかない。

こういうタイプの子供には
指示と感情を一緒に出してはいけないらしい。
感情で生きているだけに、感情しか受け取らない。

とかく怒りつつ命令している。
これは最悪。
四六時中怒られていることしか記憶しない・・・。

これを繰り返してきたから「今」なのか・・。

わかってはいるんだけど、私も「グレー」の認識は
あるけど、時間とか危険とか、生活していると、できないんだよな。
少しでも「白よりのグレー」として言っちゃうし。
そう期待しちゃうし。
そんなグレーとか白とかの前に「親」だし、「ちゃんと」させなきゃ、
って必死だし。

正直、意味わかないです。彼。

でも、きっと彼も「意味わかんねぇよ」とか
思ってるんだろうな~。

行きも、帰りも、それでも、学校で頑張っているから・・。
疲れているだろうから・・。
私にしか甘えられないのだろうな・・。

そうひき算して考えても意味わかんないです。
必死です。「親」です。わからないです。

今のうち。

2014-05-13 08:44:09 | 仕事
とうとう職場から電話がはいる。
「そろそろ・・」

そうだ。そんな時期は目前。
あれこれあって、3年前、仕事に出た。
新しく立ち上がった企画の仕事。

簡単な作業のバイト・・のつもりが
あれよあれよ、ときつい条件だったり、環境だったりで
やめる人が続出。体制が整ってなかったり。

この年で、この状況では、どこでも良かった。
ある仕事はさせてもらおう。とだけ思った会社。

半月もしないうちに「事務が足りていない」とお声を
かけてもらい、超短時間労働でもいいとも了承を得る。
しかし、そんなわけにもいかず、結構働いた。
土日も、危ない二人をおいて出ることに。
今更ですが、夫は不在。

家の中が荒れた。荒れた。
私の心も荒れました。

グレーな長男、マイペースな長女。
わがまま、悲鳴、怒号。
といって会社では、どんなことも笑顔。
毎日、ぼろ雑巾のようでした。

いつまで続けられるんだろうと思いつつ・・。
子供や家庭を理由に辞めることはしたくなかった。

そんなことをしているうちに、小さな部門の責任者に
なっていた・・。毎日、管理システムの整理・・。
・・・辞める人が多すぎてなっただけ・・ですが。

結局、社内の管理体制の悪さが社外にも影響を
及ぼすことになり、2年で新事業の閉塞。

うまい具合に辞めるきっかけになる。

が、またその会社で請け負う別事業の仕事のお話。
断れなかった・・。

今度は管理体制が整った部署。

一度は断った・・。

が、またお声をかけて頂く・・。
有難いことなのだが・・。

『筆耕』の仕事。

経験もないし、正直、習字だってまともにやったこともない。

小学生の辞書片手に始めた。

ちょっと都合のよいことにお中元、お歳暮の時期の
季節労働者。
これなら、ラストが見えるから頑張れるかな。
責任も少ないし・・。

経済的には、もう少し働きたいところだが
今の状況にあっては、これが限界である。

あとわずかで、めっきり仕事生活になる。

今のうちにやらなければいけないこと。
結構たまっている・・。

今のうち。今のうち。

そう思うも、ギリギリにならないとスイッチが
はいらない性格なんだな、これが・・。

今のうち。

分岐点

2014-05-10 07:13:48 | 発達障害
火傷のことを書いたので・・。
もっと詳しく書きたいところだが・・。
まだまだきつい状態でして・・。

反省、後悔。そんなことばかりが出てきます。

この火傷が、さらなる分岐点になり・・。

発達障害?軽度?知的?グレー??
そんな言葉が24時間まとわりつくことになる。

朝起きて、まずひと泣き
思うようにならず、泣き。

かゆい、痛い、で泣き。わめく。

夜は眠れず怒り、泣く。
私がいないと眠れないくせに
横になることを許さず・・。
30分の連続睡眠を許されなかった・・。

夜も昼も朝も・・わめき泣き・・。
おかしくなりそうだった・・。

火傷の傷に紫外線をあてることが厳禁なので
外出もできない・・。

家の中で遊ぶにも限界・・。

家遊びも集中力が続かない。
興味もかたより、こだわりが強い。
時間の感覚がない。
切り替えが出来ない・・。

そんな毎日・・。
素直に認めることもできずあがいた。

今は「火傷」があるからかも。
「痛み」がそうさせているのかも。

でも焦った・・。
毎日、焦り、つらくて
家の中で、走っても走っても
間に合わない・・そんな焦りの中だった・・。

「どうしたら楽になるんだろう?」
「グレーだから、モヤモヤする?」
「認めることが、楽になる?」
「なんで?」

そんな思いがずっとうごめいていた・・。

4年経った今。でさえ、その気持ちが残る・・。

あの時ほど、パンク状態にはないけれど・・。

正直、誰も助けてはくれないことを知った。
保健センターとか、そんな育児相談とか
アテにならない・・と思った。
病院も救いはなかった・・。
友人・知人・親類・・・話すことはなかった。
話したところで、誰もどうにも出来ない・・。

求めている答えはなかった・・。

結局、見れるのは親だけ。
責任とるのは親だけ。
最後までつきあうのは親だけ。

思い知る。それはどの子にも当てはまる。
しかし、自立のめどが見えてこないだけに
重かった・・。

「あなただから生まれてきたんだよ。」
「あなたのところを選んできたんだよ。」
「あなただけら、与えられたんだよ。」

そんな言葉もいらなかった・・。
何も意味しないことを知った・・。

命は重すぎます・・。
背負うのは。

親になるってこんなことだ。
と若いうちから受けとめていた。

確かに、覚悟をして親になった。
が、その覚悟がいかに浅いものだったか・・。

そんなことも思う・・。

「この子は天使」
「この子のおかげで家族がひとつに」
「この子がいるだけで」

本音かな。と思った。

そう思うように努めていることは多い。

福祉に頼るほどでもなく・・
何とも中途半端。
一人の子育ても限界・・。
でも誰も頼れない・・。
身体もボロボロ、心もヘロヘロだったな・・。

「ちょっと手のかかる程度」にしか
理解されない・・。

「わがままな子」」くらいの認識。

いつかその半端さの認識が変わるのかな?

今もってグレーなところをウロウロしている。

それでも、それでも、ゆっくりゆっくり
成長はする。

年齢なりの違う問題を抱え始めるが
停留することはない・・ことがわかった。

進む、動く、ということが救いかも。
救いとしている。救いにしなくちゃな・・。

御両親の介護。また重度障害の介護をされている方
のお話を伺うと、あるところまでは同じつらさ・・
でも最終的には

「救いがない」「成長を見れない」「ゴールは死」
とかなりヘビーなことを残される・・。

そう思うと、やっぱり私なんて・・あまちゃんだ。
うん、あまちゃんだ。

もうちょっと頑張ってみよっと。

この時期つらい・・しつこいが・・。

2014-05-08 22:12:17 | 火傷
春は苦手・・。
特に4月が大嫌いである。

ようやく乗り切った。ホッとした・・。

でも5月。思い出すことがあって、胸が締め付けられる・・。

長男2歳3か月の5月1日。

目の輝き、動き、1歳半まで何も心配していなかった。
寝返り。ハイハイ。歩行。そこそこ順調だった・・。
でも、言葉があんまり出ていない・・。というか
大人の言葉の反応が、なんか今ひとつ・・。
若干、足元のふらつきがあるな・・・。

6歳年上の姉と比べると断然違った・・。

1歳半検診。心配を少々述べた・・。

「お母さんの勘って当たりますよ。
そう思う直観ってそうかもしれませんね。
相談します?相談日は7カ月先の5月6日です。」

そう言われた・・・。

今心配で仕方ないのに、7か月先ぃ???
そんなもの??

「そんな先でいいんでしょうか?」

「どんなに心配しても、今やれることは何も
ないから・・」

保険師さんの何ともどうでもいい対応・・。
その時にはそんな風に思った・・。
事実そうなのかもしれないのだけれど・・。

そうこうしているうちに保育園の入所が決まる。
5月1日付の入所。
連休もはさむし、7か月待った育児相談を
終えて、5月7日からの入所の運びとなる・・。

この年の1月、夏から患っていた義父が亡くなった。
年末、年始、2月、3月とめまぐるしい日々だった・・。

四十九日まで毎日義母のところへ大量のおにぎり
手作りのパンを焼く・・等々して通った・・。
葬儀後の始末、書類の整理等々、細々した仕事が
たんまり・・で。
長男を寝かしつけては夜中の作業・・。
早朝から、食糧を準備して義母のところへ
出かけた・・。寝不足で、おかしくもなりそうだった・・。

4月末、ようやく四十九日の法要を済ませ・・。
ホッした静かな土曜日・・。
あ~、今日はゆっくり寝るぞ~・・と
思った5月1日、土曜日。

疲れていた。身体も悲鳴をあげていた・・。
心もキンキンに張って疲れていた・・。

その日の夕食。
もういいや、とラーメンを作り始めていた。
片手鍋で・・。

「ダメダメ、来ちゃダメ。あついあつい」

と言ったその瞬間・・。

下から、片手鍋の持ち手をひっぱり・・。

グツグツ、ぐらぐらの熱湯を頭から・・。

真っ白か、真っ黒かになった・・。

何か駆け巡っている・・。

「み・みず・・。」

・・だめだ。ちゃんと書けないので、また続きます・・。
ごめんなさい・・。

その後、救急車・・入院・・看病の1年・・
皮膚縫合手術・・入院・・

長男の右首筋。肩、背中には、一生消えないであろう
大きなケロイド・・。

後悔・・。「なんであの時・・」
母として失格・・。ごめんなさい・・。

今、4年が過ぎた・・。
ケロイドは彼の右半身の毛穴をふさぎ、なんともいえない
出口のないかゆみにかわり・・。日々、かゆみと戦う・・。

彼の記憶には、熱さも痛みも残ってはいない・・と言う。
でも身体の記憶は生々しく残っている・・。

「危険回避ができない・・」
それが、一番心配だった。気になっていた。
その時に改めて思う。

「危ないっ!」「いけない。」「駄目!」の言葉に
反応しない。伝わらない・・。

それを一番心配していたんだ・・。

火傷の前から心配していた発達障害・・。
発達障害ゆえの火傷・・。
火傷による心的ストレスによる発達遅延・・。

今となっては、どっちかわからないけど・・。
どうだったんだろう・・。