RC-NET(レイプクライシス・ネットワーク) BLOG.

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児童・生徒と性同一性障害

2010-08-23 20:11:25 | スタッフ雑感
22日は表題のセミナーに参加してきました。

性同一性障害(GID)の概要の部分から、治療(と言う言葉が適切なんかわかんないけど)、実際の症例などについて、三名の講師の方々がテーマに沿ってそれぞれの視点からお話しされているのは、とても勉強になりました。

ゲストスピーカーのみなさんの話にもそれぞれ思うところはあったのですが、
司会の東先生がディスカッションの時に言っていた「いじめというと子ども同士でのことがトップトピックになりがちだけれども、セクシュアリティー、ジェンダーについて、生徒からのアンケートで教師からそうした嫌がらせを受けたことがあるという方が多いという統計がアメリカである」というような話について、何かと思いを巡らせた。
そうだよなーっと。
子どもは残酷だ、とかって言うが、それは何かにつけて「大人が隠しながら生きてるものを子どもは隠していない」というくらいのもので、その部分では、大人が言っている、行動しているからこそ、影響され、学び、「いじめ」をするようになるんだ、ということ。

それについてふと思い出したのですが、私は子どもの頃から結構性別に違和感を持っていて、
「女の子らしい」というのがすごく苦手だったのですが、
そういえば学校などで教師から、それに対していろいろ言われたことがあるなぁと。

「もっと女らしい格好しなきゃ、将来嫁に貰ってもらえないぞ」
(小学生の頃。女の価値は結婚から、か・・・。いやー貰ってくれなくてもいいです・・・物じゃないし・・・)

「その服、男みてぇだな、オトコオンナとかっていじめられるよ?」
(小学生の頃。・・・!その発言が、イジメじゃないですか?)

転校後、学校でイジメのような状況が起きた時に、教師に「イジメられてるのか?」と聞かれたので素直に「あ~みたいですね、どうでもいいですけど」と乗らない返事をすると・・・
「・・・もっと女らしくさ、気弱な感じにしたらいいと思うんだよね」
(小学生の頃。斬新。いじめられてるんですよ?なのに、気弱になれって、斬新!)

「女の子なんだから、そんな股開かない!!恥ずかしいでしょ!」
(中一の頃。こういう発言で「性は恥ずかしいもの」的な意識を植え付けていくんだなぁ・・・)

「お前って、女捨ててるよな」
(高校時代。・・・!単純に、尋常じゃないめんどくさがりってだけなんだけど・・・苦笑)

これは全て、当事の担任の先生から言われた言葉。多分毎日のようにしていたはずの勉強についてはろくに覚えていないのに・・・何故か「性」に関することや「嫌な思い出」はくっきりと思い出せるもので、
自分が残念というか、心なしか切ないのですが。

なぜ、こんな個人的な事を言うか、というと、
あらゆる「普通じゃない」ことの裏には、何があるのか、という発想は常に必要なんだと思うわけです。
おかしいな、と思ったら、そのものをただ「矯正しよう」「間違っていると言おう」ではなくて、
なぜその人はそんな行動に出ているのか、と。

それが全てにおいて悪いことではない。
そこには、GID等、セクシュアリティーの問題が隠れているのかもしれないし、
虐待や性被害、いじめなどなど、その子のアイデンティティーを揺るがす問題が起きているのかもしれない。
問題行動を発見した時っていうのは、実はそこにコミット出来るものすごいチャンスでもあるのだけども、
そのほとんどが断罪され、社会的判断のもと、「変なやつ」「ダメなやつ」で終わらせられてしまう。

それって、すごく残念なことです。

感性の問題なのか、単純に面倒くさいのか、
なんにせよ、児童・生徒と関わる際に、そうした視点で物事を見れる人が増えていけば、そして学校だけじゃなく、多くの場でそうした人たちの居場所が当たり前に増えていけば、そうした違和を抱えていても、自分らしく生きられるようになるまでの道筋を、もっと楽にしてあげられるんだろうな、と思うわけです。

10代の頃、セクシュアリティー、そして性を考えることは命を考えることなんだ、と思って、今もその思いは変わっていません。
その上で、今この場所にいる自分、私は結構好きです。
一人のオンナである私が、オンナの問題としての性暴力を考えるのと、全体としてあらゆる性暴力について考えることは、多少異なるものがあるのかもな、と思います。
確かに、これまでの人類史上、女性は虐げられてきて、今も尚続く問題は、沢山あるからです。私は、そうしたところからオンナでありたいと思うし、そしてまだまだ現状を変えて行きたいんだっていう気持ちもあります。
ただ、それぞれのセクシュアリティーの中にある、様々な性暴力。「性」という非常にパーソナル(個人的な問題ってだけで、恥ずかしいものでもなければもちろん汚くもない)なものを使って、そこにいる人を虐げている、その事に対して傷ついている人がいるということについても、
同じくらい大事なミッションとして捉えています。

大事なのは、それぞれがそれぞれの性で、それを人に否定されず、自分の生を、生きていくということ。
そこに暴力は介入する余地がないんだ、ということです。

そんなこんなで、夜勤明けプラス、二日前のぎっくり腰騒動(昔から異常に腰が弱く・・・なんと!布団干してたらグキッってなりました。笑)から、
眠りそうになったりやたら腰深く座ってたり蠢いてたり(爆)隣と後ろの人々に申し訳ない・・・と思いつつ、
いろいろ考えるきっかけになった、よい一日でした♪


あ、先日のステッカーですが・・・
調子に乗ってあちこちに貼りすぎて、ちょっと後悔してます(私のステッカー愛は幼児並です)。
文庫本にまで貼った瞬間、「もうやめよう」と思いました。(幼児から児童への成長の瞬間)。
そんなこんなで、まだまだあります、ステッカー!
雨にも風にも負けません。

最近忙しく、あまり更新出来ずでしたが、
たまには更新するのでたまには見に来てくださいませ♪


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