RC-NET(レイプクライシス・ネットワーク) BLOG.

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自己決定

2010-09-08 09:35:15 | スタッフ雑感
自分で決める、決めた時に周りはそれを応援する。
それが一番大事な姿勢だと思っている。

性暴力被害者など、自分の思いとは別の所で、自分のパーソナルな部分を守ることが出来ない環境におかれてしまった人は、
なかなかこの「自己決定」をするというのが難しい状況に追い込まれてしまうことがある。
どうしたらいいのかわからない。
どうすればよかったのかもわからない。
ちなみにいえば、なんでこんなことになっているのかもわからない。
それは当然の感情だと思う。
だからといって、私たちがやることは、その人達に対する道の提示ではない。
「こうすればいい」ということを言いたいわけじゃない。

選択肢の提示だ。
私たちは、ことごとく「あなたはどうしたい?」と聞いていきたい。

それは酷なことだと言う人もいるかもしれない。
茫然自失の人に対して選択を迫るなんておかしいと思うかもしれない。
でも、別に迫りもしない。

待つだけだと思う。

選択肢がたくさんあるんだってことを提示した上で、
それを選択するのを、待てばいいんだと思う。

ポータルサイト「RC-net」をやるにあたって、一番に思っていることはそれだ。
たくさんの選択肢を提示出来たらいい。そして、その人が決めたことを、応援したい。
こうしなさい、ということじゃなく、
あなたはどうしたいですか?何を求めていますか?それをするために、何が必要ですか?
それに応えていけるような構造を作っていきたい。


危機介入の必要性というのは絶対的にあるのだと思う。
危険性があれば、やはりそこに危機介入するシステムは必要だ。
だけど、どんな危機に瀕していようが、そこでさえ、自己決定をしたというプロセスは必要な時もあるとも思うのだ。
現在進行形の危機があるとき、やはりどうしても警察等危機介入が出来る機関へ行くべきだと思ってしまう。
実際、それはすごく大切なことでもあると思う。
でも、警察を呼ぶのか、救急車を呼ぶのは、決めるのは当事者じゃないかとも思う。
「助けてあげる」ことが全てじゃない。
それは、契約上の問題とかそういうことではない。単純に、自分が自分の人生を生きるんだっていう覚悟が、必要な時って絶対にあるんだってこと。
自分から、自分がその場から出るっていうことを決めない限り、そのパワーバランスは固定化されてしまう。
誰かから救って貰うことが常になってしまったら、救われない自分を今度は人のせいにして生きていかなきゃならなくなるかもしれない。それもまた不幸なんじゃないかと思う。

人生って、決定の連続で成り立ってる。
今日何を食べるのか、お風呂につかるかシャワーで済ますかそのまま寝ちゃうか、仕事に行くか行かないか、どんな服を着るか、誰に会うか・・・・
数限りない選択をしながら毎日を生きてる。

話をするときに、相手の前に座るか横に座るか、椅子に座るかソファーで座るか。
自分の話をするのかしないのか。
思ってることを伝えるのか伝えないのか。

誰かにとってどうなのか、じゃなくて、それら全てに於いて、
あなたにとって、どうなのか、あなたには全てを決める権利がある。
それを、一個一個、「自分で」決めてるんだ、決めていいんだって意識することが、全ての始まり。

決められなかったことがあるからこそ、これから決めていけばいい。
あなたの人生のチョイスは、あなた自信に委ねられている。

そのチョイスに助けが必要であれば、そこに手を貸したい。だから紹介状っていうシステムを作ろうと思っている。



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