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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

「私はシャルリー」 失われたのがイスラム教徒の命と言論の自由でもそう言ってくれますか

2015年01月12日 | 外国人の人権・人種差別反対・嫌中嫌韓反対

「Je suis Charlie(私はシャルリー)」は事件当日の2015年1月7日、パリの中心部に集まった市民が掲げ始め、瞬く間に広がった。

フランスではパリの凱旋門のほか、劇場、路線バスの運転席など至る所に掲示されている。

「私はシャルリー」はツイッターで瞬時に世界に広がり、米ワシントンの駅や、ニューヨークの集会でも掲げられ共感を呼んでいる。





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いや、世界は決して
「私はアルジャジーラ」
とは言ってこなかった。






1 イスラムテロリストの凶行

2015年1月7日にフランスで起こった政治風刺週刊紙「シャルリー・エブド」銃撃事件では、12人が殺害された。

この新聞社の襲撃、その後の警官の射殺、そして印刷工場とスーパーでの立てこもりと、フランスは7日からの3日間テロの脅威に直面し、17人が命を落とした。

私はこの場で犠牲者の方々に深い哀悼の意を表したいと思う。

また、自分達の主義主張信仰のために他人の命を踏みにじり、民主主義社会で最も重要な基本的人権である言論の自由、報道の自由を踏みにじる犯人達の蛮行に対する激しい怒りと抗議を表明したいと思う。






2 言論の自由を守る市民とマスメディアの連帯

本日2015年1月12日、フランスで史上最大のデモが行われている。その数、フランス全土で370万人以上。パリでは100万人に及ぶかもしれない。

また、全世界各地でこれに呼応する行動が連日行われている。

冒頭に書いたように、シャルリー・エブド本社に対する襲撃事件の犠牲者たちとの連帯を示す「私はシャルリー」は言論の自由を守る市民の象徴となり、ツイッターでは、ハッシュタグ「#JeSuisCharlie」が使われた回数が1月9日までに500万回を超えた。

フランスに関係があるハッシュタグとしては、過去最多の使用回数を記録したことになるという。





銃撃されたシャルリー・エブド編集部は2015年1月9日、リベラシオン紙の社屋を借りて来週号の制作に入った。

フランスのメディア界は様々な支援を続々と表明している。この風刺紙の存続こそが、国是でもある表現の自由を守るシンボルとなるとして。

同紙が休刊せずに次号を出せば、フランス社会がテロに屈しない姿勢を内外に示すことにもなる。

シャルリーは風刺という性格から左派色が強いが、保守系紙フィガロも
「欧州と民主主義の価値に対する戦争だ……弱みを見せず勝利せねばならない」(1月8日付1面社説)
と共闘している。




 

3 私の立ち位置

ところで、このブログの読者なら良くご存知のように、私は何よりも人の命をかけがえのないものとして尊重している。

人には「殺されない自由」はもちろん「殺さない」自由がある。

その信念から、自衛隊の海外派兵や集団的自衛権の行使には激しく抵抗している。

また、私は表現の自由という基本的人権に最大の価値を見出している。

だから、言論というより暴力であるとあれほど激しく批判してきたヘイトスピーチに対してもさえも、しかし法的規制をすることは表現の自由を侵害する可能性があるとして反対しているほどである。

そんな私の、シャルリーに対する攻撃への怒りの念は人並み以上だと思うし、初めて「私はシャルリー」という表現に触れた時には身が震えるほど感動し、私も心の中でそう唱えた。






4 靴に入った石ころのような違和感

そんな私の中で、この一連の流れに対する違和感がどんどん膨れ上がっていったのはいつの頃からだったろうか。

もちろん、この襲撃事件の影響で、9・11テロ後のアメリカのように、反イスラム主義とイスラム教徒に対する迫害が必ず広がることは予測していた。

案の定、2015年1月7日のシャルリー襲撃事件後、フランス各地でモスク(イスラム教礼拝所)などイスラム教関連施設への報復とみられる事件が相次いでいる。

襲撃事件当夜の7日夜には早くも、南部ポルラヌーベルで無人のモスクに銃弾数発が撃ち込まれた。8日には東部ビルフランシュシュルソーヌでは、モスクのそばにある中東などで供される料理ケバブの店で爆発があった。西部ルマンではモスクに手投げ弾3発が投げ込まれ、銃撃されて窓などが破壊された。


これは本音ではあろうが、こう言わねば生きていけないのも事実




オランド大統領は1月9日、シャルリー襲撃事件に関してテレビ演説した。

その中で、彼は上記のムスリム攻撃事件を受けて、過激思想に基づくシャルリー事件についても
「狂信主義はイスラム教とは別ものだ」
と強調しなくてはならなくなった。

しかし、イスラム迫害は悲しいことだが予想されていたことだった。

それより私の違和感が決定的になったのは、パリ市が同日、シャルリー・エブドを「名誉市民」とすることを決めた、という報に触れた時だった。

シャルリーはテロの被害者ではあるけれども、偉大なことをしたわけではない。そう考えたのかもしれない。

まだ、事件からわずか2日。

しかし、私の中にもう「私はシャルリー」と唱えて甘い高揚感に浸る気持ちはなくなった。

「シャルリーがイスラム系メディアでもパリは燃えているか」








 

5 アルジャジーラ

「もっともすぐれた戦争報道はどこかって?
アルジャジーラを見てごらん」




アルジャジーラ 報道の戦争


「これはテレビ戦争であり、テレビそのものが戦場になっている」それでも、彼らは報道した。

衛星放送の画面のなかで撃ち殺される少年。放送を阻止するため、首都に大停電を起こしたリビア。五〇〇ポンド爆弾で吹き飛ばされ、ミサイルを撃ち込まれる支局。CIAの手先か、テロリストの宣伝機関か。クレームによる各国大使の召還と、国交断絶の嵐。それでもアルジャジーラは姿勢をつらぬいた……。


「もっともすぐれた戦争報道はどこかって? アルジャジーラを見てごらん」






アルジャジーラは、アラビア語と英語でニュース等を24時間放送している衛星テレビ局で、本社はカタール・ドーハにある。

アルジャジーラは1996年に創設されてからまだ20年も経っていない若い報道機関だ。

その存在価値は、世界の情報が圧倒的に非イスラムの先進国から発信されるのに対して、せめて一社だけでも、イスラムや中東に公平な報道を試みようというところにある。






6 アメリカによるアルジャジーラへの攻撃

だからこそ、カタールのドーハに本社を置くアルジャジーラが政治的にあるいは物理的に攻撃された頻度は、たぶん、フランス・パリのシャルリー・エブドより遥かに多く、少なくともこの1月まではその内容も深刻だったろう。

上の本にもあるように、アメリカはアルジャジーラがアルカイダ組織と繋がりがあるとしてアルジャジーラのカブール支局に2個の500ポンド爆弾を投下、爆破している。

また、イラク戦争時にはバグダット陥落後、アメリカ軍により支局にミサイルが打ち込まれた。

2003年のバグダッドのアル・ジャジーラ事務所への空対地ミサイル攻撃では、ジャーナリスト3人が死亡し、4人が負傷している。





しかし、その時、欧米でも日本でも誰一人として

「私はアルジャジーラ」

と叫んで、アメリカによる殺人と言論の自由の侵害に抗議する者はなかった。

2007年7月の、バグダッドで働いていた、二人のムスリム(アラビア語でイスラム教徒の意味)のロイター・ジャーナリスト、カメラマンのナミール・ヌール-エルディーンと運転手のサイード・チマグの殺害された時もそうだった。

二人は、東バグダッドへの任務に派遣されたアメリカのアパッチ武装ヘリよって、意図的に標的にされたのだが、先進国ではほとんど無視された。

イスラム過激派によるフランスの報道機関へのテロはここまで問題にされるのに、アメリカによるイスラム圏報道機関に対する爆撃はなぜ世界に黙殺されるのか。






7 イスラエルのガザ侵攻

2014年7月7日、イスラエル軍がパレスチナのガザ地区に侵攻した。

7月8日にイスラエルがガザからの攻撃に対する自衛行為だと称する「境界防衛作戦」を表明してから、ガザ側の死者数は1810人、負傷者は約1万人(ガザ保健省まとめ)に達した。

このうち約7割が市民で、18歳未満の死者は350人以上に上っている。

自衛の名の下に、イスラエル軍は避難所になっている国連運営の学校のほか、病院やモスクも攻撃した。

ガザの人々が2000人死亡した一方、イスラエル側の死者は兵士64人、市民3人の計67人である。

それでもイスラエルは自衛行為だと言い続けた。

そして、この戦争でも同年7月22日、ガザ中心部のアルジャジーラ支局の入ったビルがイスラエル軍の銃撃を受けた。





イスラエルの侵攻から1カ月で、ガザ戦争では17人のジャーナリスト(コーディネーター含む)が命を落としているが、うち外国人ジャーナリストは1人で、何故か命を落とすジャーナリストはほとんど地元パレスチナ人の報道機関の人間だった。

そのただ一人死亡したイタリア人カメラマンの死亡は、不発弾の爆発に巻き込まれての事故によるもので、イスラエル軍による直接の攻撃によって殺されたわけではない。

イスラエルは国際的な批判を受けないため、外国人ジャーナリストの安全には極めて敏感になっていた。軍による攻撃の前には必ず外国人記者全員に予告がなされた。

他方、地元パレスチナ人ジャーナリストたちは、爆撃された現場に直行し、そして「突然飛来する」2発目、3発目のミサイルの犠牲になるのだ。

そして、つい半年前のこの言論の自由に対する侵害と殺人に対して、

「私もまたパレスチナの記者である」

とツイートする非イスラムの人間はもちろん誰もいなかったのだ。



8 私はポリトコフスカヤだという人もいなかった

ロシアから侵攻を受けているチェチェン共和国がイスラム教国で、チェチェン侵攻はイスラム教徒攻撃だという捉え方は我が国ではあまりされない。

2006年10月7日、独立系紙ノーバヤ・ガゼータの記者で人権活動家としても知られるポリトコフスカヤ女史が、自宅アパートの入り口付近で何者かに射殺された。

当時、同氏はノーバヤ・ガゼータ紙上で、2期目を迎えたプーチン政権のチェチェン政策を厳しく批判していた。

後に犯人として捕らえられた実行犯は何故かチェチェン人だったが、彼らにポリトコフスカヤ殺害を命じた黒幕は裁判でも明らかにできなかった。





プーチン政権は、主要なテレビ局を政府の統制下に置いている。
大統領やチェチェン紛争についての報道内容は、全て政府が指図していると言われている。

ロシアには二万二千種類もの新聞があるが、しかし、そのほとんどは大企業や政府に友好的な財閥の傘下に組み込まれており、記事の内容は厳しく統制されている。

この記事の末尾に

「ロシアでジャーナリストになることは自殺である」

というコラムを紹介しておいたが、それによると、1992年からポリトコフスカヤ氏が殺害された2006年までに、約50人のジャーナリストが何者かによって命を奪われた。

彼ら、プーチン政権に仇なすジャーナリストに対する攻撃は毎年80に及ぶという。








9 フランソワ・オランドの演説

フランスのオランド大統領は、
「狂信主義はイスラム教とは別ものだ」
と、国民に自制を呼びかけた演説で、同時に

「団結こそがわれわれの最大の力だ」

と国民が心を一つにするよう呼びかけた。

そこには表面上なんの問題もなさそうに見える。

ところで、フランスにオランド大統領が誕生した時、新大統領の格調高い就任演説に私は感動して、このブログに記事を書いたものだ。

ああ、羨ましい! フランス大統領選挙で勝利したフランソワ・オランド氏の格調高い歴史的な勝利演説

しかし、保守党政権でありながら、2003年のアメリカによるイラク戦争に反対して遂に参加しなかったシラク政権に比べ、オランド社会党政権の好戦的な姿勢が次々に明らかになっていった。





オランド政権は2013年1月、イスラム過激派による制圧を防ぐためにマリ介入に踏み切った。

アルジェリア人質事件の悲劇 安倍首相の怠慢と邦人救出名目の自衛隊法「改正」の便乗商法は許されない

同年9月、オランドは、フランスはシリアに対する軍事攻撃に参加する用意があると宣言し、オバマ政権のケリー米国務長官は、米国の「最古の同盟国」だとフランスをたたえた。

もし、オランド大統領がフランスを、対イスラムテロ戦争におけるアメリカ合衆国の主要同盟国へと転換しようとしているのなら、パリの襲撃事件を彼らがそのために利用しないとは誰にも言えまい。






10 人の命と言論に貴賤はない

日本でも、新聞もテレビも雑誌でも、シャルリー報道がこれでもかというくらいに行われている。普段、ほとんどフランスのことなど報じないようなメディアでも微に入り細を穿って事件について語っている。

基本的にこれはいい事だと私は思っている。人々が人の命の尊さと、言論の自由の大切さを感じる機会はあればあるほど良い。

2011年のノルウェーでの痛ましい事件でも、彼の国の首相と国民のあり方から、私は多くのことを学んだ。

ノルウェー連続テロ事件生存者「私たちが共にどれだけ大きな愛をみせることができるか考えてみてください」

米銃乱射事件 ノルウェー無差別テロ事件から1年  首相「相手をもっと思いやることが暴力に対する答え」

またそうでなくては亡くなった方々は浮かばれない。





「私はシャルリー」

人々のこの決意を一過性のものにしてはならないのだ。

しかし、私は2度と(私もシャルリー)と心に念じることはないだろう。

ムスリムの命も彼らの言論の自由も、欧米社会のそれと同じく公平に扱われていると感じるその日まで。






追伸

シャルリー・エブドの風刺の中身については、この記事ではひとまず置いておきたい。

それがどんな言論であれ、言論の自由は最大限尊重されねばならない。ましてや暴力と殺戮でこれに応える行為に一片の道理もないからである。

ただ、それとは別に、シャルリーが行なってきた表現がヘイトスピーチではなかったかということは、別の機会に改めて問われなければならないだろう。

シャルリーは、過去にも宗教への冒涜行為を平気で行っていると何度も批判を受けてきた。

2011年に「預言者ムハンマドを同紙の新しい編集長に指名した」という題で、「笑いすぎて死ななかったら、むち打ち100回の刑だ」とセリフがついているムハンマドの風刺画を掲載した。




さらに同年、同紙が預言者ムハンマドを同性愛者として描いた風刺画を掲載した。





シャルリーの発行人のシャルボニエ氏は2012年にインタビューで

「ムハンマドは私にとって神聖ではない」
「私はコーランではなく、フランスの法律の下に暮らしている」

と話している。

その一方で同氏はまた

「私たちの漫画でイスラム教徒を馬鹿にしているわけではない。」

とも語っているが、シャルリーの風刺画の内容はさらにエスカレートして、最近の号では、「イスラム国」が預言者ムハンマドの首を切るマンガまで掲載している。





どんなヘイトスピーチでも、表現の自由を保障されるというのが私の立場だ。

しかし、反ユダヤ表現規制法が極めて厳格に適用されるフランスで、他方、イスラムに対するここまでの表現がなんら規制されないのは、あまりに公平を欠くのも間違いない。

もし、表現の自由も一定の規制に服することを前提にするなら、反ユダヤも反イスラムも同じく公平に扱われるべきだ。

今の興奮が少し冷めたら、フランスの市民にもそのことは考えてもらいたい。



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「ロシアでジャーナリストになることは自殺である」


リューク・ハーディング

(ガーディアン、2008年11月24日

http://www.guardian.co.uk/media/2008/nov/24/anna-politkovskaya-russia-press-freedom)

 ロシア人ジャーナリスト、ミハイル・ベケトフは自身が危険を犯していることを知っていた。一連の記事の中で、ベケトフはモスクワ郊外にあるヒムキの地方行政に対するキャンペーンを張っていたのだ。彼は何度にもおよぶ脅迫を受けていた。彼の車は燃やされたし、この夏には家に帰ると愛犬が戸口で死んでいたこともあった。

 ベケトフは、地方役人の汚職や職権乱用を一貫して批判している彼の新聞、ヒムキンスカヤ・プラウダ[ヒムキの真実]の発行を続けている。とうとう、行政府もこれに業を煮やしたらしく、11月11日、暴力団が彼の自宅の外で待っていた。彼が帰宅すると、彼らは棒で彼を残虐に殴り、指と頭蓋骨を骨折させ、殺そうとした。

 ベケトフは意識のない状態で自宅の庭にほぼ2日ほど横たわっていたが、ついに近所の人が警察を呼んだ。彼女が彼の足を見つけたのだ。警察は現れると襲撃に困惑することもなく、(彼が死んだと思って)ベケトフの顔に毛布を放り投げた。このとき、ジャーナリストの腕がぴくっと動いた。

 「ミハイルは生と死の間をさまよっています」、彼の友人であるリュドミラ・フェドトヴァが先週そう述べた。ベケトフはこん睡状態にある。医師たちは彼の左足を切断した。凍傷にかかった指もまた除去するという。「彼は誰も恐れなかった」、とフェトドヴァは言う。


沈黙した批評家たち

 ベケトフの運命は、プーチンのロシアでジャーナリストとして働く危険を絵に描いたような実例である。彼の話は憂鬱かつ典型的だ。ニューヨークに拠点を置くジャーナリスト擁護委員会(CPJ)によれば、ロシアはいま記者として働く者にとって、イラク、アルジェリアについで世界で3番目に危険な場所だという。

 1992年以来、49人のジャーナリストがロシアで殺されている。先週、3人の男がアンナ・ポリトコフスカヤ――活動的ジャーナリストで、恐れを知らないクレムリンの反対者だったが、2006年10月に自宅の外で射殺された――の殺害に関わった容疑で裁判に出廷した。

 捜査当局は、ポリトコフスカヤの殺害者や、あるいはそれを依頼した人物を見つけることができていない。実際、ロシアにおけるジャーナリスト殺害の責任者は、決して逮捕されたことがないからだ。(一度起訴されるだけである。)CPJによれば、当局は事件を解決するのに積極的ではない――事件の痕跡はいつも権力機構に戻ってくるので、(熱心に捜査すれば)捜査員自身に危険が及ぶからだ。

 「ロシアのジャーナリストには、とてもたくさんの触れてはならない話題があります」と、CPJのヨーロッパ・中央アジア担当プログラム・コーディネーター、ニーナ・オグニアノヴァは述べる。これらの中には、連邦保安庁(FSB)、秘密諜報機関、クレムリンの内部の汚職について書くことなどが含まれているという。さらに立ち入り禁止なのが、ロシアの北コーカサスだ――チェチェンにおける人権侵害を繰り返し批判していたポリトコフスカヤのテーマである。

 「ロシア当局は犯罪を調査する能力はある。政治的な意志が欠けているだけです」と、オグニアノヴァは説明する。「検査官たちは跳ね返りを恐れているのです。多くの場合、彼らは小さな集団の中だけで働いており、みんな顔見知りです。地方警察と権力機構はそれらの輪の中で正義を停止させることができるのです」。

 一方、ベケトフが地方行政を激怒させたのは、ヒムキの森林を開発者たちに売却する計画を批判したことでだった。彼はまた、役人らが第二次大戦で亡くなったパイロットたちの遺体を、スーパーマーケット建設のために内密に掘り起こしていたことに関しても痛烈に書いていた。彼の最後の論説――あざけるようにつけられたタイトルは“愛国者”――は、役人たちが無担保で巨額の銀行ローンを引き出していたことを暴露したものだった。

 「ロシアでジャーナリストになることは自殺です。真実を語ることは自殺行為なのです」。ベケトフの同僚で友人のウラジーミル・ユーロフは言う。別のヒミキの独立系新聞でエディターをしているユーロフも、3回ほど攻撃を受けたことがある。一番最近では、暴漢に10回も刺された。しかし彼は生き延びた。「検察官はろくに取り合いません」。そう述べると、次のように付け加えた。「私はまだ働いています」。

 ロシアのジャーナリストに対するこれらの攻撃の背後にあるのは、近代ロシア社会や、メディアが中心的役割を果たすようになったプーチンの洗練された専制国家の本質である。クレムリンはすべての国営テレビ・ネットワークと、ほとんどの新聞を支配している――独立メディアで働く残りのジャーナリストたちも、ますます攻撃されやすく、危険にさらされやすくなっている。

 極限状態のジャーナリズムのためのモスクワ・センター(Moscow’s Centre for Journalism in Extreme Situations)のディレクターであるオレグ・パンフィロフによれば、ロシアで本当の表現の自由があったことはない。ここ数年、当局を批判するジャーナリストが、ロシアの刑事規則にもとづき過激主義であるとして起訴されるなど、傾向はますます悪化しているという。加えて、国家プロパガンダはソビエト・レベルにまで達していると彼は指摘する。パンフィロフは「現在ではロシアのジャーナリストに対して、毎年80あまりの攻撃がなされています」と言及した。


自由のかすかな光

 ロシアのテレビが容赦なく親クレムリンである一方、新聞の展望はより多様である。ノーヴァヤ・ガゼータ――ポリトコフスカヤのいた新聞――や経済紙であるコメルサントなどを含むいくつかの出版は、本当に独立している。また、ほかにもモスクワのラジオ局、エホー・モスコヴィ[モスクワのこだま]――視聴は限られた範囲だが――を含む反対的言論の表出口がある。

 なぜクレムリンは、ロシアにある独立メディアの最後の残りを閉め出すことができないのだろうか?「ロンドンやフランスにはたくさんロシアの政治家が住んでいます。ロシアはもし独立メディアを閉め出したら西側との間に多くの問題をもつことになるでしょう。彼らはロシアが全体主義国家だと呼ばれることがないように、自由のかすかな光が見えるようにしておかなければならないことを完全に理解しているのです」、とパンフィロフは述べる。

 外国人ジャーナリストは、気骨のあるモスクワ特派員として働いていても、ロシア人ジャーナリストと同じような物理的危険に直面することはない。「ここでのすべての話は、ぼんやりとした層の中に折り込まれているのです」、と言うのは、タイムズ紙のモスクワ支局長であるトニー・ハルピンである。「ここで外国人としていると、国家の深さと複雑さを理解することは非常に困難です。多くのケースにおいて、あなたは真実をちらりと見ることだけしかできない」。

 ロシア政府は現在、親プーチン的メッセージを行きわたらせるために、いくつかの主要なPR会社とブロガー軍団を雇っている。それは、やっかいな質問をする西側の記者たちを見越してのことだ。2000年以来、ロシアは40人のジャーナリストを国外追放あるいは入国拒否している。6月には、英国のフリーランス・ジャーナリストであるサイモン・ピラニが、有効なビザを持っていたにもかかわらず、モスクワへの入国を拒否され、ロンドンに送還された。連邦の問題について執筆しているピラニは、防衛上の脅威だと考えられたのだと、後に高官が語った。

 こうした間も、ミハイル・ベケトフの友人は、彼が回復するように祈っている。兆候はあまりよくない。「私が彼を見たとき彼はひどい状態だった。顔は腫れ上がり、皮膚はガラスのように見え、喉にはチューブを通していた。ロシアでは真実を書くジャーナリストになることは非常に危険なことなのです」、そうフェドトヴァは述べる。

(訳/藤沢和泉)




シャルリー・エルボ襲撃後の“言論の自由”という偽善


2015年1月9日
wsws.org

シャルリー・エルボ編集部襲撃は、パリ中心部における12人の非業の死に震え上がらせ、人々に衝撃を与えた。武装した男達が銃を発砲して、既に負傷している警官を殺害した、何百万人もが目にしたビデオ画像は、水曜の出来事のとんでもない実情を伝えている。

銃撃直後から、国とマスコミは、国民の恐怖と混乱につけこもうとしている。またしても、テロの政治的破綻と、本質的に反動的な性格があからさまになった。テロは、テロリストがしでかしたことを 独裁政治と軍国主義への支持をかき立てるのに利用する国家権益に役立つのだ。2003年、ブッシュ政権がイラクを侵略した際、フランス大衆の反対が余りに圧倒的だった為に、ジャック・シラク大統領率いる政府は、アメリカ合州国からの膨大な政治的圧力を受けながらも、戦争に反対せざるを得なかった。それから12年後の現在、フランソワ・オランド大統領は、フランスを“対テロ戦争”におけるアメリカ合州国の主要同盟国へと懸命に転換しようとしており、パリの襲撃事件は彼の思うつぼだ。

こうした取り組みで、オランドは、このような場合、大衆の感情操作と、大衆の政治的見当識障害を起こさせる為に全力を振り向けるマスコミを、頼りにすることが可能だ。資本主義者のマスコミは、情報の抑圧と、一部だけ真実の話や、真っ赤なウソを巧妙に組み合わせて、広範な大衆の極めて卑劣な本能に対してのみならず、大衆の民主的、理想主義的感情にも訴えかける様に計算された物語を作り上げるのだ。

シャルリー・エルボ誌襲撃は、出版の自由と、自由の喪失や生命に対する脅威の恐れ無しに、自らの思うことを表現するというジャーナリストの民主社会における不可侵の権利に対する攻撃だという主張が、ヨーロッパやアメリカ合州国中でおこなわれている。シャルリー・エルボの漫画家や編集者殺害は、ヨーロッパやアメリカ合州国で極めて大切に護持されていることになっている言論の自由の原理に対する攻撃だと宣言した。シャルリー・エルボ襲撃は、そこで欧米の“自由”に耐えられないイスラム教徒による、また一つの暴行として描かれる。ここから“対テロ戦争”、つまり、中東、中央アジアや北・中央アフリカに対する帝国主義者の猛攻撃は、避けることのできない必要事だという結論が引き出されてしまう。

偽善の民主主義を大騒ぎするさなか、中東での戦争で、少なくともジャーナリスト15人の死に、アメリカ軍は責任があるという事実への言及は皆無だ。“言論の自由が攻撃されている”と言い続ける中、2003年のバグダッドのアル・ジャジーラ事務所空対地ミサイル攻撃で、ジャーナリスト三人が死亡し、四人が負傷したことへの言及は全くない。

2007年7月の、バグダッドで働いていた、二人のロイター・ジャーナリスト、カメラマンのナミール・ヌール-エルディーンと運転手のサイード・チマグの殺害に関して、一言も書かれても、言及されてもいない。二人は、東バグダッドへの任務に派遣されたアメリカのアパッチ武装ヘリよって、意図的に標的にされたのだ。

アメリカ国民も諸外国の国民も、アメリカ人兵士、ブラドリー・チェルシー・マニング伍長から入手した機密情報を、ウイキリークスが公開したおかげで、武装ヘリコプターの一機から撮影された、二人のジャーナリストやイラク人集団の血も涙もない殺害光景のビデオを始めて見ることができたのだ。

そして、アメリカ合州国とヨーロッパは、ウイキリークスによる言論の自由の行使を一体どのようにして護ろうとしただろう? ウイキリークスの創設者で発行者のジュリアン・アサンジは、容赦ない迫害の対象になっている。アメリカ合州国とカナダの主要な政治・マスコミ人士連中は、彼を“テロリスト”と非難し、彼の逮捕を要求しており、あからさまに、彼の殺人さえ主張する連中までいる。アサンジは、アメリカとスウェーデンの諜報機関がでっち上げた詐欺的な“強姦”の罪で追われている。彼はロンドンのエクアドル大使館に逃げ込むことを強いられたが、そこは、もしアサンジが大使館から一歩踏み出せば、直ちに逮捕する、イギリス警察によって常時監視されている。チェルシー・マニングについて言えば、彼女は現在、反逆罪のかどでの懲役35年で獄中にある。

これこそ、北米とヨーロッパの偉大な資本主義による“民主主義的”言論の自由と、ジャーナリストの安全に献身する実証だ!

国やマスコミが紡ぎだすいいかげんで偽善的な言辞は、シャルリー・エルボや殺害された漫画家やジャーナリストを、言論の自由の殉教者、そして容赦なく因襲を打破するジャーナリズムの民主的伝統の代表としてあがめられる者として奉じることを要求している。

フィナンシャル・タイムズに水曜に掲載されたコラムで、リベラルな歴史学者サイモン・シャマは、シャルリー・エルボを、“自由の活力源”である、ジャーナリストとしての不遜さの輝かしい伝統の中に置いている。彼は偉大で有力だった人々を激しい軽蔑にさらした、16世紀から19世紀までのヨーロッパの偉大な風刺作家達を想起している。著名な標的の一例として、シャマは、我々に、1500年代、自由を求めて戦うオランダ人を血の海で溺れさせた残虐なアルバ公爵、フランス“太陽王” ルイXIV世、イギリスのウィリアム・ピット首相、そしてプリンス・オブ・ウェールズを想起させる。“風刺は”シャマは書いている、“風刺画が、毎日、毎週回覧されていたコーヒーハウスや居酒屋で自由健康に笑い飛ばす政治の酸素となった。”

シャマは、シャルリー・エルボを、彼らがそれに値しない伝統の中に位置づけている。シャマが言及している全ての偉大な風刺作家達は、上流階級特権を擁護する強力で堕落した連中軽蔑した、民主的啓蒙の代表者だ。イスラム教徒の容赦なく恥ずべき描写で、シャルリー・エルボは、貧しい人々や、無力な人々をあざわらっている。

単刀直入かつ率直に言えば、シャルリー・エルボが、下劣で、ひねくれて、下品な性格だからといって、社員達の殺害が許されるものではない。しかし、“私はシャルリー”というスローガンが採用され、抗議デモのスローガンとして、マスコミによって大々的に宣伝されている中、国やマスコミのプロパガンダに飲み込まれていない人々は、“雑誌社への暴力攻撃には反対だが、我々は‘シャルリー’ではなく、彼らと共有するもの何もない。”と応酬する義務がある。

マルクス主義者は、大衆に対する宗教の影響力を克服しようとする戦いに決して無縁ではない。だが彼らは、信仰が、困窮や絶望的な苦難といった状況によって維持されていることを理解した上で、この戦いを進めている。宗教は、あざわらうべきでなく、カール・マルクスがした様な形で理解し、批判すべきなのだ。

“宗教的な苦悩は…現実の苦悩の表現であり、現実の苦悩にたいする抗議でもある。宗教は、虐げられたもののため息であり、心なき世界における心であり、魂なき状態における魂なのだ。それは民衆のアヘンだ。

「宗教的な苦悩は…現実の苦悩の表現であり、現実の苦悩にたいする抗議でもある。宗教は、虐げられたもののため息であり、心なき世界における心であり、魂なき状態における魂なのだ。それは民衆のアヘンだ。

“民衆の幻想的な幸福としての宗教を廃棄することは、民衆の本当の幸福を要求することだ。現実の状態について民衆がもつ幻想を棄てるよう要求することは、それらの幻想を必要とするような状態を棄てるよう要求することである。したがって、宗教批判は、宗教を核とするつらい浮き世に対する批判の萌しなのだ。” [マルクス・エンゲルス全集、第3巻ヘーゲル法哲学批判序説 (ニューヨーク、1975)、175-76ページ]

こうした言葉を一読すれば、マルクス主義と、シャルリー・エルボに見られる元左翼の政治的冷笑という不健全な環境を区別する、知的、道徳的隔たりが見てとれる。イスラム教とその伝統に対する連中のたわいもなく不愉快なものが多い中傷には、啓蒙的なものも、まして道徳心を養うようなものは皆無だ。

シャルリー・エルボの余りに多くの表紙に掲載された、皮肉で、挑発的な反イスラム教風刺画は、フランスにおける右翼優越主義運動に迎合し、その増大を促進した。シャルリー・エルボを擁護しようとして、その漫画は皆“楽しく”政治的影響は皆無だと主張するのは馬鹿げている。アフリカと中東において強化しつつある軍事的計画への支持を集めようとフランス政府が躍起になっている事実に加え、フランスは、ネオファシスト国民戦線の影響力が急速に増大している国だ。この政治的文脈で、シャルリー・エルボは、1890年代、フランスで、大衆運動として登場した、政治色が強い反ユダヤ主義と憂慮すべき類似性をもった、政治色が強い反イスラム教感情の一種の伸長を促進したのだ。

悪質で紋切り型のイスラム教徒イメージを広める粗雑で品のない風刺画を利用しているシャルリー・エルボは、1894年に、ドイツの為のスパイ行為で、ユダヤ人将校が告訴され、冤罪を被った後に勃発した有名なドレィフュス事件の際、フランスを風靡した反ユダヤ主義煽動を醸成する上で、重要な役割を演じた安手の人種差別的な刊行物を思い起こさせる。一般大衆のユダヤ人憎悪をかき立てる上で、悪名高いエドゥアルド・アドルフ・ドリュモンが発行したLa Libre Parole [“言論の自由”]は、使いやすい反ユダヤ主義の道具として、漫画を実に効果的に利用した。風刺画は世論を煽り、ドレィフュスや、偉大な小説家で「私は告発する」の著者エミール・ゾラ等、彼を擁護する人々に反対する暴徒を駆り立てるのに貢献した。

World Socialist Web Siteは、長期にわたる政治綱領に基づき、シャルリー・エルボテロ攻撃に反対し、断固として非難する。しかし我々は、シャルリー・エルボを、民主主義と言論の自由の大義に対する殉教者として描き出すことへの参加を拒否し、読者の皆様には、この偽善的で、いいかげんなキャンペーンの動機である反動的意図に注意するよう警告したい。

David North

記事原文
url:http://www.wsws.org/en/articles/2015/01/09/pers-j09.html

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14 コメント

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同感です! (AS)
2015-01-12 19:22:11
ヨーロッパ各国のこの偽善的な態度、胸くそ悪くなります。
在日エジプト人タレントのフィフィさんもツイートしています。
「イスラムを蔑むことが許され、キリスト教を蔑むことは許されない、kれが言論の自由ですか?」
なんだか怖くなってきました (ray)
2015-01-12 21:54:12
自分の記事に使う画像を見繕っているときにはそんなことなかったんですが、新聞報道を見ていて、ムカつくとか胸糞悪いとかいうより、段々恐ろしくなってきました。

パリには私の予想も超える百四十万人が集結したらしい。
各国首脳が集まり、なぜかイスラエルのネダニヤフまでいる。
1944年のパリ解放に匹敵する規模とか言ってます。
いくらなんでも物事の軽重が違うだろう。

どうしたんだ、フランス。ヨーロッパ。

私はシャルリの看板がまるでアノニマスの仮面のように見えてくる。

冷静になってくれ、キリスト教世界。
理解に苦しみますね ( )
2015-01-13 04:23:27
シャルリーの絵のどこが反イスラムのヘイトスピーチなのか全くわからないんですが?
それとも宮武先生は宗教に対する一切の批判や風刺は許されないというお考えですか?


>「イスラムを蔑むことが許され、キリスト教を蔑むことは許されない、kれが言論の自由ですか?」

シャルリーはローマ法王もネタにしてますが?


>なぜかイスラエルのネダニヤフまでいる。

いたらなぜいけないんですかね?アッバスもいたんですけどそちらは疑問にお思いにならない?
自由とは (地球)
2015-01-13 19:40:40
ジャーナリストたちは、「自由」の意味をはき違えていると思います。
誰かを傷つけてもいい自由など、存在しないと思います。
テロが許されないのと同じように、ペンの暴力もまた、許されないと思います。
Unknown (村野瀬玲奈)
2015-01-14 02:26:46
宮武嶺さん、数日行進がストップした後のうちの新年最初の記事に励ましのコメントをいただいたこと、ここでお礼申し上げます。

さて、とりあえず、「フランス人の心の友」である二人のフランスの人気シンガーソングライターの反戦歌2曲について書いた記事のトラックバックを入れさせていただきました。

なお、宮武嶺さん、フランス国民、そして私を失望させたオランド大統領の現在の支持率は10%台と低迷しています。今フランスの大統領選があったら、私はドミニク・ドビルパンに投票したい気分です。
自由、正義とは (みなみふらんす)
2015-01-14 05:57:34
在仏者です。

フランスが自由の国ですって?
専業主婦の自由、結婚離婚への介入、言語習得の強制を受けない自由、シャルリーをみない自由。

一方の自由は尊重される条件付きの自由は、本当に自由なのでしょうか。そして、言論、表現とは、他者の信じるものへの冒涜も自由という名の下で、死守すべきものなのでしょうか。

私は想像力のないフランス人に、フランス人が怒るだろうことを、私の自由、言論の、表現の自由を楯に発言しました。他者の心の痛みも言論、表現の自由よりも軽いわけですから。

結果は、クレイジー、狂気だそうですよ、私。それをフランスでは、自由と呼ぶようです。私の自由はフランスのどこにあるのでしょうか。私にはフランスに蔓延している自由こそが、一神教の信仰にしかみえません。恐ろしいものとして。西洋が絶対であるとの押し付けも含めて。
正直、難しい問題 (ray)
2015-01-14 16:21:45
ある在フランスのブロガーの記事を紹介されて読んだら、フランスにおける風刺の価値やこの週刊紙がどう存在感があったから今回の運動になったかと書いてあって、結構カルチャーショックだったのです。

フランス文化に造詣の深い村野瀬さんのとこにも何度もお邪魔して盗み見しにいってるんですが、かなり表現の自由を強調したうちの記事よりさらに踏み込んでいる気がしました。

逆に、みなみふらんすさんの告発は新鮮かつ深刻です。
フランスでは政教分離を貫くが故に公教育ではイスラム教徒の女性たちがスカーフ?の着用が認められないって本当なの?
それって私が習ってきた政教分離と全然違うぞ。
そもそも政教分離は権力から信仰の自由を守るための制度なのに、完全に使い方が逆だ。
自由と人権の先輩に言うのはなかなか気がひけるけど、みなみふらんすさんが言うように、君らの言論の自由も君らの価値観の範囲内の物だとしたら、それは言論の自由じゃないぜ。

地球さんのおっしゃるように、表現の自由もまた絶対無制約ではありません。
脅迫のような犯罪的表現はもちろんのこと、プライバシー侵害や名誉毀損の表現も一定の基準で違法とされます。

私が反対しているのはそれ以上の新たな立法によるヘイトスピーチ規制なのです。
今の在特会やネトウヨの言動では、いくら弁護してやってもそのうち規制されるのは必定だとも思いますが。
つうか、あなたの言うことには反対だがそれを言う権利は守るというのも、痩せ我慢というか、ほんまあいつら相手だとやり甲斐ないわ!
ハフィントンポストより (ray)
2015-01-14 19:05:04

私たちは恐れずにいられるだろうか?
Montserrat Domínguez
投稿日: 2015年01月14日 16時10分 JST 更新: 2時間前
私たちは恐れている。残忍なテロリストが風刺画家を殺し、ジャーナリストの首をはね、子供たちを射殺したことを。大義名分にされた予言者は草葉の陰で嘆いているはずだ。私たちは恐れている。パリ郊外に、いやむしろどんなに素晴らしい街のどんなエリアにでも、ジハードが根付くことがまたしても証明されてしまったことを。失う物は何もないと思う人々にとって、ジハードは栄誉を勝ち取るための歪んだ主張となった。

これが恐れずにいられるだろうか?西側も東側も、世俗国家も宗教国家も、単独行動の国も同盟で動く国々も関係なく、あらゆる政府は、最大限の被害を与えることを意図した攻撃から、市民を守ることができずにいる。ニューヨークのツインタワーでも、マドリードのアトーチャ駅の電車でも、ロンドンの地下鉄でも、ペシャワルの学校でも、パリの新聞社の編集室でも、コーシャー食品のスーパーマーケットでも。

恐れずにいられるだろうか?忍び寄る市民権の侵害を。違法な盗聴、法の適正手続きの簡略化、統制の強化、出入国管理の強化、秘密工作の増加、不透明性を増す公的機関、無人機の増加... 「安全か自由、どちらかを選べ」と彼らは言い、国防と諜報の予算は増額され、協力や教育や社会の統合といった、文明の強力な武器のための予算は減額される。

私たちは恐れている。人々の、直情的で危険で、あまりにも人間的な防衛反応を。これまでずっと恐怖をあおる集団を見てきた人々が、ポピュリズム、人種差別主義、イスラム嫌悪、反ヨーロッパ主義、反ユダヤ主義に染まるのに、もはや「だから言ったのに」と言う必要すらなくなることを。ルペンやPEGIDA、その他大勢の詐欺師たちが、複雑な問題への安直な解決策を売り込むのが目に浮かぶ。

私たちは恐れている。あからさまな、あるいは隠れた敵意に、これから多くのイスラム教徒たちが、隣近所で、職場で、学校で、キャンパスでさらされるであろうことを。スペインではイスラム教徒は人口の3%を占め、ヨーロッパで最もイスラム教徒の人口の割合が多いオランダでは6%を占める。フランスとシリアの国籍を持つ学生のレイラ・アラオフさんによるこの記事を読めば、当事者たちがどんな思いでいるかがわかる。

不安や恐れを抱くのは無理もない。シャルリー・エブドでの殺りくと、その後の、おそらくこれからも続く混乱の時が、私たちに与えた痛みを感じているなら。けれども、恐怖は必要不可欠な防衛メカニズムでもある。恐怖は、私たちのあらゆる感覚に警戒態勢をとらせる。最もかけがえのない、私たちの知性にも。そして知性が私たちに示す通り、狂信と闘うための唯一の方法は、法における自由、平等、寛容、尊重の原則を強化することだ。そうした共通基盤の上に私たちはヨーロッパを築いてきたのであり、この使命には今後も全力を注がなければならないのだ。

これが、12日にパリをはじめとする多くの都市に集まった何百万人もの市民の表情から、私が読みとったメッセージだ。私も恐怖や不安を抱いていて... そして、鉛筆とキーボードを武器に、闘う覚悟を決めている。恐怖に私たちを変えさせないために。

後記1: 真実とフィクション
1月9日の金曜日の夜、パリの襲撃事件の大々的報道が始まって3日が経った後(そしてもう何度目かわからないTwitterでのフィデル・カストロの訃報がデマと判明した後)、私は24時間放送のニュースチャンネルを見るのをやめて、何か緊張をほぐす助けになるものはないかと探した。早朝の時間帯にいくつかのチャンネルで同時に放送していたのは、ダイ・ハード/ラスト・デイ、ステルス、ザ・シューター、ワンス・アンド・フォーエバー、ウォーキング・トール。
どれを見ても、より多くの自動小銃、銃弾、殺戮、ヘリコプター...
私はシャルリー・エブドを襲撃したテロリストが逃亡時に実行した、アフメド・メラベ巡査の処刑のことを考えた。それは見たこともないほど残虐な光景で、悪夢のごとく私の視覚記憶に焼き付いていた。あのビデオをメディアが公開すべきか否かは論争になった。フランスでは、メラベ巡査に敬意を払い、公開されなかった。スペインでは公開された。その理由は、エル・パイス紙でオンブズマンのロラ・ガランが述べた通り、情報としての価値を尊重したためだ。
私は考えずにいられない。クアシ兄弟はこんな映画を生涯にいくつ見たのだろう?暴力にまみれたテレビゲームをいくつプレーしたのだろう?私たちが子供にクリスマスプレゼントとして贈るようなゲームを。

後記2: イスラム教侮辱罪でむち打ち刑
金曜日、サウジアラビアのジッダでブロガーのライフ・バダウィ氏が50回のむち打ちを受けた。同氏は「イスラム教を侮辱した」罪で懲役10年、むち打ち1000回の判決を受けて服役中で、これが最初のむち打ちだ。国境なき記者団のルシーユ・モリヨン代表によれば、バダウィ氏の罪は、サウジ社会の進歩についての公開討論の場を設けたことだという。11月、バダウィ氏は知の自由の振興に貢献した人物に贈られる「出版の自由」賞を受賞した。アムネスティ・インターナショナルなどの団体も、彼の釈放を求める活動をしている。
ライフ・バワディ氏は30歳。
このブログはハフポストUS版に掲載されたものの英訳版を翻訳しました。

Unknown (ねぼすけ)
2015-01-15 01:23:43
アルジャジーラもアメリカやイスラエルによって爆撃されていたんですね。アメリカが、自国のジャーナリストを戦場で殺しているということは知っていましたが、あの中立的な機関までも標的にしていたとは、驚きました。わたしはアルジャジーラとも言うべきですね。ありがとうございます。
ヨーロッパ,アメリカ追随政治の表れ (高 碩煥)
2015-01-18 22:18:06
己の価値観に尻尾を振って追随するもので有れば、世界一裕福であったアメリカが、国連を我が手先の様に操り、ヨーロッパを中心に全世界に於いて、金にものを言わせ、共産主義を批判、誹謗する政治家を作り、意に反して追随しない小国、異宗教に対しては、無慈悲に軍事的な力を持って、従わせ様とする、俗に言う
アメリカ的自由なのではU+2049U+FE0F

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