KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

朝焼けの月

2006-11-08 | KOFUKU日記
空に月が浮かんでいる。
澄んだ空気のなかで、白く、まろく、輝く月。
その下に並ぶ、高層ビル、都会の建物たち。
けれど月の向こうにははるかな薄青い空、そしてピンク色の朝焼け。

早朝から出かけた兄がメールをくれました。
「月がきれいだよ。ベランダから見えるよ」
窓を開けると、まだ街が動き出す前の月、眠りの前の月明かりがありました。

♪月を眺めていた
 少年はいつか
 大人になり、町を去った
 魔法など信じられないと
 
 けれど 
 時は流れいつか 少年は再び
 月を見てる 都会の窓から
 魔法を信じて


これは昨年、お世話になっているアプローチシアターさんの公演
「お月様へようこそ」で歌われたオリジナルのエンディングテーマの歌詞。
それはそれはうつくしい曲で、真っ青なライトの中浮かぶ月を背景に
オペラ歌手のゆかりちゃんの天から降りてきたような祈りのある声が印象的で
今でも夢の中に出てくるくらいの名曲なのです。

(作詞はブックマークにもある「タカラノタマゴ」のわきちゃんが書いたもの。
日本でも有数のフィギュアスケートのコメンター、そして評論家であり、
あの有名な「劇団○季のオペラ座の怪人はすごいらしい」を生み出した
コピーライターで童話作家で画家で女優、さらに英語ぺらぺらの才媛であります。)

私はこの歌詞がとても気にいっています。
朝焼けの月を見ていたら、月を見上げる少年の気持ちになりました。
きっと魔法を信じられるようになった、大人の少年は(^^)
こんな気持ちで空を、月を見上げたに違いありません。


「お月様へようこそ」を書いたジョン・パトリック・シャンリィは
アメリカ・ブロンクス生まれの作家で、ブロンクスを舞台に
人間の中にある孤独とそこから生まれ来る愛を描くのです。
私の好きな脚本家の一人です。
このお月様へようこそは6つのお話のオムニバスで構成されています。
赤いコートに秘められた想いから始まる若い男女の恋、
鉛筆がなければ詩をかけないと苦悩する詩人とそれを支える恋人、
バーで出会った孤独な男女が心を通わした瞬間に到達する宇宙、
自分以外には見えない人魚に恋をしたウォルターの喜びと孤独、
街に閉じ込められた少女と旅するカウボーイのはかない恋、
そして表題「おつきさまへようこそ」は
高校を卒業してしばらくぶりに出会った男女の恋心を描きます。
どの主人公も大人になって、魔法が信じられなくなり、
そして自分の中に魔法がある事を見つけ出す、そんな話です。

人の人生にはいろいろな出来事が潜んでいて、それをその本人しか体験できません。
その経験は喜びになり、悲しみになり、いろいろな形になってその人に宿ります。
時に孤独は人の心をさいなみ、すべてのものさえ失わせてしまう。
けれど、実はその孤独の中に答えが潜んでいる。
そしてその孤独を解く魔法が愛であると言う事をシャンリィの作品は教えてくれるのです。

「空を見てご覧。星や惑星だ。こんな美しさがあったなんて信じられない。
しかも、僕たちは何年も生きてきて、気付きもしないんだ。」
・・・
「二人でいるのがこんない楽しいのは何故だろう?何の努力もしていないのに?
星や惑星はいつもあそこにあるんだよね?」
「そう」
「そして人間はいつも孤独なんだよね?」
「そう」
「でも、今夜僕が、何年かぶりかに感じているこの喜びを感じる事が可能なんだ。」
・・・
「どうやってここにたどり着いたんだろう?」
「真剣になったからここへ来たのよ」

“お月さまへようこそ~星降る夜に出かけよう”より


こういった「愛を知り魔法が解ける」というシチュエイション、かなり好きですね(笑)
もう一つ、これ系のお気に入りがミュージカルの「美女と野獣」です。
ディズニーのアニメーションでは野獣のビーストとベルが
お散歩をしたり、小鳥に餌をやったりして少しづつ仲良くなっていきますが、
ミュージカルではこのシーンが「図書館での出来事」に変えられています。
私はこの図書館のシーンが大好きなんです。
ここにはミュージカルだけのためのオリジナル曲「ヒューマン・アゲイン」が使われています。

その我侭な心のために野獣に変えられてしまったビーストの城には
家来達もいろいろな家財道具に姿を変えられて住んでいます。
魔法を説く方法は一つだけ、魔法使いの置いていった薔薇の花びらが
全部落ちてしまうまでに野獣が誰かに心から愛し、愛されるなら魔法は解ける。
美しい娘ベルが囚われたのをきっかけにみんなは二人の愛を期待しますが
元来我侭なビーストはベルを怒らせてばかりです。
ところがビーストがベルの大好きな本を与えようと
城の図書室に行ったところから話が少しづつ変わっていくのです。

図書室に連れて行かれたベルは大好きな本に囲まれて喜んでいます。

「まあ、アーサー王の物語、これあたし好きなの!読んだ事ある?」
「いいや」
「良かったら先に読んで」
「いいよ、君から」
「いいわ、あなたから」
「…、読めないんだ」
「どうして…読み方を習わなかったの?」
「習ったよ。遠い昔に…」
「、、、あたし!この本、誰かに読んであげたいと思っていたのよ!
さあ、どうぞ。隣に座って。」

ベルは優しくビーストに声をかけ本を読み始めます。

「そうしてグィネビア姫は修道院に入り一生を過ごしました。おしまい」
「ああ、なんて素敵な話なんだ。本がこんなに面白いなんて!」
「気に入った?」
「ああ、本は僕を別の世界に連れてってくれる。
僕が誰であるかという事を忘れさせてくれる。」
「、、、あなた、あたしと似てるわ。」
「君と僕が?」
「ええ。私の街ではみんながあたしの事を“変わり者”って呼ぶの」
「君が?変わり者?」

こうして二人の孤独が出会い、溶け合っていきます。
それを見まもる家来達はこの恋が実り人間に戻る日が来る事を夢見て
「ヒューマン・アゲイン」、もう一度人間に戻りたいと望みます。
そしてシーンはこういうセリフで終わります。

「ねえ、お願いを聞いてくださる?」
「なんだい?」
「あたしと食事をして欲しいの」
「君と僕が?」
「ええ」
「食事を?」
「ええ」
「ああ、答えはもちろん“YES”です!」

二人を見つめる周りの人々はこの様子を観て
もう一度人間に戻れる日がくるのなら
こんどは歌って、踊って、笑って、こころから楽しく暮らすんだ、
あの輝く光を大切に暮らしていこうと歌いあげます。

ラストはご存知のようにベルとの愛を得た野獣が人間に戻り幸せになるというお話。
ミュージカルではポット婦人と息子のチップの親子愛が描かれていたり感動的です。
どんどん動けなくなり本物の家財道具に近づくなかポット婦人が言うのです。
「あたしは諦めないわ。あの子が笑顔で駆け回るのを見るまでは」
ラスト、人間に戻ったポット婦人のもとに、少年に戻ったチップが
「ママ!」と駆け寄ってくるところは舞台に出ていても涙でした。
機会があったらご覧いただきたい作品の一つです。

愛という魔法はあちこちに眠っているのです。きっと。
魔法の杖は心の中にあります。どうぞそれを見つけてください。
あなたの中の魔法を忘れた少年も月のちからでよみがえることでしょう。

そらはすっかり青空です。







クラフトをご注文の皆様へ~お詫び

2006-11-07 | 手しごと*スローライフ
GOD HUG YOUのバザールにてクラフトをご注文くださった皆様へ。

この度はご注文ありがとうございました。
クラフトの発送を11月15日までとお知らせしておりましたが
処々の事情のため、発送を11月末までお待ちいただくこととなりました。
楽しみにお待ちくださっている皆様には大変申し訳ございません。
どうぞもうしばらくお待ちくださいませ。
何卒よろしくお願い申し上げます。

GOD HUG YOU

絆・まだ見ぬあなたへ~永遠の月の光の輪のなかで

2006-11-04 | KOFUKU日記
今週は懐かしい人たちと少し不思議な世界の話をしてきました。
まだまだ不思議な話はいっぱいいっぱいあるのだけれど、
今回はこのくらいにして、時々みなさまにご紹介することにします。

さてもう満月ですね。
今日、帰りの夜空にきれいなお月様が浮かんでいました。
少し曇っているから黒い雲が時折流れてきて月を隠してしまいます。
けれど雲は留まることなく風にゆっくりと流されて、
また青い月の光が流れ出すのでした。
こんな風に人生の時々も陰に隠れるときもあれば、
光まぶしいときもあるのでしょうね。

今回この不思議なお話や懐かしい人特集を考えたのは偶然ではありません。
死者の日が近かったからでもありません。
実は先日の事、日曜日だったでしょうか?お稽古場でのことです。
その日はなぜか電話が多くて、稽古場を抜け出しては電話を受けていました。
そこに、ある一人のおじ様がお電話をくれたのです。
そのおじ様は私の大好きな人の一人で、たまにここにも登場した事があります。
この前まで務めて居たお店のお客様で「Yさん」という素敵な人です。
わたしの人間性を気に入ってくださって、
私に会わすためにお客様を連れてきてくださったり、
昨年奥様を亡くされたその人は、家族のない私を気遣ってくださったり、
本当にいろいろと声をかけていただきました。
ここでもご紹介しましたが、その方は科学者と言うか
とても頭が善い方で企業家でいらっしゃいます。そしてとても個性的です。
更にとてもよい方なので、変にお金に汚れたりしていないのです。
そのせいで影でその方の事をいろいろ言っているのも聞きました。
「あの人は頭いいかもしれないけど変だ」
「結局頭よくてもお金になってないんだから意味がない」
「人生の負け犬」いろいろです。
わたしも「美女と野獣」のベルよろしく「変わり者」だったので
お店に来る「変わり者」の人に愛されました(^^;)
みんなは「類は友を呼ぶ」と笑いました。
「理解できないわ」って敬遠されてました。
けれど、私はそういう人たちが大好きでした。
なぜか、そういう人たちは「嘘をつかない」からです。
「飲んでる席だし、いい加減な話だよ。
そんなすごかったらお金持ってるはずじゃない。」
お金のない人は信用されない、つまらない基準がそこにはありました。
けど話してたらわかる。そういう人はうそをつけない。
なかでも、その「Yさん」は嘘のつけない人でした。
何より他の人と違うのは「お金」と「色」が絡まない人だったことです。
「Yさん」はいろんな事を話してくれました。
沖縄の血を引いている事。宇宙の話。心の話。
何が一番大切なのか、人生の話。
教えてもらった話のなかで一番気に入っているのは
「おかげさま」のはなし(^^)
人と関わるときにはこの「おかげさま」を大切にしなさい、って。
Yさんの口からこの言葉が流れ出たとき、
ああなんてあったかい言の葉だろう、と思いました。
それ以来、誰かにあうと「おかげさまです」と言うようになりました(^^)
自然と手を合わせて笑顔が出るような善い言葉で気に入っています。
このYさんはまた自由な善い声でお歌を歌われます。
その自由さは本来歌になければいけない美しさの象徴でした。
歌の大好きなわたしはYさんの歌を聞くたびに嬉しく思っていたのです。

この面白いYさんが電話をくれました。
お芝居のチケットのお申し込みです。
以前から公演の話を聞いては気にかけてくださって居ました。
「芸術を愛する真のパトロンを見つけて続けていきなさい。
いつか私もそれが出来たら応援するから」
そういってくださいました。
私がYさんをとても気に入っていた理由がもう一つあります。
それはYさんの「娘さん」です。
Yさんには歌の大好きな歌い手を目指している
吸い込まれるような瞳を持ったおじょうさんが居るそうです。
おじょうさんのお話をなさるとき、Yさんは同じような瞳をキラキラさせて
それはそれは嬉しそうに「うちのちびがね…」と語るのです。
それはほほえましく、あたたかく、私はそれを聞くのが大好きでした。
そのおじょうさんはとても繊細だと伺いました。
まあ、芸術家ですから繊細でなくちゃあやってられませんので、
ちっとも気にする事はないと思いましたが、なんとなく共通点を感じました。
そして、そのおじょうさんの話を聞いた日、
不思議な事に話を聞きながらその娘さんとのご縁を深く感じたのです。
なんでしょう?歌の魂、とでも言うものでしょうか?
何かが強く、私のなかで動きました。
それで、突然私のなかに「いつか歌ってもらわなくちゃ」という言葉が浮かびました。
するとYさんが私たちの公演のあり方を「本物の贅沢な芸術」と呼んでくださり、
ぜひ娘さんに紹介したいと言ってくださったのです。
けれど「出会い」は作るものではないから、話をしてみてつながるなら出会うだろう
、それでいいというような事をおっしゃいました。
私はこの縁をつながなければならないと思いました。
これは縁でなく「絆」だと感じたからです。
それで実は店では禁じられていたのですが、
その方に公演のご案内を渡し、このブログの名前を教えました。
プライベートを教えたのは初めてのことでした。
それから急に私はやめる事になってしまい、チケットのこともあるから
そのうち会社のほうにでもご挨拶に行きたいなあと思っていたのです。
その矢先にYさんがお電話を下さったのです。
「やめるんです」と話したら「知っているよ、娘からきいたよ」って。
そう娘さんはこのブログを覗いてくれたのだそうです。
そしてやっぱり同じようなものを感じている様だって話してくれました。
そして彼女が見たいといっているのでチケットを、って。
もちろん用意させていただきますと答えました。

私はその日、ちょっと不思議な思いでした。
一度も会ったことのない、名前も知らない人たち。
この世にはそう人がほとんどです。
けれどつながっているんだなあ~、って強く感じたのです。
この絆、この愛の感じ、これはなんだろうって。
確かに私はYさんとつながりを感じ、そしてその出会ったことのない
名前さえ知らない娘さんに絆を感じ、愛を感じたのです。
「いつか私たちは一つになる」
なんだかそういう予感を持ちました。
そうしたとき、亡くなったすべての人、これから生まれ来る人、
宇宙のすべてのたましいの大いなる絆と愛を感じたのでした。
それで、「つながっている」それは「永遠」であり「すべて」
そういう事を書きたくてこの一週間を過ごしたのでした。

いま、これを見てくださっているYさんのおじょうさん。
私はもうすでにあなたの友達です(^^)
なぜならあなたは私であって、私はあなたなのだから。
いつか一緒に愛の歌を歌いましょう!
私たちはいつかそういう場所を、愛のあふれる場所をもちたいと話しています。
そこで、ぜひあなたの愛を貸してくださいね!

同じようにこれを見てくださる皆さん。
皆さんの一人ひとりがYさんのおじょうさんと同じ絆を持っています。
愛で結ばれているんだなあ、それは永遠だって思います。
この世界のなかで、こうやって同じ月を見ている。
その奇跡に感謝しています。
そしてそれは永遠である事も。
わたしたちは魂の家族。おおきなおおきな家族ですね。
永遠の月の光の輪のようにつながっています。

いつも読んでくださってありがとう。
心からの愛を込めて。

LOVE&PEACE FOREVER!

杜(もり)のねっこぼっこ ご案内(^^)

2006-11-03 | 神様、天使、平和の祈り、愛の言葉
大切な愛する仲間の愛ちゃんが素敵な会を開きます。
お近くにお住まいの皆様、そしてお時間のある皆様
みんなで参加いたしましょう(^^)
ちなみに“あんじゅ”こと私Rayeも手作りぺこ市に参加させていただきます。
遠い伊賀の地までは参れませんが、ちいさな手作りで愛をお届けいたします。
それでは愛ちゃんのブログ“つぶや木”からご案内です。
ご興味のある方はどうぞ愛ちゃんのブログも覗いてくださいませ(^^)

「つぶやき」(クリックしてね^^)



「杜(もり)のねっこぼっこ」

親愛なる 杜(もり)のねっこぼっこたちさま
『ガイアシンフォニー第五番』映画会&手づくりペコ市 いたします
いっしょに 遊ぼうぼう!
どうぞ みんなみな おいでんなさい

◆と き 2006. 11. 26【日】 12:00~17:00
◆ところ 博要の丘ホール
(旧博要小学校---三重県伊賀市種生1367 TEL:0595-55-2100)
◆ながれ  
12:00 ---入環--- 
12:00~手づくりペコ市 いらっしゃ~い
13:00~15:15 『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第五番』上映会
15:30~      手づくりペコ市 ふたたびいらっしゃ~い
17:00 ---響環---
◆上映費 おとな1,000円 (学生以下無料)
     *上映中の託児---こどもひとり100円
◆お願い 
・ 寒いこと予想されます。あたたかな服装でおいでくださいませ。
・ ゴミが出るときは各自お持ち帰りくださいませ。
・ 手づくりペコ市はマイバッグ・マイカップ・マイ箸お持ちくださいませ。
・ 杜の住人(ねっこぼっこ)のつもりでお越しくださいませ^^


杜(もり)のねっこぼっこの想い

『杜のねっこぼっこ』とは・・・
『杜(もり)』は樹木が育ちはぐくむ天然の「森」に対して 
人が生活を営む上でのココロのよりどころとして 
環境に深く配慮し洞察し整えた自然を意味します。
この豊かな地球環境に守られている私たちの社会にとって 
自然はかけがえのないもの。
それを知っているからこそ 古代日本の人々は和語として
この漢字を“もり”と読み  自然を身近なものとして大切にし 
自然から学んだ土木技術によって杜を作っていったのでしょう。
けれど今 私たちを取り巻く社会は 
自然を破壊する土木技術によって成り立ち 
とうとう地球環境までも 破壊しようとしています。
甘えっぱなしでなく、お互いがお互いを繋いでゆく。
この地球において人と自然の共生と調和を築くために 
もういちど自然と対話し学び 森羅万象と人 
いっしょに大きなワになって支えあいたい。
そんな想いで『杜』という言の葉 使っています。
『ねっこぼっこ』は木の根っこに住む小人さん。
木を人とするなら かくれんぼしていて見えないところ 
人が人としてあるところの大切なところ 
そうココロや精神を 改めて見つめてゆきたい。
ねっこぼっこ見つめて 耳澄ました人人人と森羅万象が 
集い繋がり小さな大きな杜を創る。
ねっこぼっこ 遊びはじめたとき はなればなれだった 
風のながれ(精神) 水のながれ(ココロ) 動き出し 
土のながれ(身体)よみがえり 木(人)が輝きだす 杜が生き還る。
そんな想いで活動してゆきます。

夏のなごり風 秋のみのり風 冬のいのり風・・・
くるくるんとマーブル模様にとけあう今。
外の季節がそんなマーブル模様なら 
きっと魂の季節は 空のしじま 森のしじま 海のしじま・・・
くるくるんとスパイラル模様にとけあう今。
そんな秋のたわわな実りを祝って 
人の手から生み出されるあたたかなモノたちを
ねっこぼっこたちに届けたい『手づくりペコ市』。
お腹ペコペコ ハートペコペコは 
みんなポコポコにっこりになってしまうことでしょう^^
そして 魂のうららかな春を祝って 萌える芽のような「誕生」
そしてめぐりめぐりて「すべての存在は繋がっている」テーマの
『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第五番』ドキュメンタリー映画 
上映会いたします。
ねっこぼっこたち いっしょに遊ぼうぼう!
どうぞ おいでんなさいませ。待ってるよ~
-----*-----*-----*----- 
★『手づくりペコ市』 
出店者
・GOD HUG YOUのあんじゅさんより あたたかなクラフト手しごとたち
・クリーン・プラネット・プロジェクト えりちゃんより 重曹お掃除キットなど
・パンロードさんより アツアツ鉄板秋の実りピザ
・いが野の農園さんより お野菜 お米たち 
・恵ちゃんより 秋のねっこぼっこお菓子
・愛農高校さんより 農産加工品
・布ナプキン
・びわの葉温灸
などなど
まだまだ出店者募集中!

★[『地球交響曲ガイアシンフォニー第五番』 
監督:龍村 仁さん(2004年製作 133分)
テーマその①すべての存在は繋がっている

・今、世界中で起こっている混乱や苦しみは、
21世紀の新しい価値観が生まれ出るための「陣痛」の苦しみである、
とも言えるのです。
自然なお産における陣痛の苦しみは、それ自体は苦しみですが、
それを通過することに依って、新しい生命の誕生、という珠玉の喜びが生まれ、
母(地球)と子(人類)の新しい愛の形が始まるのです。
目の前で起こっている混乱や悲しみに目を奪われパニックに陥ったり、
意気消沈してしまうことの方がまずいのだ、と私は思います。
既存の価値観が崩壊してゆく今の時代は、
私達ひとりひとりの小さな価値観の変化と、
それにともなう小さな選択、行動の変化が、
地球規模の大きな変化を起こし得る時代なのです。
こんな時代に最も大切なのは、「全ての存在は繋がっている」
ということへの信頼と、そこから生まれる安心感です。
人と人とはもちろんのこと、人と他の全ての生命、
人と物、人と自然環境、人と地球、人と宇宙、
そして、人と宇宙創生以来の全ての過去、現在、未来は、
具体的、現実的に繋がっている。
今、私達、ひとりひとりが行っている全ての営みは、
いかに些細にみえることでも、一切が、決して消えることなく、
いづこかに“記憶”され、未来の世代、未来の地球、未来の宇宙に
繋がって生かされてゆく。
 そのことに気付き、謙虚さと共に、勇気と喜びをもって価値観を変え、
行動、選択を変えてゆく人々を激励する。

テーマその②誕生と死

・母の子宮に宿った新しい生命は、わずか十月十日の間に、
母の子宮の中で、およそ40億年の地球の全生命の進化の歴史を通過し、
その全記憶を宿しながらこの世に生まれ出ます。
ひとりの赤ちゃんが持つ、もはや神秘としか呼びようのない精妙な生命の仕組みは、バクテリアから人類まで、40億年の歳月をかけて、
誕生と死を繰り返してきた地球の全生命の「叡智の結晶」なのです。
 全ての存在は繋がっている、その視点をもって、
「誕生と死」を見つめてゆきます。

-----出演者-----
● 大野明子【産科医】
理学博士。出産後、子どもを母乳で育てる体験から、産科医に転身する。1999年、杉並区に『お産の家 明日香医院』を開設。分娩台はなく、地球の重力に逆らわない自然な体位でお産を行う。
「産科医にできることなんて、実はほとんどないんですよね。98%の人は普通に自然に産めるんです。」
● 石垣昭子【草木染織作家】
沖縄・西表島在住。東京の美大で学び、京都で修行後に島に戻り、廃れかけていた草木染の伝統技術を甦らせた。
「この色を染めようと思ってやると必ず挫折ですよね。絶対にそのようにはゆかないです。でも、あーっ、これがそうなんだと思えば、また次ぎにゆく。だから、やってみないとわからないですよね。こわがらずにやってみると、そこから何か見えてくるんです。完成はありません。」
● アーヴィン・ラズロー【哲学者・未来学者】
世界賢人会議「ブダペストクラブ」主宰。このクラブには、14世ダライ・ラマ法王初め、40人にのぼる世界の賢人たちが参加し、未来への提言を行っている。
「過去に起こったすべての出来事は、量子エネルギー場に保存され、現在に甦らせることができます。人間の脳は、単なる生物機械ではなく、体のすべての部分を通して、無限に近い情報を収集しています。やわらかく開かれた心を持っていれば、自ずと自分が時空を超えた存在であるとことがわかるはずです。」

              愛...peace&harmony

銀の鈴としんちゃん

2006-11-02 | KOFUKU日記
今日はキリスト教・カトリックでは「死者の日」
亡くなられた方々に思いをはせ、祈りを捧げる日です。
どうぞ皆様、亡くなった魂のためにご一緒においのりください。

今週は天に帰られた人、向こうの世界の不思議なお話をお伝えしています。
今日はキクおばあちゃんのお話のなかに登場した母の弟
おじさんの“しんちゃん”について少しお話してみようと思います。

しんちゃんは戦時下の大雨の日、二人姉弟の弟として生まれました。
しんちゃんのお母さん(キクおばあちゃん)は彼の生まれた翌日
雨水のたまった防空壕に一晩使っていた事が原因で体が不自由になりました。
そうやって命を守ってもらったしんちゃんは誰よりもお母さんを愛しました。
お母さん思いの子供に育って、お母さんを楽にさせてあげようと
一生懸命勉強し、一生懸命に働きました。
ところがお母さんはある日、突然帰らぬ人になってしまいました。

「姉ちゃん、俺の人生は終わったよ」

お母さんを失ったまだ十代だったしんちゃんは
お母さんが亡くなった夜にポツリとそうつぶやいたそうです。

「あの子は可哀想なのよ。本当にお母さん一筋だったから。
あんな風に生きる気力をなくしても仕方ないの」
母が言っていた事を思い出します。
おばあちゃんを亡くしてからのしんちゃんは紆余曲折あったようです。
働く気力をなくし、沈んでいた日々が続きました。
そんな彼を私の父はとても嫌がり喧嘩が耐えなかったそうです。
かれはお母さんと同じように姉である私の母を愛していました。
父は以前にも書いたように横暴な人だったので、
母はとても苦労していたのです。
父を愛する母にはなんでもないことでも、
母を愛する人にとってはそれを見ているのは辛かったのでしょう。
ところが、そこに私が生まれました。
しんちゃんは超未熟児で生まれたとき息のなかった私が
生還したことを自分のことのように喜んだそうです。
彼は体が極端に弱くちいさな、そして母にそっくりの私を溺愛しました。
わたしもしんちゃんが大好きでした。

しんちゃんはおばあちゃんと同じで強い霊能力を持っていました。
小さい頃から心霊体質だった私は3度彼に助けてもらった事があります。

3歳のときのことです。
毎夜毎夜9時なると私は何かの力によって
部屋の真ん中に引っ張り出され、座らされます。
怖いから行きたくないのに私は体が動かないのです。
時計の音がだんだんだんだん大きくなって「ボーン」と9時を打つと
いっせいにすべてのものが動き出します。テレビは大きくなって私を襲い、
いろんなものがくにゃくにゃ動き出すのです。私にはそう見えたのです。
時には家のお皿やものがぴゅんと飛んだり、がちゃんと落ちて割れたり。
私は怖くて正座したまま部屋の真ん中で泣き叫ぶ。
そういうことが続きました。
長崎に出向で単身赴任していたしんちゃんがある日電話をかけてきました。
「もしもし、レイか~?元気か?」
「うん、あのね~、怖いのが来るの」
「そうか、そしたら明日しんちゃんが帰るからねえ」
何かを察知したのかしんちゃんは夜行列車に乗り朝の5時ごろでしょうか、
世が白む頃に戻ってきました。
私はすぐに目を覚まし、しんちゃんに飛びついて行ったのです。
しんちゃんは「げんきにしちょったか~」と笑って私を抱きました。
そしてびっくりするほど強く抱きしめて母に言ったのです。

「姉ちゃん、家の四隅にこも(かごの様なもの)を担いだ男が四人たってる。
このままやっとこの子がつれていかれるぞ。」

それからしんちゃんは早々に出かけ、夜近くになって戻ってきました。

「しんちゃん、どこにいってきたと?」私は聞きました。
「神さまのところに言ってきたとよ。
お前の怖いのがくるからそれを退治する道具をくださいって
神さまにお願いをしてねえ、もらって来たとよ。」

そういってしんちゃんが出したのは
“ビニールのケースに入った6色のサインペン”と“折り紙”でした。
しんちゃんはその折り紙でセミをおりました。
そしてサインペンのケースの蓋を開けるとくるんと折り返し
対砲台のようにして部屋の真ん中に置いたのです。
ペンを少しづつ引き出してその頭に一匹ずつセミをかぶせました。
そして私を座らせてこういいました。

「よかか?このセミはね、神さまのところから連れてきたお使いじゃっど。
ものすごかちからがあるんだよ。九時になったらね、
このセミがミサイルみたいに飛んでいって怖いのを退治する。
そしたら今日から怖いのはもう来ないからね。」

そして9時ちかく、また私は引っ張られるように部屋の真ん中に座りました。
しんちゃんは隣にすわり、セミを前にして目を閉じています。
私も目を閉じました。
“ボーン!!”
九時になりました。ところが、何も起きなかったのです。
あれだけ続いた怪現象がぴたりとやみました。
「怖いの、来なかった!」
私が目を開けて言うと、しんちゃんは笑って
「神さまのセミは強かねえ」と笑いました。
サインペンミサイルのセミは消えてなくなっていました。
それ以来、わたしは部屋の真ん中で泣く事はなくなりました。

しんちゃんは2003年9月21日ガンで亡くなりました。
誰にも見取られる事なく、ひっそりと一人で。
最後まで母を呼んでいたそうです。
私はそれを北海道で聴きました。
複雑な事情のわたしの家は彼の事を引き取る事が出来なかったのです。
彼の亡き骸は国の検体となって回収され、今もその行方は分かりません。
お葬式もお骨を拾うことも許されませんでした。
私も同じような運命にある、そう思うとしんちゃんのことが
本当に不憫で可哀想でならなかったのです。
せめてお経だけでも、簡単なお葬式だけでも、
そう思ってあちこちのお寺に聞いて回りました。
どこも「骨がないと」とか「宗派が違うから」と断られました。
最後に伊達の学校で同級生だった老齢のシスターに相談しました。
すると教会でミサをあげてくれると言うのです。
ほんの少しのお金で出来るからと掛け合ってくださいました。
そうして11月2日死者の日にソウルメイトの供養と共に
しんちゃんのミサをあげてもらったのでした。

部屋で戒名がないからしんちゃんの名前を書いて紫の小菊を飾っていました。
それに向かって
「しんちゃん、しんちゃんのために祈ってもらったよ。
あたしはあんなにしてもらたのに何も出来んかったけどごめんね。
うちの人たちもしんちゃんが憎くてしたんじゃないから許してね」
そう伝えました。

次の日、紫色の小菊のなかから、真っ白い花が一輪咲きました。

わたしは向こうの世界関わるとき音が聞こえます。
声や音やいろいろです。
でも愛する人たちのたましいやたぶん天界の人たちがちかづくと
それはそれは深くしずかな美しい音で
“りぃぃん、、、、”
と、鈴の音が聞こえるのです。
はるか遠くの場所から静かに聞こえて来るのですよ。
本当にそれはとてもとても美しい音なのです。
わたしはそれを“銀の鈴”の音と呼んでいます。

今日は死者の日。
またいつか会おうねと約束を新たにする日です。