没後50年 横山大観 ― 新たなる伝説へ@国立新美術館
「迷児」 : いちばん個性的だった絵。ひとりの子供の後ろにどこかで見たような大人が4人立っている。よく見れば、キリスト、釈迦、孔子、老子であった。生きる道に迷った子供を、よってたかって淫祠邪教に引っ張り込もうとしているのか、正しい道に導こうとしているのか、それは神様だけが知っている、らしい。
「水國の夜」 : 水辺の夜景、おぼろ月、窓の明かりに映る人影、舟の行き交う川から上へ上へと連なる屋根の雰囲気がいい。
「南天に万年青」 : 絵を描いた着物の展示だが、背中に南天の絵が描いてある。見ていたぱりっとおばさんが「万年青(おもと)どこ? おもとないわよ、おもとどこ? おもと・・・どこ」と困惑していた。ガラスケースの裏に廻れば、着物の裾に万年青の絵が描かれている。それを見つけたぱりっとおばさんが「あら、おもとあったわよ、こんなとこにおもとあったわ ほらこっちこっち、おもとよ、おもと」と別なぱりっとおばさんに手招きしていた。うしろからみればみんなおなじおばさん。
「五柳先生」 : なんの先生だか知らないが、黒い頭巾と白い着物で胸をそらして偉そうにしている。やたら怪しげな風体のなりすまし詐欺師みたいな雰囲気の先生だ。
「柳蔭」 : 家の2階に人影が。なんか五柳先生みたいな白い着物の男が、相手の男と話し込んでいる。高額なレンジフードフィルターでも売りつけているのだろうか。
「生々流転」 : 山に生じた水が人里を流れて遥かな海に注ぎ龍になって天に上るまでを描いた長さ40メートルの巻物。昨年の正月に国立近代美術館で無料観覧したが、その時はゆったりのんびり見ることができた。今日は平日の午前中なのに幾重にも行列ができていて遅々として進まないのであった。絵の中で、馬を引いている木こりの貧相な姿が五柳先生に似ている。先生の本職は木こりだったのか。
そんなこんなで、生々流転あたりまで来て、もう展示も終わりかな、と思って手元の展示場地図を見たら、まだ半分しか来てなかった。
「四時山水」 : これも27メートルの長い巻物で、モノクロな生々流転とは違い、カラフルに描かれている。日の丸のような赤い太陽、青々とした流水、樹木の緑、桜のピンク、紅葉のオレンジと、四季折々の色合いが続く。上野の横山大観記念館の所蔵品だが、あそこは普通の家だから全部広げて展示するのは、こういうでかい展示場でないとできない。
「海山十題」 : いくつか展示してあったが、これらは売り上げを陸海軍の軍用機用資金として寄付するために描かれたものだそうで、なんとも複雑な気分だが、そういう時代だったのだな。
「愛宕路」 : 木々の緑、赤、橙、山肌の茶色が綺麗で好き。
「五龍図巻」 : なんと龍が5匹もたむろしている贅沢な絵である。
「霊峰飛鶴」 : 切手で有名な霊峰富士を見て終わる。
来たついでに「東京五美術大学連合卒業・終了製作展」を無料でやっていたので、さらっと見学した。
気に入った作品をメモしておく。
多摩美術大学:井原亜美「アニマリズム」 : 手足の長い10匹のぬいぐるみが、みんなあぐらをかいてこっちを見ている。そのどうしようもなくまったりした動物の姿かたちが面白い。
多摩美術大学:小林南「un lock」 : 薄い絹のような面に白いカーテンの絵模様が描いてある。平面なのに波打っている本物のカーテンのように見えてちょっと騙された。
女子美術大学:黒木南々子「希望の世界」 : なんだ、イチョウの葉っぱなんか貼り付けやがって、と思って近寄ると、描いた葉っぱの絵を、人の絵を、物の絵を切り抜いて貼り付けることで、立体的に見えるようになっていた。また騙された。
武蔵野美術大学:熊澤未来子「脱線」 : 大きな鉛筆画。うねうねとうねった電車から落っこちる人たち。そんなの関係なく乗っている人たち、ケータイやってる人たち。これは好きなジャンルだ。
面白いのは、油絵専攻とか日本画専攻とかいいながら、ぜんぜん別なジャンルで作成している人も沢山いた。ミクストメディアなんて言い出したらもうジャンルも糞もないけど。こういう卒業生の中からまた、とんでもない巨匠が飛び出してくるのだろう。もっとゆっくり見たかったが、大観で疲れていたので、ハイスピードで駆け抜けてしまった。午前中に来た時は大観15分待ちくらいだったのに、大観を見終えた頃には行列が半分くらいに減っていた。さらに卒展を見終えた頃には大観行列は無くなっていた。なんてこった。