朝倉氏遺跡のほど近く
一乗谷朝倉氏遺跡資料館
特別公開展「明智光秀と戦国越前~光秀、一乗に来たる~」
期間:4月27日(土)~7月3日(水)
槍(血吸)
沼田藩土岐家で編纂された『系譜写』によれば、土岐家代々嫡長に伝来の重器で、明智(のち土岐氏)定政が明智光秀より贈られたと記される。
なお鞘書では「血吸」、『系譜写』では「血水」表記である。
脇指 無銘(貞宗)
土岐定政(当時は菅沼氏)が永禄八年(1565)三河寺部城攻めの初陣の功績により主君・徳川家康より与えられた。
土岐定政は最初明智性。光秀とは同族関係にあったようです。槍(血吸)を贈られた逸話もあり、なんらかの関係があったのは確かなのでしょう。
明智光秀書状
六月十二日付、土橋重治宛。本能寺の変から10日後に出された手紙。土橋重治は紀州雜賀の有力者で内容は、足利義昭の入洛の手助けを求めたもの。
この書状から光秀と足利義昭は本能寺の変以前から手を組んでいたとの説もあるが、これだけでは不十分であろう。
翌13日に光秀は、山崎の戦に敗れて逃亡中に討たれ亡くなった為、光秀発給文書では最後の書状。
来年の大河の主人公明智光秀。来年も光秀関連の展示が多くなるかと思いますので、いくつか拝見できればと思います。
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