
旧湯川家住宅
もとは禄高23石余の武士の家であったようで、江戸時代の古地図をみると「樋番(水門の番人)」とある。

庭園
藍場川の水を引き込んで、池を作る流水式の池泉庭園。

台所のハトバ
藍場川の水を引き込んで、家庭用水として使用された。

座敷
六畳。甲冑や張り交ぜ屏風などがありました。

内庭

待合
屋敷の中に茶室があり、待合があるのは普通なのですが・・・

なんと一畳台目の席がありました。

茶室

内部は四畳半。
次はお隣

桂太郎旧宅
内閣総理大臣を3度務め、在職日数では歴代2位の桂太郎が少年時代を過ごした地に、明治42年(1909)に新築されたもの。

桂太郎像

庭園
旧湯川家住宅同様に藍場川の水を引き込んだ流水式池泉庭園。

座敷
四畳半で、床と床脇を備える。

次の間の水屋
お次は

善福寺
永享年間(1429~40)に指月山麓に創建された臨済宗の寺院で、毛利輝元の萩城築城のため、この地に移された。天文19年(1550)大内義隆が寺領を保証した文書は「萩」の地名が書かれた最古の資料といわれている。

織部燈籠
更に

山県有朋誕生地
松下村塾に入門して吉田松陰に学び、のちに高杉晋作率いる奇兵隊に入隊。明治時代には内閣総理大臣を2度務めた山県有朋の誕生地。
次回も萩から