SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

1807 表千家 不審庵

今回も京都
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表千家 不審庵
今回は祖堂参拝の形での見学です。
画像の表門は紀州藩主・徳川治宝が表千家へ御成りのあと拝領したもの。
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門前には「千利休居士遺蹟不審庵」の碑があります。
表千家を代表する茶室「不審庵」ですが、利休時代とは間取りが異なります。
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それでは戴いた解説本も参照しながら見学した4つのお茶室を紹介します。

露地口を入り最初に拝見するのは外腰掛と中潜。
そして露地を歩いて最初に見学する茶室が、
祖堂
利休像を安置する利休堂と板床を有する上段の間、その手前に四畳半の席がある。
点前座には道安囲が設けられている。
こちらの席には躙口から入りました。正面丸窓の向こうに利休の座像がありそちらをお参りしました。

茶道口から出て一端総水屋に待機します、そして次に向かったのが、
反古張りの席
こちらは一畳台目の席で、腰張りに反古紙を使用しています。入り口は貴人口となっています。
一畳台目は茶席として最小の大きさなのですが、千家では好まれたのか三千家には必ずこの広さの席があります。
入るとその狭さを実感します。ちょっとした緊張感が常に漂っている様な席でした。

反古張りの席を出て次に向かったのは
残月亭
こちらは十畳敷に二畳の上段を設けた席。上段を残月床と呼ぶ。かつて利休の聚楽屋敷内にあった色付九間書院を写したものだが、千家を再興した千少庵が四畳の中段を省き現在の構成に改めた。
上段角の柱は太閤柱と呼ばれるが、これは利休屋敷を訪れた豊臣秀吉がこの柱にもたれて、突上窓から残りの月を愛でたことから、席の名もこの話が所以となっている。
反古張りの席とは打って変わって広々とした席、さらにこの奥の九畳敷と合わせて初釜など大人数の茶会に使用される。

さてさて次がいよいよ
不審庵
表千家を代表する茶室であり、全体をに対する総称となっている。
席名の由来は利休参禅の師、大徳寺の僧・古渓宗陳に庵号を求め与えられた「不審花開今日春」より名付けられた。ちなみに裏千家の「今日庵」もここから。
内部には、その古渓宗陳筆「不審庵」の扁額掛かる。
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解説本より室内画像。
内部は平三畳台目。点前座二方の腰は板張りとなっており、これは少庵以来の手法とされる。

再び露地を通り外へ出ます。茶室の紹介をしましたが露地も見事なもので、市中山居とはよく言ったものです。

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