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24GW 北海道行⑤ 松前城


やってきました松前。
松前に来たなら行くところはひとつ。松前城へレッツゴー!

天神坂門
2002年の復元。近くの桜の木は「夫婦桜」といって松前桜三大名木のひとつ

搦手二ノ門
2000年の復元
そして

松前城天守
異国船来航を受け、海防強化のため安政元年(1855)に完成された。
昭和24年に火災で焼失。現在の天守は昭和35年に鉄筋コンクリートにて復元されたもので、内部は資料館となっている。

本丸御門
重要文化財。嘉永6年(1853)築。

本丸表御殿玄関
伏見城の一部を移したものと伝えられている。

いよいよ資料館内部へ

銅雀台瓦硯 銘 東宝
硯の背面に建安十五季(西暦210年)の陽刻があり、三国時代の魏王・曹操の宮殿「銅雀台」の屋根瓦を削って硯にしたと伝わる。
松前家伝来で、文明17年(1485)にサハリンより伝えられたとされ松前家の家宝となった。

桐章
文禄2年(1593)初代藩主・松前慶廣が豊臣秀吉に謁見した際に拝領したものと伝わり、もとは聚楽第にあり拝領後は松前城の本丸表御殿に取り付けられていた。
松前藩の先祖に当る武田信広を祀る松前神社所蔵。

松前藩主装用甲冑
左側の吹返が欠損しているのは残念だが、右側吹返に松前家の丸に割菱紋が見える。
松前神社所蔵。

刀 銘 則長
大和国尻懸派の刀工・則長の作で、応永年間(1394~1428)頃の作刀と考えられている。
松前藩の家臣であった藤倉家に伝来したもので、藤倉家文書には「依之拵付刀一腰差遣候」とあり、松前藩主より拝領した事が分かる。

古筆切 花山院忠長筆
花山院忠長は江戸初期の公家。慶長14年(1609)に起きた「猪熊事件」により蝦夷地に配流となった。
忠長を厚く遇した事で松前家と京の公家との間に接点が生まれ、京文化が松前に入る契機となったとされる。

長者丸船名額
松前藩主・松前章広筆。「長者丸」は松前藩主が津軽海峡を渡るときの御座船であった。

殿様用弁当
松前藩主が参勤交代で津軽海峡を渡る際「長者丸」で使用したもの。

天主最上階より海側の眺望
この時期は見事な桜が咲いています。

堀には桜の絨毯が

次回も松前から
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