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モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

へりくだる

2019-10-27 18:26:55 | 福音について
「主のあなたに求められることは…へりくだってあなたの神と共に歩くことではないか」ミカ6:8

日本ではプレゼントを渡すときに「つまらない物ですが」とへりくだって言う習慣がありますが、
アメリカ人が「つまらないものなら要らない」と断ったという笑い話があります。
一般的に「へりくだる」とは「控えめに、自分を低く見せる」という意味で理解されています。

福音で使われる「へりくだる」という言葉は「自分を卑下する」という意味ではありません。
「神は崇高で神聖な存在であり、犠牲を払ってでも従うべきである」と認めることです。
たとえ自らを低くしても神を認めないなら、それは謙遜ではありません。

「心に悔い…へりくだり…わたしの前に泣いたゆえ…あなたの言うことを聞いた」列王記下22:19
自らのあやまちを認め、主に頼り、悔い改めるとき、主は祈りを聞き、慰めと助けを与えます。
「主の前にへりくだる心」とはこれに従うことであり、従わないことが高慢です。

「主の御前にへりくだれ、そうすれば主はあなたがたを高くしてくださる」ヤコブ4:10
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責任を負うのは

2019-10-27 08:09:28 | 今日の一言
親には子どもに命名する権利があるけれども、
その名前についての責任は子どもが負う

親は子どもに教え、指示をするけれども、
その結果についての責任は親以上に子どもが負う



もしも親が「責任はすべて自分が負う」と考えるならそれは誤りです。
「自己中心的」という言葉は親への警告かも知れません。
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考える

2019-10-27 07:10:04 | 福音について
「あなたは大いに愛せられている者です、ゆえに…考えて…悟りなさい」ダニエル9:23

「そう言うのは自分の考えからか、それとも他の人々が…そう言ったのか」ヨハネ18:34
人から聞いたことをそのまま、自分では何も考えることをせずに口にすることがあります。
そのような言葉は大抵、心の伴わない薄っぺらなものに聞こえるようです。

「主が自分に示してくださった色々なことを深く考えながら家路に就いた」ヒラマン10:2
人は「聞いた時には考える」けれども「場所が変わると忘れる」と言われます。
教会で学ぶ福音に価値を感じるならば、教会を離れてもそのことについて考え続けるものです。

「自分の家に帰り、わたしが述べたことを深く考えなさい」3ニーファイ17:3
真に価値があると認めたことを「普段の生活の中にあっても深く考える」のは自然の行いです。
「わたしの言うことをよく考え…なさい、主は…十分に理解する力を…賜る」2テサロニケ2:7

「心の中で深く考え…神に…問うなら…神は…真実…を…明らかにしてくださる」モロナイ10:3~
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