数年前に、「世界まる見え!テレビ特捜部」でも紹介されたことがある犯罪現場清掃会社のルポルタージュ。
Amazon.co.jpのカスタマレビューを読む限り原書のMop Men からはかなり刈り込まれているようで、残念。オリジナルが224ページで、翻訳も同じくらいのページ数ってことは大体1/3くらい刈り込まれてるかな。殊に写真が皆無ってのは痛いな。
犯罪現場清掃会社を簡単に説明すると、犯罪・事故・自殺などで汚れた現場を血痕一つ残さずに清掃する会社。社長のニール・スミザーが映画『パルプ・フィクション』を見て思いついたそうだ。
まぁ、そういう会社はあっても不思議ではないし、実際、ないと何かと困るだろう。ただ、この会社が変わっているのは車やTシャツ、キャップにまで会社の名前を入れていることや、社長が露悪的に冒涜的な言辞を弄するところかな。仕事が暇な時は、誰か汚く死んでくれないか(※)、と願っていることは冗談交じりとは言え本当だろう。
※きれいに死んだら仕事にならないから。
ただし、そう願ったからと言って誰か死んでくれるわけではないし、そんなことを願わなくても仕事は定期的に確実に発生することはニール・スミザーが言っている通り。そもそも、犯罪現場清掃会社が成功している理由は、より良い仕事をより安くという点にある。他社が1万ドルの見積もりを出すところで、半値の5千ドル以下で完全保証つきの仕事をするんだから成功しない方がおかしいとも言える。
言い換えると、犯罪現場清掃会社はビジネスとして犯罪現場を清掃するプロフェッショナルな会社だと言える。つまり、散弾銃で頭を吹っ飛ばして自殺したジョニー坊やの脳みそを母親や父親が片づけなくて済むようにするとともに、その自殺自体には何の感傷も抱かず(※)あくまでも飯のタネとだけ捉えている。
※と言うか、あからさまに罵倒している。もちろん、この罵倒も宣伝戦略の一部。
こういった割り切りがなければ、死亡後1ヶ月もバスタブの中に放置された腐乱死体の痕跡を片づけるなんてできないよね。この腐乱死体ができあがるまでの描写が秀逸だと思うので、ちょっと長めに引用。
何か、この引用だけ見ると、死をエンターテイメントとして取り扱う本に思えるかもしれないが、それはちょっと違う。いや、著者は「娯楽としての死」が飯のタネとなる雑誌世界のライターなので、「娯楽としての死」のより良き提供者となるべく犯罪現場清掃会社の取材をするわけだけれど、その自覚が、この本を(少なくともこの本に関しては。今後のことはいざ知らず)単純な「娯楽としての死」の提供に留まらないものにしているのだと思う。もちろん、それも計算のうちだとは思うが。
いずれにせよ、大上段に構えずに「娯楽としての死」を考え、自らゴム手袋をはめて犯罪現場を清掃した著者にしか書けないものに仕上がっていると思う。また、ニール・スミザーにはその罪深い言辞にもかかわらず、成功を追い求める有能な実業家として清々しささえ覚える。
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Amazon.co.jpのカスタマレビューを読む限り原書のMop Men からはかなり刈り込まれているようで、残念。オリジナルが224ページで、翻訳も同じくらいのページ数ってことは大体1/3くらい刈り込まれてるかな。殊に写真が皆無ってのは痛いな。
犯罪現場清掃会社を簡単に説明すると、犯罪・事故・自殺などで汚れた現場を血痕一つ残さずに清掃する会社。社長のニール・スミザーが映画『パルプ・フィクション』を見て思いついたそうだ。
まぁ、そういう会社はあっても不思議ではないし、実際、ないと何かと困るだろう。ただ、この会社が変わっているのは車やTシャツ、キャップにまで会社の名前を入れていることや、社長が露悪的に冒涜的な言辞を弄するところかな。仕事が暇な時は、誰か汚く死んでくれないか(※)、と願っていることは冗談交じりとは言え本当だろう。
※きれいに死んだら仕事にならないから。
ただし、そう願ったからと言って誰か死んでくれるわけではないし、そんなことを願わなくても仕事は定期的に確実に発生することはニール・スミザーが言っている通り。そもそも、犯罪現場清掃会社が成功している理由は、より良い仕事をより安くという点にある。他社が1万ドルの見積もりを出すところで、半値の5千ドル以下で完全保証つきの仕事をするんだから成功しない方がおかしいとも言える。
言い換えると、犯罪現場清掃会社はビジネスとして犯罪現場を清掃するプロフェッショナルな会社だと言える。つまり、散弾銃で頭を吹っ飛ばして自殺したジョニー坊やの脳みそを母親や父親が片づけなくて済むようにするとともに、その自殺自体には何の感傷も抱かず(※)あくまでも飯のタネとだけ捉えている。
※と言うか、あからさまに罵倒している。もちろん、この罵倒も宣伝戦略の一部。
こういった割り切りがなければ、死亡後1ヶ月もバスタブの中に放置された腐乱死体の痕跡を片づけるなんてできないよね。この腐乱死体ができあがるまでの描写が秀逸だと思うので、ちょっと長めに引用。
動物の腸には、その内容物をエサにする細菌が無数に住みついている。宿主が死体になると、細菌は腸そのものを蝕み、やがて腸を破って周りの臓器まで侵し始める。
そして、クロバエやキンバエの仲間、よくいるイエバエなどが死の匂いをかぎつける。ハエは死体の選り好みをしない。老衰だろうが、自殺だろうが、殺人だろうがおかまいなしだ。
死んでから数分以内の肉体にやってきて、まだ柔らかい肉に卵を産みつける。鼻孔や耳、目、傷口などの穴は格好の産卵場所だ。産みつけられた卵は、温度にもよるがふつう八時間から一五時間で孵化する。うじ虫が成熟するまでにも同じくらいの時間がかかる。その間うじ虫は液体タンパクに頼って生きるが、成熟してからの数日間は鋭いフック状の口で肉のごちそうを引きちぎって食べる。さらに一週間経つと成長を終えてサナギになる。まもなくハエとなり、新たな卵を産みつけるのである。卵、うじ虫、ハエと変化するサイクルは二、三週間だ。
うじ虫の一群は、恐るべきスピードで死体を貪り食う。群がったうじ虫は肉に突進して穴を開けていくが、しばらくすると群れの一番上に這い上がって空気を吸い、また肉に突進してはかぶりつく。上がってくるうじ虫と潜っていくうじ虫が入り乱れ、熱狂のるつぼと化す。群れが生み出す熱によって、気温の低い場所でもうじ虫は成長できるのである。
細菌も組織や細胞を分解し続ける。体液は染み出して体腔に溜まり、様々なガスが発生する。硫化水素やメタン、カダベリン、プトレシンだ。ガスは細菌の成長を促進し、圧力を高めていく。この圧力が身体を膨らませ、細胞や血管から体液を体腔に流れ込ませる。
腐敗はどんどんスピードを増して進んでいく。肉体から漏れ出た液体やガスが、さらにクロバエ、ニクバエ、甲虫、ダニを引き寄せる。遅れてきた虫たちの中には、腐肉だけでなくうじ虫を補食するものもいる。
二週目までに肉体は崩れ、黒ずみ、臓器が露出し、強烈な悪臭になる。大量の液体が染み出し、それをエサとする虫が集まってくる。この時点で、肉体を貪る虫は数種類になっている。
「File 04 浴槽の中の男 I ―うじ虫とハエとゲイリーの結末―」 pp. 58-59
何か、この引用だけ見ると、死をエンターテイメントとして取り扱う本に思えるかもしれないが、それはちょっと違う。いや、著者は「娯楽としての死」が飯のタネとなる雑誌世界のライターなので、「娯楽としての死」のより良き提供者となるべく犯罪現場清掃会社の取材をするわけだけれど、その自覚が、この本を(少なくともこの本に関しては。今後のことはいざ知らず)単純な「娯楽としての死」の提供に留まらないものにしているのだと思う。もちろん、それも計算のうちだとは思うが。
いずれにせよ、大上段に構えずに「娯楽としての死」を考え、自らゴム手袋をはめて犯罪現場を清掃した著者にしか書けないものに仕上がっていると思う。また、ニール・スミザーにはその罪深い言辞にもかかわらず、成功を追い求める有能な実業家として清々しささえ覚える。