いつも寝不足 (blog版)

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龍岡五稜郭

2006年04月28日 | 外出
知っている人は知っている、もう一つの五稜郭、龍岡五稜郭へ行ってきた。

かく言う私も最近まで知らなかったのだが、みなもと太郎の同人誌でその存在を知った。五稜郭と言えば、99.99%以上の人が函館五稜郭を思い浮かべるはずで、実際、知名度や規模、歴史上の意義など何を比べても全く太刀打ちできない。

とは言え、そんなものは後からやって来たものが勝手に下した評価に過ぎないので、龍岡五稜郭を造った人たちは大真面目に造ったはず。実際、現在残っている石垣や土塁を見ても非常にしっかりとした造りになっていることが分かる。

しかし、いかんせん小さいんだよなぁ。

小さい、小さいという話は聞いていたのだが、実際目にしてみると本当に小さい。刀槍相手ならいざ知らず、鉄炮なんて言わず弓矢相手でも困っちゃうんじゃないかというくらい小さい。星形なので場所によって端から端までの距離が変わるのだが、それでも最大187mくらい。タイガー・ウッズならキャリーでオーバーしちゃうくらいの大きさしかない。

こりゃ、明らかに練習・研究用に造ったんだろうと思う。これが実戦で役に立つなんて考える人は、そもそも五稜郭なんか造らない(はず)。

臼田駅から徒歩で向かうと、まず砲台のあった西稜堡が見えてくる。ここには堀がなく、石垣のすぐ脇を通って北稜堡や大手門(冒頭の写真近辺)へと至る。
砲台下

西稜堡と北稜堡の境にあるのが黒門で、下の写真は黒門前に架けられた橋。手前側には堀がなくて、橋の向こうから堀が始まっているのが分かる。
黒門の橋

実は龍岡五稜郭、慶応3年4月(1867年)に竣工したことになっているのだが、実際はかなりの部分が未完になっているし、途中からやっつけになってしまったらしい。例えば、南東稜堡の堀の石垣。城郭側は切り込みハギできっちり組まれているのに、反対側は野面積みになっている。
穴門付近

野面積みだからダメというわけでもないのだが、他の部分が切り込みハギで非常に精緻に積まれているのに比べると、この野面積みの部分はいかにも間に合わせ仕事の感がある。そして、南西稜堡と南東稜堡の境にある穴門のところで堀は終わっている。

つまり、龍岡五稜郭の堀は5つある稜堡のうち北稜堡、東稜堡、南東稜堡にはあるが、西稜堡と南西稜堡にはない。カバー率60%。下の模型は手前右側が東稜堡、左側が南東稜堡になっているのだが、堀も途中で終わっている。
模型

なぜ、こんなことになったのかと言えば、藩主の松平乗謨のりかた(後の伯爵 大給おぎゅうゆずる)が倒壊直前の幕府で老中格陸軍総裁を勤めたりして、政治的にも経済的にも余裕がなくなってしまったのだろうと思われる。

なお、現在龍岡五稜郭の大部分は佐久市立田口小学校の敷地になっている。つまり、五稜郭の武者走り(写真で桜が植わっているところ)の上を小学生が走り回っているのだな。

龍岡五稜郭から、1kmほどの所にある新海三社神社(新海神社)の三重塔と東本社。いずれも室町期に造られたもので重要文化財に指定されている。
三重塔 東本社