いつも寝不足 (blog版)

動物園・水族館へ行った記録が中心(?)。
他の話題はいつも寝不足 (信州FM版)で。

山陽旅行総括 (2)

2006年04月11日 | 外出
山陽旅行総括 (1)」の続き。


日本三庭園と言えば、水戸の偕楽園、金沢の兼六園、そして岡山の後楽園兼六園は先週行ってきて、予想以上の素晴らしさに驚き、かつ、残りの2つに対する期待も高まっていた。期待は裏切られなかった。雨が降りしきる中ではあったが、これもまた風情があってよろしい。

後楽園は、延養亭(冒頭の写真)から眺められることを前提に作られているそうだ。確かに、延養亭からの眺望が一番いいのだろうが、そんなことは気にせずとも見所がたくさんある。例えば、こんな飛び石一つとっても何とも言えない美意識が感じられて、素敵だ。
飛び石

後楽園は先の大戦でその大部分が消失してしまったそうだが、下の写真の流店(りゅうてん)は戦災を免れた建物の一つで古の風情を今に伝えている。また、建物の真ん中には水路が通っているなかなか奇抜な造りだ。
流店 流店内部

兼六園と後楽園を比べると、兼六園がいかにも和風のわびさびを感じさせる造りなのに対して、芝生が広く樹木が少ないため後楽園の方が明解な印象を受ける。また、庭園内に井田があるのも特徴。昔は、この井田以外にも田畑があったそうだが、どんな感じだったんだろうか。
井田

タンチョウが飼育されているが、これは被災した後楽園を惜しんで郭沫若(旧制六高にいたことがある)が贈ったのが起源とのこと。
鶴舎

備中国分寺の五重塔は上と下の屋根の大きさがほとんど変わらないところに特徴がある。何でも、江戸後期に特徴的様式だとか。赤穂御崎はトイレ休憩で15分くらいしかいなかったので、ほとんど何も見てない。
備中国分寺五重塔 赤穂御崎

多くの城と同様に赤穂城も石垣だけが昔のまま。大石邸長屋門もまた昔のままだとか。
赤穂城石垣 大石邸長屋門

今回の旅行のハイライトの一つ姫路城。世界文化遺産に指定されているせいなのか、外国の旅行客も多かったようだ。特にドイツ人が目立った。理由はよく分からない。次が中国人(台湾人?)で、東南アジア系の人やスペイン語圏の人もいた。
姫路城天守閣

同じツアーに参加している人の多くが熟年や老年だったので、天守閣に登るのが精一杯で色々見て回るという感じではなかったみたい。うちの母親やおばも含めて。

播州皿屋敷で有名なお菊井。中はどうなってるんだろうと撮影を試みるも深いところは上手く写らなかった。残念。
お菊井

内堀の石垣に3種類の積み方(と言うか石の処理方法)が見られて面白い。一番下が野面積み(不確か)で、その上に打ち込みハギ、一番上が切り込みハギ。
姫路城内堀

2泊目のホテルは六甲山ホテル。別館(旧館)の方で、エレベーターがないもんだから一部の爺婆がうるさい。2階建てなんだから、階段で十分じゃない。

迂闊にも、現地で目にするまで気がつかなかったのだが、六甲山ホテルは小林一三が避暑のために滞在したホテルなのね。下の写真は小林一三が滞在した頃に使われていたソファ。
六甲山ホテルソファ(1) 六甲山ホテルソファ(2)

こういうのに弱い私はいたく感動して「別館泊まりで良かった」と思ったのだが、一部の人々は相変わらずエレベーターがないことをブツブツ言っている。しつこい。

下の写真は六甲山ホテル新館の屋上から見える神戸の夜景。この日は天候が悪く、雨は小降りになったものの風が強くて参った。三脚を持って行ったのだが、風が強くて立てられない。仕方なく、三脚の足を広げずに欄干に押しつけた状態で撮影した。まぁ、そこそこ写っているが、もっと長い時間露光できれば良かったのに。
神戸市夜景

最終日は神戸散策と沢の鶴の資料館。沢の鶴資料館は空港到着時間の調整のために立ち寄ったようなもので、30分程度しかなかった。私も大して期待していなかったのだが、予想に反して面白かった。展示物をじっくり見て回ったら、とても30分じゃ足りない。単独旅行だったら、2-3時間は滞在したかと思う。残念。
麹室 沢の鶴鬼瓦

山陽旅行総括 (1)

2006年04月11日 | 外出
「総括」と言っても、自己否定するわけじゃないよ。単純に、今回の旅行でまだ書いてないことを書くってだけの話。

ところで、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』に描かれているジオンの議会で「意義なーし!!」や「ナンセンスー!!」なんて声が飛んでいるのを見ると、ヒトラーは忘却の彼方なのに、全共闘は知られているみたいだな、と思う。スペースノイドは知識が片寄ってる?

尾道で行ったのは千光寺公園のみ。下にある『男たちの大和』ロケ現場も尾道市ではあるが、造船所の中なので除外。千光寺公園は今が盛りと桜が咲いていて、遠来の観光客と近場の花見客でごった返していた。そのため、千光寺公園到着が1時間以上遅れ、結果として鞆の浦が蔑ろにされてしまった。
千光寺の桜

岩割の松の脇にあるのは、頼山陽の漢詩。「磐石座す可く松拠る可し」で始まる七言律詩なのだが、私は読めない。『放浪記』というと、森光子がでんぐり返しをするということしか知らない。
岩割の松 放浪記

映画のセットだから当然なのだが、ベニヤ板などで造形し、着色している。リベットの頭なんかは、ピンポン球を半分に割ったものを使っているみたい。大きさにもよるが。
大和船首 大和主砲

以上が初日。

2日目は倉敷美観地区散策から始まった。しかし、月曜日なので大原美術館をはじめとするほとんどの施設がお休み。アホか。本当にツアーの企画者は何を考えているのやら。

冒頭の写真は、倉敷美観地区の中心を流れる倉敷川にたたずむ白鳥とサギ(多分コサギ)。

倉敷美観地区には橋が3つあるそうだが、大原美術館に一番近い橋は今橋。この「今橋」の文字は大原孫三郎の揮毫によるものだとか。城山三郎『わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯』のラスト近くで大原孫三郎が美術館から眺めるのも、この橋だったかなぁ(不確か)。
今橋と旧大原邸 今橋と大原美術館

大原孫三郎の富の源泉と言えば、倉敷紡績。倉敷紡績の工場跡地はアイビースクエアという施設になっていて、ホテルもある。建物の外観は昔の工場のままなので、斯業・終業の合図に使われた鉄鈴なんかも残っている。
鉄鈴 倉紡工場跡

ほとんどの施設が休みの中、年中無休でやっていたのがいがらしゆみこ美術館。館内はフラッシュを焚かなければ撮影可。三脚とレリーズを持って行こう。
くらしき物語屏風絵



文字数制限の関係上、「山陽旅行総括 (2)」へ続く。

Public domainって御存知ですか? ― 神戸市立博物館

2006年04月11日 | 外出
このことは様々な人が様々な所で苦情を述べていることだし、何も神戸市立博物館に限ったことではないのだが、文化果つる国と言われても仕方ないよなぁ、と思う(※)
※このことは、下記の受付の人も「日本特有のことと言われるかもしれませんが」という言葉で認めていた。

何のことかと言うと、館内における撮影及び模写の禁止。何のために博物館があるのか意味不明なことこの上ない。いっそのこと、全面的に非公開にしたら如何?

特に今回は爺婆中心のツアーに参加してしまったので、「はい、見たから次行こ」式の旅行や観光、参観のあり方にウンザリしていたので、博物館でもそういう見方を奨励しているような感を受けて非常に憂鬱な気分。

もちろん、文化財を守るためにフラッシュを禁止したり、著作権が残っている作品の撮影を制限することは当然のことだと思うが、いくら国宝とは言え、銅鐸や銅戈に著作権があるとは思えないし、フラッシュで褪色するとも思えないのだが如何?

パンフレットに、撮影に関しては係員に相談しろ、みたいなことが書かれていたので受付に相談しに行ったところ、やはり、ダメだって。その理由としては、1. 文化財保護、2. 個人使用以外の用途を制限するため、3. 写真なんかじゃなくて直接見に来て欲しい、4. 撮影は全て取材扱いで事前の申請が必要、というような理由を挙げていた。

個人使用以外の用途の制限って、要するに、著作権絡みだと思うのだが、銅鐸や銅戈のどこに著作権に関係するような部分があるのだろう? 謎。もし万一にも銅鐸や銅戈のパブリシティ権を博物館が持っていると考えているなら、私的には極めて「はぁ゛~?」な感じなのだが、どんなもんなんでしょ。

受付のお姉ちゃんを責めてもらちが明かないことは明らかなので、納得はいかないが引き下がってきた。後刻、博物館なり、神戸市の教育委員会なりに問い合わせるつもり。せめて、事前に取材申請が必要なことを周知徹底させるか、現地で申請できるようにしなければ、話にならない。

なお、冒頭の映像は例外的に常時撮影可能なエリアにある銅鐸のレプリカ。祭事における楽器として使用されていたと推定される銅鐸の音色を実際に聞くことができる。自分で鳴らして。