明日は明日の風が吹く

60にしておひとりさまに。
この先、どんな人生になるのやら?

生きてるだけでじゅうぶん

2024-01-06 | ファミリー@浜松
4日、5日と息子家族がやってきた。
4月から息子のアメリカ駐在が決まっているので、今のうちに会いに来たのだろう。
会える時に会っておかないとね。何が起こるかわからない。

新年の挨拶をして、孫たちにお年玉をあげて・・・。
アメリカ行きに猛反対していた子どもたち、
その後どうなったのだろう。ついて行く気になったのか。

1号(小学5年生)に訊いてみた。
「1年だけ行く」
「1年で帰ってくるの?」
「だって中学はカイセイチュウに行きたいもん、友だちと一緒に」
(カイセイチュウとはあの難関私立中学ではなく地元の市立中学校である)

2号と3号は1号ほど頑なではないが、やっぱり行きたくないと。
パパ大変だね、どうする。
どうやらパパはモノで釣っているらしい。好きなゲームソフトを買ってあげると。

「でもいつも約束破るんだよ、え、そんなこと言ったっけ?とか忘れたとか。
 だから今度は請求書を書いてもらってゼッタイ、約束破らないようにしてもらう」
「請求書? 誓約書かな」
「そう、それ」
「でもさ、モノ買ってもらってもさ。あとで思わない?モノで取引してよかったのかなって」
「・・・・・・」1号は無言だったが、ウンウンと頷いていた。
「なんていうか、こういうのがすっごいイヤなの」
「こういうのって、親の都合で振り回されるのがイヤってこと?」
「そうそう」
「そうだよね~。でもまぁしょうがないなぁ子どものうちは。
 もう少し大きくなったらしっかり考えて、パパを言い負かせるぐらい理論武装して」

「理論武装」はちと難しかったか。
小6の途中に引っ越して、でも転校がイヤで「電車で通う」と意地を張り、
千里から西宮まで1時間半ぐらいかけて通った私としては、
何とか1号を応援してやりたいのだが、なんせ外国だから電車で通うわけにもいかない。
2号3号は1号にすっかりお任せで、1号とパパの攻防がどうなるか様子見という感じ。
1号が年長者として悩むところがいじらしい。
でもこの子は成長しているな、とバァバは嬉しかった。

「でもパパと1号は絶対離れないよ。パパは1号が一番好きだし1号もパパが大好きだもん」と2号。
あら、この子はちょっと屈折してるわね。
時々ドキッとするようなことを言う。


海鮮居酒屋で夕食。息子、ビール飲みすぎ
私の弟も途中から合流し、賑やかになった。
私と弟が話していると漫才になるらしく、お嫁ちゃんは笑い転げていた。



2日目のお昼は某お好み焼き屋さんへ。
ちょうどカンテレのテレビクルーが来ていて、取材の申し込み。
食べてるところと少しお話を聞かせてくださいと。
なんでこの店を選びましたか?何を注文されましたか?おいしいですか?エトセトラ、、、
子どもたちは緊張して蚊の鳴くような声で「おいしいです」🤣
大阪の子だったらもっとはしゃいで映りたがって、面白い絵が撮れただろうに。
息子は「ここの駐車場は狭い」とか言っちゃうし。
ボツかもね(笑)放送は2月某日だそうだ。




そのあと母の施設に行き、外出に連れ出した。
施設はインフル感染者が出て、面会は制限されているが
外出ならOKというので、近くの店でおしゃべりした。
「私がもうちょっと若かったらついていきたいわ~」と母。
あれまぁ何を言いだすねん。
大昔、私がまだ生まれたての頃に
父は2,3年カラチ(パキスタン)へ長期出張したことがあり、
その時に一緒に行けなかったことが残念だったと。
そんな話、初めて聞いたわ。

「何かあってもアメリカは遠いからね。
 もう会えないかもしれないから会いに来てくれたんよ」と言うと、
「その時は空の上から見守ってるわ」だって。


「じゃフライトの日が決まったら連絡するから」
と、息子家族は帰っていった。

「まぁ子どもたち3人で協力するから大丈夫よ。最初のうちは泣いて帰ってくるだろうけど」
「ウン、オレは全然心配してない」と息子。

別れ際、「しっかり考えるんだよ。ポジティブシンキングだよ」
と1号に声をかけたら、ニコッと笑った。
バァバは空の上、じゃなくて地球の反対側で応援するよ
どこであろうと生きていればまた会える。それだけでじゅうぶんだとつくづく思う。



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