多分駄文のおじさん日記

我輩は駄文を書くおじさんである。旅、音楽、MLB、株式投資、etc., 日々想いつくままに思いを巡らすのである。

雪の大晦日

2004-12-31 21:43:33 | Weblog
もうそろそろ2004年も終わり。
早いものです...、と毎年この日には同じこと言ってる。
いつものように帰省するでもなく、雪のない年末年始かと思っておったが、こちらも荒天で雪もちらつき模様のようだ。

個人的には公私共に少し上向きになってきたかと思える一年ではあったが、まだまだ色んな点で時間が足りない日々であった。
何はともあれ、家族が健康で過ごせた点は有難かった。来年も是非そうでありたい。

皆さんにとっても、来年が良い年でありますよう....。


文房具屋というよりは、神社‐「ITO-YA]

2004-12-31 00:13:07 | Weblog
12月も30日となった。
本日が我輩にとっても本年最後の勤務の日。

今年の年末年始の曜日の並びは悪く、あまり休日は長くない。あっという間に、また仕事が始まるのだろう。
ちなみに、年末年始の休日が少ないときには、5月のゴールデンウィークは逆に曜日の並びが良くなり、休日も長くなると言う。来年は4月29日から、5月2日、6日を休みにすると、10連休になる。まあ、それまで頑張るとするか。
仕事はこの期に及んでも忙しく、午前中は米国本社の連中とEmailでチャットのように連続して会話を続けたりもした。向こうの連中も結構夜遅くまでEmailを見てリスポンスを送ってくる。
午後は気力も萎え、特別に早めにオフィスを出ることにする。
まあ、一応今年も終わったということで、軽い解放感を得る、自分自身にも「お疲れ様」と言う気分だ。

昨日のリベンジではないが、丸の内を歩く。ミレナリオを見逃した悔しさ聊か残る中、もう一度気の抜けたサイダーのような昼間のミレナリオ会場である丸の内仲通りを歩く。途中、三菱電機ビルのおしゃれな休憩コーナーで、息抜き。テーブルに小さい門松が飾られており、正月モードだ。

その後、これも昨晩のリベンジで、銀座‐ITO-YAへ行く。(伊東屋ではなく、ITO-YA,であると知った。)
いや、驚いた。たかが文房具屋さん、と言ったら失礼かもしれぬが、人、人、人、である。何でこんなに混んでいるの、というくらいの人の波。

これは文房具屋ではなく、神社ではないか、そうだ、来年への誓いをする人が駆け込んでくる神社なのだ。
そうでなければ、この混雑は説明がつかない。人々の考えることは得てして同じで、この時期に手帳を更新することで新年への意気込みを新たにするということでは一致しているのだろう。
また、ITO-YA自体はこの銀座の本店以外にも店はあるが、やはり本店で購入することに意味を見出す、という気分が働いていることも否めない。ご本尊様にはご利益あり、という発想である。


この混雑ぶりに、ゆっくりと自分の欲しいリフィルを品評・購入しようとするのは難しい状況であった。
ゆっくりと見るにも物理的に人が多すぎて見たいものが手に届かない。時間をかけて品評する楽しみも奪われ、取り敢えず一揃いの種類のリフィルが入ったパッケージを購入して、即座に外に出た。いやはや、人が動く一歩先に行動せぬと、どうしても効率が悪くなる。
賢者はこの時期には既に手帳に中味を書き込み、もう行動しているのだろう。

どうも今日も、昨晩のリベンジは成らず、だったか。

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「私の履歴書」

2004-12-30 23:15:45 | 交遊録
日本経済新聞読者の皆さんは、毎朝一体どこから読み始めるのであろうか。

我輩は一面からではなく、最終面から読み始める。
ご存知の通り、「私の履歴書」は日経新聞朝刊最終面に毎日連載されている看板コーナーで、毎月1人ずつ経済、政治、文化など各界の著名人が月替わりで登場、さまざまなエピソードを交えて半生を振り返るコラムである。毎月一人のコラムであるから、年間では12人しかこのコラムには登場できない。これまでの登場人物はいづれも遠い存在が殆どであった。

今月は、衆院議長で元・自民党総裁の河野洋平氏。
今日の内容は、「生体肝移植で元気に-家族に支えられ、喜び実感」とある。
30年ほど前に肝臓の異常が発見されて以来、症状が悪化してきたが、1997年には意識を失う肝性脳症が現れ、激しい政務の中、入退院を繰り返してきた。見かねた娘さん、長男に強く勧められて、最後は長男・太郎氏の頑固な勧めに押される形で、彼の肝臓を移植する手術を受けることになった話が書かれている。

実は、その太郎氏の嫁さん(香さん)が、我輩が勤務していた米国の銀行での同僚であったのだ。今朝の新聞には、河野洋平氏および長男・太郎氏の家族の写真が掲載されていたが、久しぶりにその写真に彼女の姿を見ることが出来た。少しふっくらし、母親の顔になったな、と直感。河野洋平氏がコラムに登場とのことでいつ彼女が出てくるかと心待ちにしていたが、遂に我輩の知り合いにも「私の履歴書」に登場するものが出てきたと、懐かしさと同時に感慨も湧いてきた。河野洋平氏はその移植手術を受けるにあたり、その彼女の一言が決め手になったと書いてあった。

その米国銀行は名門で、当時は皇太子のお后候補と写真週刊誌などで取り上げられている女性も居たほどで、名家のお嬢さんも多かった。河野太郎氏夫人・香さんは確か所謂帰国子女で調査部アナリスト担当の秘書役をやっていた。優秀な女性が多い職場の中で、彼女の美貌と品性はかなり目立っていたが、まさか河野洋平の長男と結婚するとは意外であった。1990年台中ほどのことである。

我輩が当時オフィスで一人残って夜中近くまで仕事に追われていたときに、彼女が婚約相手だった河野太郎氏を連れてオフィスに来たことがあった。勿論その頃は太郎氏も衆議院に立候補する前の会社員時代、(確か、富士ゼロックス)だったのでまさか著名政治家の息子だとは思いも寄らなかったわけだが、挨拶をしたことを覚えておる。

その後の河野太郎氏の台頭・活躍ぶりは皆さんの知るところである。
彼女も大物政治家の義父をもち、また夫自体も政治家として活躍しているその妻として、公の活動も多くご苦労されていることと思う。夫が父へ肝臓移植する、という状況での心労も並大抵ではなかった筈。結婚8年目にしてお子さんに恵まれた、というのも、苦難の末、と想像させられる。
結婚により生活も大きく変わった彼女、今後も元気に活躍して欲しいと願っている。

ごちゃ混ぜの国シンガポール(43)-「悪の帝国ビル」 

2004-12-30 00:40:03 | Singapore
西友やPARCOのあるブギス・ジャンクションから回教寺院サルタン・モスクに向かう途中一角の広大な平地に何やら巨大な新しいビルが聳え立っている。その名をParkview Square Buildingと言う。
確かに、周辺の公園(と言うか何もないただの広い空き地)を見下ろす何とも恐ろしげ、威圧的なビルである。

近くに寄りその佇まいを見ると、成金趣味の極みである。至る所に金メッキの装飾が施され、桁外れの財力を誇示しているようだが、どうも金ピカ装飾のどれもが何とも言えぬ悪趣味で悪寒を誘う。この異常な金信仰は、恐らくユダヤ人の臭いがぷんぷんするな。米国の大手投資銀行あたりが背後に居そうな気がする。MRT駅からもやや離れ周辺にも目ぼしい建物がないせいか、あまり人の出入りも多くないが、時々如何にもというような金髪のビジネスマンやキャリアウーマン風が肩で風切って出入りしている。暑いシンガポールの中では、何となくうすら寒い風景である。

そのビルの中二階部分はビルの前庭から一般でも入ることが出来るが、建物の上に横並びで人物の銅像が数体並んでいる。良く見ると音楽家であったり政治家であったり、軍人らしきであったり、何だか並べている基準も良く分からない。兎に角、ビルのオーナーかデべロッパーかは定かでないが、自分の好きな人物を並べているだけ、という滅茶苦茶な人選のように見え、首をひねらざるを得ない。兎に角、金は掛けていることは一目瞭然だが、哲学がないのだ。成金そのものが哲学だ、と言われたら、もうどうしようもない。

ビル入り口ではものものしい警戒が敷かれているが、敢えて中へ突入した。一階ロビーは一部だけ一般が入れるスペースがあるものの、壁の隙間から拡がる大部分は日本の寺の本堂のような感じの宗教的な異様なスペース。その本道も黄金色に包まれている。ちょっと新興宗教っぽい陳腐な臭いもしなくもない。これが一体何を意味するかも分からない。

先程の意味不明の銅像といい、このビルの圧倒的財力をゆうするオーナーは何を考えておるのだろうか。写真を撮影せんとしたが、警備のこわもてインド人に文句を言われ、このビルを後にする。
我輩と姫兄はこのビルを「悪の帝国ビル」と名付け、蔑視してその場を去ったが、どなたか、このビルの正体をご存知の方はいらっしゃいませんか。

それにしても、このブギス地区、かつてはおかまバー等が溢れ猥雑な街だったという。今でも、ブギスマーケット等極めて庶民的な大安売りの市場があり賑わっている。その地区にこの「悪の帝国ビル」が屹立しているのも、流石「ごちゃ混ぜの国」の面目躍如である。


[余談]後で調べて分かったが、一階ロビーに広がっているのは宗教とは関係なく、Barが収容されていると言う。そんなら写真撮影禁じた意味も良く分からないが。
館内外の様子、このサイトでお楽しみあれ。
http://www.parkviewsquare.com/tpl/main.htm
左側にあるIntroduction をクリックすると恐ろしい動画でお楽しみ頂けます。
ちなみに、このデベロッパーは台湾資本系で、現在香港及びシンガポールに本部を構える会社だとか。ユダヤではなかったようです..。

[お知らせ] 読者の皆さん、日頃のアクセス有難うございます。写真を拡大した同じBlog「多分駄文のオジサン日記」を下記アドレスで新設してますので、覗いてやって下さい。少しヴィジュアル的には改善したかな、と思ってます。
http://ptaro2009q.exblog.jp/

空振りの日

2004-12-30 00:07:47 | Weblog
朝から寒く小雨模様。
年末モードに入り、通勤電車も普段は有り得ないが座って行ける日となった。
9時過ぎから窓の外、横殴りの雪、それもかなりボタ雪状態となり、かなり長い間降り続けている。

異常気象に慣れ、異常な気象と考えられていた状態が正常になりつつある今、年末に雪が降ることはむしろ異常にさえ思われてくるから恐ろしい。何が普通であるのかも、分からなくなる。
しかし、この降雪の勢い、凄まじさには聊か驚いた。異常気象といえば、昨日話した米国東海岸ワシントンDCの連中によると、このところ12月になって氷点下以下の寒い日と30度近い夏日とが極めて短い間隔で繰り返されていると言う。どこもかしこも、おかしくなっているようだ。

本日は夕刻早めに仕事を片付け、丸の内ミレナリオのイルミネーションを見に行くことにした。
丸の内仲通り、丸ビルから有楽町駅手前の東京ビルあたりまでの間に何層にも連なる光の彫刻は丸の内のオフィス街を幻想の世界に変える。
24日が初日でいつもかなり込んでおり、最後列に回るためには、丸ビルどころか、2,3百メートル先の地下鉄大手町駅辺りまで回り込まないと見物の列に加われない経験を過去していることから、少し遅めの日に行こうと思っておった。今日は出勤の人も少なく、天気もぐずつき気味なので、そう込まないであろう。

予感は妙に当たった。そう込まない、ではなく、実際には、全く込んでいなかった。
何故か? 「天候不良のため、本日のミレナリオは開催中止」だと。そんなこと、あるんかいな!
どうも平成11年にこのミレナリオが開始されてから6年間、中止は今日が初めてであるとのこと。
実際には雪も止み、開催中止は合点が行かぬと思えぬ状況ではあった。中止により期待していた人出は激減し、近辺の商店街・レストラン街はそれなりの利益を逸失する筈である。電飾は雨では駄目、という技術的理由が仮にあるとしても、雨・雪は止んでいるので、他に何か決定的な理由があったのであろうか。
幸か不幸か、明日も出勤しなければならないので、もう一度出直すか。
「今日はミレナリオはミレナイヨ」と寒いオヤジギャグを自ら飛ばし、銀座へ脚を運ぶ。

銀座のお目当ては、伊東屋。
文具の老舗であり、ここで手帳のリフィルを買おうかと以前から思っておった。
先般から検討してきたGMO社長・熊谷正寿氏の1万2千円の手帳パッケージはやはりどう考えても経済効率は高いと思えない。自らお好みのテンプレートを何種類か選ぶ方が楽しいか、と考えていた。伊東屋には色々なテンプレートが揃っており、選ぶ楽しみ自体にも期待感があったわけだ。
東京フォーラム経由、有楽町駅前のSofmapでパソコン,HMVでJazz CD等をぶらりと見た後に伊東屋に駆け込もうとしたが、時刻は7時半。実はその時間が伊東屋の閉店時間であった。入り口は僅かなスペースしかなく、店員が中から客を次々に外に送り出している。全く、入る隙なし。本日2回目の空振りなり。残念!


[後談] 29日の丸の内ミレナリオ開催中止の理由は、30日朝刊によると、雪で「滑りやすいため」とのこと。えらく優しい理由である。遠くから見に来た人には気の毒のような気もする。

「災」

2004-12-29 00:10:18 | Weblog
今朝の朝刊一面にあった見出しで、今回の地震・津波による死者数は2万2千人とあり、その規模の大きさに驚いたが、夜Yahoo!(米国版)のトップ報道を見て更に驚いた。

Tidal Waves Death Toll Rises to 44,000

死者は朝の倍の4万4千人となっている。まさにこの増加の仕方も津波級、時間が経つにつれどんどん加速するかのようだ。人類史上最大級の自然災害と言っても過言ではないようだ。どこまで被害が拡がっているのか、想像するだけでも恐ろしい。行方不明者から推定するに、最終的には7万人を越える死者が出るとの報道もある。

今朝は米国本社スタッフと定例の電話会議を行ったが、巻頭の会話はこの地震・津波の話であった。米国でもこのニュースは大々的に報じられているらしい。何より、結構米国からも東南アジアのビーチは人気らしく、今日話をしたこの米国人の相棒も、何と知り合いがプーケットに休暇に行ったがまだ連絡がつかない、と心配しておった。

気分は殆どスマトラの方へ行っておったが、今夕6時半頃、新潟県中越地方で震度5弱の地震が発生したとか。こちらもまだおさまっていない。「余震」の恐ろしさを改めて感じる。雪が舞い散り寒さも厳しくなり、人々の不安も消えることなく、本当にお気の毒である。この日から上越新幹線が運転再開、という時の大きな地震も何だか皮肉な巡り合わせである。
今年一年を表す漢字が「災」という字に決定したらしいが、一年の最後の最後まで大きな災害が世界的に続出している例は記憶にない。二次災害の懸念も残り、また復興への道のりの長さも想像を絶する。まだ「もっと悪い何かへの前兆」という不安も拭えぬが、これはもうこれっきりにして欲しいと願わずにはいられない。

スマトラ大震災

2004-12-28 12:10:46 | Weblog
シンガポール関連で楽しみに拝見しているサイトが幾つかある。
そのうちのひとつ、『シンガポール絵日記』は出色で、得意のカメラワークで楽しいサイトを造られており、我輩も日々愛読している。やはり自分の知っている世界の事象を共有できるサイトにはそれなりに愛着も沸くし、日々の記事により思いも少しづつ蓄積してくるわけだ。筆者のkaonoiさんはクリスマスシーズンに、プーケットにダイビングに行かれたそうだが、現地では今回の津波の影響をもろに受けられたとか。
http://pattaya.exblog.jp/

津波が起きた当日には、”toriaezu ikiteimasu”とローマ字打ちで一報を出している。
恐らく、ずたずたの街の中でネットカフェに駆け込み、日本語転換も出来ぬPCの前で重要な1行を命からがらに打った、という様が想像できる。
その翌日(昨日)、その後の現地の被害状況を少し冷静な眼で報じているのも、大した気力であり、感心感動した。月並みだが、無事で良かったですね、と声を掛けてあげたい心境である。彼が掲載した3枚の被害写真は、その災害の凄まじさを映している。Blogでこのような速報性と生の迫力を感じたのは初めて。自然の恐ろしさと生命の危機が如実に伝わって来た。
彼の無事を喜ぶのと同時に、「死んでもBlogを離しません」という彼のBlog魂に、拍手を送りたい。

切手収集

2004-12-28 00:26:23 | Weblog
我輩は色々なものを収集している。
その中で、最も収集歴の長いのが、切手である。
かれこれ収集を始めて、40年以上、自分で言うのも何だが、結構のコレクターである。
自分の子供にも、分かる時が来たら、切手を通してのコミュニケーションなんかも出来るのではないか、と楽しみにしている。

昔は子供の趣味というと、結構「切手収集」を挙げる者が少なくなかった。しかし、この現代ではどうであろう。そのような趣味を持つものは殆ど聞かない。確かに、いつ頃からは定かではないが、記念切手やその他特殊切手があまりにも頻繁に発行され始め、嘗て感じていたデザインの美しさやユニークさも段々希薄化してきた。頻繁な発行はお国の財源強化には効果があっても、切手コレクターからすると粗製乱造にしか見えず、ファン離れが進んだようにも思われる。
実際、我輩も昔子供時代にカタログを見ながら胸をときめかせた国定公園シリーズや、葛飾北斎の富嶽三十六景シリーズなどを集め、図柄の美しさに感動し、その背景にある知識を積み重ねて行く楽しみはその後得られなかった。
ここ数年、或いはそれ以上か、年末クリスマスを過ぎた頃から東京中央郵便局では、年間シリーズと称してその年に発売された記念切手・特殊切手を全て入れたパッケージ商品を売っており、我輩もこの年間シリーズ購入がこの長いコレクションを継続する極めて便利・簡単な唯一の方法と、一応毎年必ず買い続けてきた。
その年の切手を見ながら、切手帳に入れ並べていく作業をしみじみと行うのが個人的には年末年始の風物詩であるのだ。

そんなことで、そろそろその年間シリーズが今年も発売されているだろう、ということで、本日昼休みに大手町経由で丸の内に繰り出し、中央郵便局に出向いたが、どうもお目当てのものが見つからない。かなり何度もあちこち記念切手コーナーを探したのだが、やはりない。そのうち、背後のカウンターで職員が何度も謝っている声が聞こえた。どうも、或るおじさんが、年間シリーズないの?いつも今頃は発売していただろう!とこんな感じで詰め寄ったのだろう。職員さんは、すいません、今年は遅れているんです、来月中旬以降までは発売出来ないようで...と言っておる。
このおじさん、我輩が聞きたいこと言いたいこと、全部言ってくれたようだ。それにしても、うーん、販売時期が随分遅れているなあ、とがっかり。年末年始の休暇の楽しみがひとつなくなってしまった。

郵政民営化、と言われ、効率化とサービス向上を目指すと言われる郵便局だが、実態は、この切手販売に限って言えば、どうもその方向には進んでいないようだ。一体どういうことなのだろうか。
もしかして、民営化に反対ゆえに職員はわざと、サービスの能率を落としているのかも知れない。

大地震と危機管理

2004-12-27 23:59:34 | Weblog
昨日スマトラ沖で発生したマグニチュード9.0の大地震は、この百年でも4番目に大きな地震であったと報道されている。実態が明らかになるにつれ、被害者の数も増加しており、死者は2万人を越える悲惨な事態となった。

今年は、日本を含め、台風・猛暑・地震と、自然の異常さや災害が世界的に多い年であった。何かの偶然、というよりは、温暖化等人間の所業により自然現象を構造的に変えてしまった故の災害も増えてきたと思われる。しかし、地震となると、もうこういったものさえ越えた災害と言わざるを得ない。何か人間に対する自然からの警鐘なのであろうか。実際には、警鐘、以上に信じられない規模の甚大な被害をもたらしてしまった。

この11月にはシンガポールに行ったが、今回の被害のあった東南アジアのビーチを幾つか訪れており、何だかこの災害も決して他人事とも思えない。一歩間違えば、自分に降りかかってくることだってあったのだ。
津波に関しては現地の人々は過去体験もなく、その怖さを軽視していた向きもあったようだが、人の命など、一瞬のうちに流されてしまう恐ろしさを今回の災害で厭と言うほど知らされた。
年末の休暇シーズンに入り、多くの日本人が様々な観光地・リゾート地を訪れ、中には不幸にも行方不明になられた方も少なくないと聞く。

一部報道にて見知ったが、未曾有の大惨事を前にして我が国政府の対応は相変わらず後手に回っていたという。日本人の安否確認のために外務省が緊急連絡室を設置したのは、地震発生後5時間経ったあと。また、総理大臣は、外務省が安否確認に奔走している間に、築地の映画館で映画鑑賞、その後も銀座のホテルで作家と会食。緊急事態の認識が先ずは持ちえず、その後も陣頭指揮もせず、というのは、自分の属する派閥の親方で前首相がかつて米国潜水艦に沈没させられた研修船の事故を知らされてもゴルフを続けていたのと同じ、何とも情けないものだ。

そもそも日本人は「安全と水はただ」という発想が遺伝子に染み付いており、危機管理については極めて鈍感な感性しか持ち合わせていない向きが強かった。しかし、もうどこで何が起こっても不思議ではない現代に然るべきアンテナを張り、有事と思われる事態にはすぐに対応できる体制と意識を持ち得ない人間を国のリーダーにすることほど、悲惨なことはない。

ごちゃ混ぜの国シンガポール(42)-ヒルトン・ホテル 

2004-12-26 22:19:43 | Singapore
嘗て一度書いたが、1989年初めてシンガポールに来た時に1週間滞在したのがヒルトン・ホテル。米国名門銀行のコミュニケーション研修、ということで、ホテルに缶詰になり、英語でビジネスの様々な事態を口頭・文章で表現する、という日本人にとっては苦手な研修だった。

この熱帯にある国のホテルでは、特に夏場はもうこれでもか、というほどに部屋の冷房をがんがんと効かせてくる。強度の冷房が最大のサービス、最大のごちそう、とでもホテル側は勘違いしているのか、幾ら寒い、と言ってもなかなかマイルドな室温にはならずに参った。2日目辺りから風邪をひいてしょっちゅう鼻水をかんでいる米国人が何人か出てきたが、むべなるかな。我輩も同様に肉体が芯から冷えてしまったことを良く記憶しておるが、最後は皆上着をしっかり着込み毛布のひざ掛けなどをしながらの研修であった。

さてその時のシンガポールの街については、あまり明確な記憶もない。
殆ど外出は出来ず、宿泊していたヒルトン以外では、精々近くの伊勢丹あたりを歩いた程度であった。
当時はヒルトンはオーチャード・ロードの中心、また商業施設の中では、伊勢丹が盟主、というようなぼんやりとした印象が残っておる。
しかし、あれから十数年経過した現在の人の流れ・賑わいからすると、オーチャード・ロードの中心はそのずっと東側の高島屋であり、ホテルの一番手は目立ち方からすると、マリオットである。ヒルトンはもう場所的には、西のはずれに追いやられており、建物そのものも古色蒼然として殆ど存在感がない。若者が足を運ぶエリアには見えない。ここにも、かつての横綱級ホテルの盛者必衰の流れが見えるわけである。誇り高きヒルトン・グループが今後どのように攻勢をかけてくるか、見ものである。

なお、同じヒルトン系列のコンラッドホテルは、ベイエリアに近いシティホール近くにあり、モダンかつ高級な意趣で売っておる。

ごちゃ混ぜの国シンガポール(41)グッドウッド・パーク・ホテル

2004-12-26 20:32:56 | Singapore
オーチャード・ロードを背にしてマリオットのところからスコット・ロード沿いに小高い丘を上がっていくと、5,6分で右手に広い敷地の庭にとんがり屋根のホテルが見える。グッドウッド・パーク・ホテルである。

ガイドブックを幾つか読んだが、「ラッフルズと並ぶシンガポールの超高級コロニアル・ホテル」とのキャプションがついている。 このホテルは1900年にドイツ人の社交場として建てられたのが始まりと言う。確かに、端正な庭の手入れの良さや全般に整備された施設全般はドイツ的な潔癖さ、生真面目さを垣間見ることが出来、好感度は高い。

建物は聊か小ぶりでそう威圧的ではなく、全般に古い建物だけにややゴージャスさには欠け、超高級、と言うには若干過大評価という気がしないでもないが、あの賑やかなオーチャードのすぐ近くにも拘わらず静寂な大人の空間を楽しめる珠玉のホテルであることは間違いなさそうだ。ちょっと誉め過ぎか。ここのアフターヌーン・ティも名物らしいが、今回はそのチャンスを逸した、残念。

シンガポールとドイツ、という、ちょっと組み合わせとしては考えにくいものがこの地にちゃんと存在していることも面白い。


ごちゃ混ぜの国シンガポール(40)-マリオット・ホテル 

2004-12-26 09:19:49 | Singapore
シンガポールの最も賑やかな場所、オーチャード・ロードのMRT地下鉄駅向かいの四つ角に面してそびえっ立っているマリオットホテル。世界のあちこちと言ってもアメリカが中心であるが、随分と個人的にもお世話になっている。

オーチャード・ロードとスコッツ・ロードとの交差点に位置した絶好の立地で、良くこのような場所を確保したな、と感心するが、八角柱の高層ビルで中国風の屋根が乗っかっており、その存在感をアピールしている。

オーチャード・ロード付近には数多くのホテルが林立している。
シャングリラ、フォーシーズンズ、グランドハイアット、シェラトン、ヒルトン、リージェント、マンダリン、ル・メリディアン等など、そうそうたる顔ぶれである。当然多くの人が集まる繁華街であり、シンガポールのステータス・シンボルを出来るだけ良い形で得るための場所取りは重要であった筈。この中で、この最高のロケーションを確保した当時のマリオットの政治力や資本力のありようががどういった状況だったのか、非常に興味のあるところだ。中国風寺塔に似たタワーに仕立てあげたところに何かいわくがあるような気がしてならないが。どなたか、その辺の経緯をご存知の方がいらしたら是非ご教示願いたい。


ごちゃ混ぜの国シンガポール(39)-スイスホテル 

2004-12-25 21:04:36 | Singapore
ラッフルズ・ホテルからワンブロックのところにある超高層ビルが、スイスホテル・ザ・スタンフォード。
地上226m、71階建ての高さは、ホテルとしては世界最高とのこと。
元来はウエスティン・ホテルだったものがスイスホテルにより買収・改装されたものらしい。

スイスホテルというのは、十年以上前には殆どその名も聞かないホテルであったが、ここ数年積極的な買収を重ねてグローバルなホテルグループとして台頭して来た。シンガポールのこの世界最高層のホテルまで手に入れたということだ。

兎にも角にも無用に高い建物だ。目の前には遮る建物もなく、いきなり聳え立つこの建物はランドマークとしては有用であるにしても、何故にこんなところにこんな高い建物を造るんだろう、という印象しか湧いてこない。東南アジアではこのところ高層建築ブームが続いており、隣国のマレーシアあたりにもかなりの高層建築が出来ているようだが、シンガポールも対抗意識むき出しで、勢いで造っちゃった、というようなことなのだろうか。
夜景を見るために、最上階のレストランへ行くのは有りにしても、正直とてもこのホテルに泊まろうという趣味は持ち合わせていない。

ラッフルズの横のこの高層ホテル、という組み合わせも意味ありげだ。
ホテルの様式としては、詩的なラッフルズとコンクリートの塊のようなスイスホテル、低層と超高層、歴史とモダン、と、ことごとく対照的な佇まいである。
が、実は調べてみると、ラッフルズホテルは現在スイスホテルの資本系列に入っているようだ。
どこかの段階で、スイスがラッフルズを系列化に入れたのだろう。

チョッと想像もしていなかった組み合わせに驚くと同時に、スイスホテルに隣接したショッピングセンターやホテルを含めたコンプレックスをラッフルズ・シティと名乗っているのも合点した次第だ。調べてみるものだ。

ごちゃ混ぜの国シンガポール(38)-フラトン・ホテル Part-2

2004-12-25 12:18:21 | Singapore
フラトンの中に入る。

ラッフルズでは、門前払いを食っており、また同じ扱いをされる可能性もある、とやや神経を尖らせた。格からすれば、同じ扱いを受けても全く不思議でない、それほどにこのホテルの威圧感には聊か緊張させられた。
我輩もH兄も相変わらずのTシャツ・短パン姿で、タキシード姿のドアマンやその他のホテルマンからも厳しくチェックされることになるのか。

しかし、恐る恐る中に入り進んで行くも、意外にも誰からもお咎めはなく、すんなりと内部に入ることが出来た。
入って驚愕、中は大きく吹き抜けが拡がっており、どうも外壁部分には客室があるものの、中は完全に広く大きな空間がゆったりと建物全体を支配している。
何と言う貫禄であろうか。目の前に見える極太のコンクリートの円柱2本がこの建物の歴史と風格を物語っているようだ。まさしく、「横綱」という言葉が脳裏に浮かんだが、図抜けたホテルであることを知らされた。
このように最上級のホテルでも、文句もなく出入りを許してくれる度量の大きさに、ラッフルズでは得られなかった敬意と親愛感をこのホテルに抱くに至った。
是非宿泊の機会を持ちたいものだ、と思った。

破綻家計

2004-12-25 00:51:30 | Weblog
この家の年間所得額は629万円。

従って月給は12ヶ月割りとすると、57万円。
実はそのうちの3分の2の38万円はローン返済と田舎への仕送りとなる。残り19万円で生活できるか。結局、食費を減らし、贅沢はせず、切り詰めるものは切り詰めなければならないが、最低の食生活、水道高熱等の固定費を払うと、19万円では実際生活できない。

子供への養育費は当然先細り教育費用の捻出もままならず。その結果として、子供の学力低下は著しい。子供は知力も気力も減退し、今までは見下ろしていた他の友人にも簡単に成績は抜かれていく。また、年老いていく親への経済的な支援も段々減ってきており、年寄りにも自活してもらわぬとならぬ、と居直る。

家計の3分の2はローン返済だが、これも金利暴騰したら唯でさえ火の車の家計が、完全に破綻する。借金は利息が膨れ上がり、返しても返しても、むしろ負債がどんどん大きくなっていくばかり、そのうち所得を上回ることも眼に見えている。
しかも、家計の大黒柱たる父親は、家の安全が大事だ、と家族や周囲の反対をよそに、用心棒代を随分払っている。
医療費や家の修繕費、払わねばならぬものは山ほどある。
結局支払いする現金もなく、止む無く使ってはいけないと誓っていたカードローンで賄うが、借金は増えるばかり。
毎月毎月40万円近くの借金をしている....。


...とこれは、幸か不幸か、我輩の家計の話ではない。

24日に決まった2005年度予算政府案の歳入と歳出を、平均的な勤労者世帯(年収629万4000円)の毎月の家計に当てはめるたお話である。
国の財政が、通常の家計では考えられない危機的な状況にあることがよく分かる。―月収52万でも3分の2は過去の借金の返済と仕送りに消え、毎月40万円近くを新たに借金し続ける。こんなことは普通の家庭では成り立たないお話である。それが国家レベルでは平気で...。――

上記のように書くと、如何にこの国家の収支が破綻的な状況に置かれているかが驚きと戦慄を持って理解される。
ここまでこのように放置されてきた原因は何なのか。誰が舵取りをしていたのか、また、それに対して明確な責任体制はあったのか。

数十兆の歳入というとあまりに桁が大きく実感が湧かぬが、もうほぼ禁治産者状態と言っても良い状況である。
帳尻合わせのため税金、社会保障費等じわじわではあるがその割合は年々増加し、気付いたら所得の大部分が天引きされてしまい、可処分所得は極く僅か、というような時代が意外と早く到来するのではないか。
諸外国では、これらのコストが高くつく国も少なくはないが、その場合には概ね社会のインフラは充分に整備されており、結果的には、払ったものが充分に報われる世界となっていることが多い。
しかし、残念ながら我が国の場合、大きく天引かれたコストが個人に還元されるメカニズムにはならないであろう。何とも情けない国になったものである。
もうまともな人間は国を捨てる、という決断も、当たり前のように選択肢のひとつになってきた時代であることをこの面からも改めて感じる次第である。