多分駄文のおじさん日記

我輩は駄文を書くおじさんである。旅、音楽、MLB、株式投資、etc., 日々想いつくままに思いを巡らすのである。

REDANG Island in Malaysia

2005-06-25 07:39:31 | Weblog
長く、厳しい仕事を終えたあと、人生苦ありゃ、楽あるさ~♪

随分久しぶりに、「人間らしい」週末を迎えるにあたり、やっとリラックしてきた。
緊張が弛んだ分だけ、これまでの疲労が表面化し、あちこちが痛くなってきた。
今日金曜日は、同じく金属疲労ならぬ勤続疲労で同僚の半分近くが、休暇、或いは病欠となった静かなオフィスとなっている。

7月中半にシンガポール経由で、マレーシア東海岸に浮かぶ小島、レダン島に行く。名前も聞いたことのない島だったが、海の透明度抜群の何もない静かな島だそうだ。
時間が通常の3倍速以上の速度で進む恐ろしく忙しき日々を終えてひと息つくと、今度は時間の流れが異常にゆっくりと感じられてくる。その究極は、休暇で行くこのレダン島での時間であろう。時計が意味を持たない、朝が来れば起き、陽の光を浴びて何もしない昼を過ごし、夜になれば寝る、という贅沢な空間に早く浸りたいものだ。


徹夜の友

2005-06-25 07:24:59 | Weblog
6月の最繁忙期には、自社の社員だけではとても仕事量が手に余るゆえ、派遣社員やアルバイトの大学院生を集めて24時間体制の業務が続いた。
夜も相当更け、皆が疲れ始めた頃、NY帰りの姉御肌・女性社員が皆に配ったのがこれ。
人数分以上のパッケージを大量に買ってきたらしい。
なかなか気前がいいもんだ。 GABA(ギャバ)というチョコレートだ。

表にはどこの製造なのか書いてない。裏面も見たがこれも相当よく読まないと製造会社名が分からない。実は、かの江崎グリコだったのだが、社名を目立たせないのは何故だろう?(よく見ると右上にGlicoがあった。)

袋の表面頭の部分に黄文字で、「ストレス社会で闘うあなたに。」と1行目立つフレーズがある。
なかなか、上手い手法だ。
この1行の有る無しで、売れ行きは恐らく天と地ほどの差が出ているのではないだろうか。そして、激務の中でこのチョコレートを口に運ぶ瞬間には、チョコの甘さとこの1行で結構癒されるのではないか。

味覚によってどの程度リラックス効果が出てくるのかは定かではないが、精神的に癒しと勇気が湧いてくるこのチョコレートが今回の徹夜の友、MVP ! 

このチョコの専門サイトがグリコのサイトの中にある。

●リラックスに役立つアミノ酸「GABA」を高含有。
● 「ほっ」と癒されたい時に食べたくなる、優しい味わい。
● 生活シーンにマッチしたパッケージ形態。

なるほど、である。
単なるチョコレートでも演出の仕様によっては、随分付加価値が付いているように思えるもんだ。お陰で2回の徹夜も何とか持ちこたえることが出来た。多謝!

また徹夜....。

2005-06-22 23:46:51 | Weblog
21日は夏至だった、と言う。
夏至というのは、1年のうち最も昼の時間が長い日。
言い換えれば、これからは、だんだん日の長さは下り坂となる、考えようによっては、ちょっと悲しい日でもある。

そんな夏至の日、先週の木曜夜に続き、またもや会社で徹夜の仕事であった。
朝も4時近くになると、外も闇が白さを帯びてくる。
時間との戦いの中で作業を進めるが、夜の2-3時頃には、睡魔が襲って来て、能率が落ちる、というよりは、自分が何をやっているかも分からないような状況になっていた。

しかし、その峠を越えると、不思議なことに今度は覚醒剤でも打ったかのように(その経験はないので、どんなものか真実は知らないが)、急に脳の巡りが良くなり、今までの眠気が嘘のように能率が上がってきた。こんなことがあるもんだ。
三日前の徹夜のときは、職場に残ったのは自分ひとりであったが、この日の徹夜は自分の部下の若奥様と一緒。彼女もなかなか弱音を吐かぬので、こちらも手を緩める訳にも行かなかった事情もあった。一人だけなら、途中でどうなっていたことやら。部下や派遣社員のお嬢さんの仕事のミスをチェックする仕事が最後の仕事となったが、ミスをしそうなのは、むしろこの朦朧とした自分かもしれぬと苦笑い、へたり笑い。

ここ一月の忙しさは異常なものであったが、日程的にはこの日の作業が最終日にして最大の作業量、それも極端に仕事量が多い「最難関の日」なのだ。まさに、この頂上を越さないとこの季節労働は終わらないのだ。
時間までに終わらせる、というプレッシャー、今の時間が昼間で、連絡を取り合っている米国のスタッフとのやり取り、というもうひとつのプレッシャー。この2つのプレッシャーとの戦いに緊張を強いられた作業ではあったが、何とか始業時間前には終了でき、ほっと安堵。最終日だと言う意識も助けになった。このような日々が永遠に続くとなれば絶望であるが、これが今日で終わるとなると、希望に満ちてくる。それで何とか頑張れた訳だ。

しかし、若いときに比べて、大きな仕事が終わったあとの爆発的な喜びや感激もそうなく、ただしみじみと、「やれやれ」と思うのみ、というのは、やはり歳を取った証左なのだろうね。OnとOffのメリハリがその境界線を失っている。何だか何となく、尿意は強いのにおしっこの出具合が悪い、とか、そんな状況と相通ずるものがあるもんだ。(ちょっと例えが悪すぎました、失礼...。)

その日の夜は、久しぶりに(僅か2日ぶりでした)に家に帰り、家族の顔を見て、床についた。
夜10時半過ぎに寝付いたあと、朝6時に子供の部屋の目覚まし時計が鳴るまでの時間、形容し難いほどの深い眠りについていた。このところ数年、これも年齢のせいもあるのだろう、眠りが全般に浅く、途中意識が戻ることも普通のこととなっていたが、この日の眠りはそのような瞬間が微塵も無いままに兎にも角にも深い深い「完璧な眠り」についていたのであった。自分にとっても大きな驚き。これは徹夜のご褒美なのだろうか、と思わず考えてしまった。

夏至が過ぎて、日の長さは下り坂となるが、仕事の方は、「冬至」のような日を越え、これからやっと自分の時間もより持てる状況になってくる筈。さて、苦しく、また時間のなさに苛まれていた時に逃避的に考えていたことに、実際ゆっくりと思いを馳せることの出来る喜びを噛みしめよう。

精神的支柱たる人

2005-06-14 00:31:40 | Weblog
現在、会社の業務は年間の中でも最も忙しい時期。
その中で、今週の忙しさはピークとなる。昨年も経験したこの時期の極端な忙しさには覚悟が必要。早朝自宅を出て行くときには、 「今週は決戦だ!」と思わず叫びたくなる気分であった。

さて、会社に着き、メールの整理をし、朝の業務の準備も程なく整え、9時を迎えた。
仕事量は極端に多いが、先週から米国本社に依頼した仕事も順調に出来上がっており、思ったよりもストレスも感じずに時間が過ぎていく。これは、幸先良い、と思った矢先であった。

最近、あまり連絡のなかった米国本社の重鎮A氏からのメールが入っていた。
この会社では珍しい15年のキャリアを持つ大ベテランの人格者のA氏だ。
この時間帯、米国東海岸はまだ日曜の夜9時チョッと前というところ。我が社では、この曜日この時間帯でも業務のメールが結構発信されており、そう珍しいことではないのだが、このA氏の件名が'Thank you'とある。悪い予感がした。

やはり、この会社を辞める、という内容であった。
近頃あまりメールも来なくなり、聊かおかしな気配は感じていたが、悪い予感はズバリ的中してしまった。実は、このA氏、今の会社に就職をした際、我輩を数ある候補者の中から選んでくれた恩人なのだ。単にそうした恩だけではなく、会社に入ってからも直接のボスとして、日米の距離はあったものの日々親しく付き合わせてもらった。業務の知識はピカイチで、親日家でもあり、取引先の機関投資家の方々からも大きな敬愛の対象となっていた。

このA氏、今の金融界に来る前は、米国の幾つかの有名誌に経済記事等を投稿するフリーのジャーナリストの経験もあり、表現力や洞察力の豊かさは並外れたレベルであった。何かを尋ねると、単に答えを言うだけではなく、その意味するところの周辺隅々まで丁寧に教えてくれる。1を訊くと10返ってくる、という感じのまさに我輩にとってもProfessorであった。
また、元ジャーナリストらしく、スポーツや旅の話題なども機知に富んだ話を聞かせてもらうことが出来た。
これまで20数年のサラリーマン生活を営んできて、日本人アメリカ人を問わず、R氏ほど心より敬愛し、所謂相性(Chemistry)が良かったパートナーを見たことはない。彼と巡り会えたことは、自分の社会人の経験の中でも強く記憶すべきことであった。

最近、社内の風向きが変わり、トップの人間が変わり、そのトップが嘗ての子飼いをどんどん社内に引き連れてきた結果、副社長の立場に居たA氏の立場も次第に不遇なものになってきたことは聞いていたが、このような知らせを聞き、やはり残念でしょうがない。願わくば、会社を辞められても、こちらからお付き合いを続けていただきたい御仁だが、どうなることやら。

本日の忙しい時間の中、彼に何と言葉をかけて良いか逡巡しているうちに、長い会社での一日を終えた。彼へのメールは本日は結局、出さなかった。彼にはあまり陳腐な言葉で別れを伝えるのも気が進まなかったからだ。
疲れた体で帰りの電車に乗り、彼のことをしみじみと振り返るにあたり、「精神的支柱」という言葉が頭に浮かぶ。その「精神的支柱」がすっぽりと無くなった時、改めて彼の存在の大きさを感じ、寂しさを感じた。 日々、色々なドラマが起きるものだ。

英語検定試験

2005-06-12 17:09:38 | Weblog
本日は朝から小5の娘が受験する英語検定試験のお付き添い。
小4で5級に合格し、今回挑戦は4級。まあ、中学2年生前半程度までの内容であるが、これまで数週間にわたり、土日曜は午前中一緒に問題集を履修し、スパルタ教育を施してきた。
(今の仕事やめたら、これからは英語の塾の教師でもしようか、ハッハッハ!)

内容的には、ヒヤリングを含めて皆4社択一のマークシートを埋める問題で、本当の意味の英語力を包括的に試す試験にはとてもとても思えないシステムだが、まあ、早いうちに子供に英語の基礎を習得して欲しいとの願いもあり、子供には頑張ってもらっている。会場に入っていく受験者の中には、時々ビックリするほど小さい子供の姿も見られた。小1小2くらいの帰国子女(にしては、小さすぎるが)が受けるのだろうか。4択なら何とかなるかもしれないなあ。

1時間ほどの試験を終えて、ほっとした表情の我が娘、表情を崩して戻ってきた。
随分緊張したようだがほとんど出来たと安堵していた。教えた我が身としても、同じく安堵。
周りの受験者はほとんどが中学生以上だったらしい。どうも小学校の同学年でも、英検というのは話題には全くなっていないらしい。(レベルの高い学校であれば、そんなこともなかろうが。) 
近くの落ち付きの無い中学生の男の子が小学生の我が娘の答えを盛んにカンニングしようとしていた、という話しには笑ってしまった。 

試験を終えて、家族皆安堵したところで食事をし、そのあと腹ごなしに書店で時間をすごす。
試験までの頑張りのご褒美に娘が欲しい本を買ってあげることにした。バレエの本を選択した。お父さんからも、一冊プレゼント、ということで買ったのは、「英検3級問題集」。ちょっと趣味悪いかなあ。

幼稚園時代からバレエを習っている我が娘、人様の前での公演はもう何度も経験しており、遠いところでは奄美大島まで馳せ参じての公演にも出演した経験があるようだが、どうも来年には、何とNew Yorkのカーネギーホールでの公演予定があるとのこと。(ホントかいな、金が掛かるなあ...)これからは、New York行きをニンジンにして、英語に励んでもらうしかないな。

6月となった

2005-06-02 00:30:21 | Weblog
早くも6月。
衣替え、プール開き、と初夏の到来である。
仕事の方も、最繁忙期突入で、いよいよ頭で考えて対応するのではなく、反射神経で動かねばならぬ時期となった。
何とか気力で乗り切れるか?いや、必要なのは、体力の方だろう。


写真は、New Yorkマンハッタンの対岸にあるNew Jersey州, Hobokenという町の公園で日向ぼっこしている女性たち。2年前の6月中旬撮影のもの。丁度New York出張時に某日系金融機関(というと分かってしまうかな?)の訪問後にこの町を散策した。(当然、暑苦しい背広姿、であった。)

本来なら我輩も、こうして太陽の恩恵に預かりたいこの季節であるが、暫くは我慢我慢の日々である。

米系企業の或る日の光景

2005-06-01 00:47:00 | Weblog
Part-1

毎日200通ほどのEmailに目を通す。
現在は繁忙期で一日に300通以上、という日も少なくない。
90%以上は海外からのもの。米国本社を含めた社内のMailが大部分である。
先々週末、一通のMailが目を引いた。

殆ど毎日Mailのやり取りをしている米国本社の某Project の若手ManagerのNからのものだ。
いつものように、我輩からの質問やコメントに丁寧に応えてくれている。Mailだけではなく、1時間にわたる電話会議なども度々やってきた間柄だ。そんなやり取りをここ半年間続けている。東京で展開すべき或るプロジェクトをテクノロジー面で支えてくれた彼は所謂問題解決のためのプログラムを外部プログラマーとコーディネイトしながら作り上げ、当方の事業展開のためのツールをほぼ完成させるところまで辿りつけていた。

この3月には我輩が渡米し、初めて彼とひざ詰めで話をし、プログラムの組成にも電話やMailだけでは語り尽くせぬ日本人の要求度合いの高いディテールへのこだわりにも理解を示してくれた。

彼は我輩のファーストネームをやたら連呼する。アメリカ人にとっては普通のことだろうが、我輩にとっては、一生の中で親に名前を呼ばれた回数よりもこのNにそう呼ばれた回数の方が多いのではないかとさえ思えるほどであった。

その彼が、あと1週間後に会社を辞めることを決意した、ということを書いてきた。
外資系の場合、突如こういうことがある。辞める人間が特に自分の上司や、業務上の関連性の強い者だと、善し悪しは別として、自分の周りの景色が180度変貌することさえ普通の世界なのだ。
また、米国の人間は会社を辞めることを決して悪いこととは全く考えておらず、むしろ、この彼の退職もより良いポジションのオファーを受けた、所謂ステップアップのための転職が理由であるものと想像される。まあ、それにしても親しくなり、こちらの事情のよき理解者が米国本社を去る、というのは、極めて残念である。彼の開発したツールの方もこれからその実効性を発揮するところでもあり、陽の目を見る前に会社を去るのは、更に残念でもある。

先週の金曜日が彼の最終日であった。
こちらもこれまでの彼の大いなる貢献に感謝し、また今後の成功と幸運を祈る旨のMailを送ったが、彼からも、"Farewell"という件名のMailが来ていた。
いつものように我輩のファーストネームを用いた呼び掛けから始まり、「一緒に働いて素晴らしい仲間であった。」、「貴兄の協力なしには、このプロジェクトの成功は有り得なかった。」、「これまでの忍耐と努力を有難う....。」等等、日本語にすると、もう臭くてしょうがないような文章を連発してくれた。何とこういう、歯の浮く、というか、臭い文章、英語で書くと何故か抵抗もなく、映画の科白のようなカッコの良いものになってしまう。日本人同士だと、こんな表現とても恥ずかしくて言えないだろうなあ。
N君の将来に栄光あれ!


Part-2

米国は昨日月曜日はMemorial Dayで休日。
今日は休み明けなので、やっと米国本社の諸関係者連絡が取れると思い、Mailを打ちまくったが、この休日後も何日間かの休暇を取っており不在、というメッセージを残している者がかなり居て驚いた。

どうも米国の方は、業務上5月の最繁忙期がやっと終り、この休日を迎えた、ということで、3連休にプラスして、更に長い休暇を取る人間がかなり多いようだ。
不在メッセージには通常、不在中の連絡先担当者を紹介するシステムになっているのだが、酷いケースだと、不在中の連絡先に指定されている人間も休暇を取っていて、また更に違う人間がReferenceとして紹介されている、と言ったたらい回し状態が散見された。

多忙さから解放された米国人の弛緩、いつもは夜中まで電話やMailで対応してくれているので責める気にもならないが、忙しさに殺気立っている日本側の我輩としては、返事がすぐに貰えず仕事も遅れる腹立たしさ・苛立たしさもあり、ばかばかしくもあり、また一方では、やはり彼らも人間なのだ、とうい安堵感もあり、という妙な気分であった。

Ground Zero Part-2

2005-05-27 00:12:22 | Weblog
911の同時多発事件では、このWTCで3,000名以上の方が命を落とされたという。
日本の大手金融機関勤務の方も相当数犠牲になられたと聞いている。

初めてこのWTCを訪れたのは、そこに事務所を構えていた幾つかの日本の金融機関を訪問するためであった。1980年代後半のことである。当時、米国大手銀行に勤務し、何箇所かの業務部署や経理等の経験をしたあと審査部に配属され、その後金融機関担当のマーケティング部に来て営業活動を行っていたわけだったが、ビジネスの対象となる日系金融機関はどんどんと海外にも拠点を拡大していた。

その頃は日本経済はまだ好調で、バブルが膨らみかけているところであった。
大手は勿論、地方銀行や、今では死語になったが、相互銀行なども或る意味でのステータスを求めてNew YorkやLondonに拠点を持つようになった。New Yorkでは、それで地銀などでもこのWTCに事務所を構えていたところが結構あったのだ。New Yorkでも最もシンボリックなビルに事務所を構える、というのは、新規に良質の学生の就職を募るにも好都合、良い宣伝効果が得られる、という話を聞いたことがある。


初めてこのビルに入った時には、エレベーターの大きさに驚いた。一度に100人程度は優に乗れるような、これまでに見たこともないような圧倒的な大きさであった。一定階より上に行くには、途中でエレベータを乗り換えなければならない。もう電車の乗り換えみたいなものである。このエレベーターの設置場所や途中乗り換えのアイデアは高層ビルの建築上は当時は画期的なアイデアであったという。
しかし、ぐんぐんと上に登り、エレベーターを乗り換える頃には、遥か向こうに見える窓の外には、漂う雲が見え、もうとんでもない所に来ている、という恐怖感を抱いたものだ。それこそ、足が地に付かない感覚である。こういうところで、何かの事故でも起きたら、もう自分自身が必死に逃げてもまるでコントロールはきかないだろうな、ということを瞬間的に考えた。まさか、あの911事件で、本物の飛行機がビルに突っ込んでくるなどとは夢には思わなかったが、まさしく、その「何か」が本当に起こってしまったのだ。ビルの住人達の日常の意識はどんなものだったのだろうか。

当時WTCで訪問した地方金融機関は、その後殆どが不良債権問題から逃れることも出来ず、NYを含めた海外拠点をたたんで撤退した。バブル崩壊後、あれだけ海外進出に積極的で、また右へ倣えの体質を持った金融界も大きな曲がり角を向かえ、今度はこぞって縮小を繰り返す。しかし、これは、WTCの事件では、幸いした。「残っていたらどうなったか、ぞっとした」と言う知り合いの声を良く聞いた。人の運命の不思議さを感じる。

New York, New York

2005-05-23 23:31:05 | Weblog
さて、米国の記事、Washintonを終え、いよいよNew Yorkについて書こうかな。


Subway Seriesを見ているうちに、観客の異常なざわめき、エラーが出ると味方にも平気で大ブーイングする辛辣さ、これらを耳にして、New Yorkの街の喧騒さを思い出す。
初めてNew Yorkに行ったのはもう20年近く前。それからもう数え切れぬほど、というと大袈裟だが、何度も訪れることになった。

直近では、この3月訪問時に、あのGround Zeroの隣りの宿に宿泊した。美術館も多くに訪問。New Jerseyに宿泊したり、少しこれまでとは違う過ごし方も経験した。
かつて、ある金融機関の集まりで海外の四方山話をしていたときに、New Yorkにも住んでみたい、と話した所、NY生活の長い某大手都市銀行のオッサンから「あそこは住む街じゃなく、稼ぐ街だよ」とにべもなく斬り捨てられたことがある。
いや、そんなことはない、人種のるつぼで多様な価値観、宗教、生活、文化が渦巻く街、エネルギーに富んだ、得体の知れない、不可思議な街なのだ。どのくらい続くか分からんが、記憶のひとこまひとこまを辿って書いて行きたい。

運動会

2005-05-22 09:35:36 | Weblog
昨日土曜日は、娘(5年生)が通う小学校の運動会開催。
嫁さんは朝5時起きで弁当作り、ご苦労なことだ。

最近の小学生、特に6年生ほどになると体もぐんと大きくなる。飽食の時代、栄養摂取も好き放題の時代ゆえ、特に女子は随分大きい子が多くて驚かされる。まるで顔も体もオバサンのようなのが随分おる。この先これ以上大きくなってどうするのだ? (あれ、良く見たら、新米の先生も混じっていた!)

徒競走、毎年我が娘は、1位であったが、今年はどうも様子が違うらしい。
これまでは、同じ背のものと一緒の配列で5,6人が走っていたが、今年から、あらかじめ事前に時間を計測し、同じ持ちタイムのものと一緒に走るシステムに変わったとのこと。どうも、比較的好タイムのものと一緒に走ると、事前の何回かのリハーサルではいつも5人中4位だった、と言っておった。何度走っても、同じ順位になってしまうという。何となく平等そうな措置であるようにも見えるが、平等の名のもとの不平等、というようなものにも思えてくる。あまり、順位重視の教育方針ではないのだろう。
我が娘、運動会前夜にスタートのやり方を改善させたら、徒競走本番でその効果が早速顕われ、2位入賞。まずは、めでたし。

一方、障害物競走では、これもスタートでは一夜漬けの練習の成果で当初トップを走って居ったが、跳び箱のところで他人に先に飛ぶのを譲ってしまい、最後の関門ジャンケンでも負けて、見事なびりけつなり。何とも品が良い、というか、要領悪く、他人を押しのける闘争本能ないもんだ。今後の競争社会で、図太く、うまくやっていけるのか、と聊か心配になってきた。

騎馬戦。5,6年の男女が騎馬を作って帽子を取り合う、お馴染みのもの。運動会では、リレー競走と並んで「花」のメニューである筈。
毎年、男女それぞれ2回戦づつやる筈だが、今年はそれぞれ1回戦きり。それも、対戦時間は短く、普通は、最後の騎馬がどちらか陥落するまで勝負は続けられ、残りひとつの騎馬になって対戦相手に囲まれてしまう、とか、毎年面白いドラマが展開されてきていたが、今年はものの1分程度ですぐに途中打ち切りのピストルの音。どちらも相当数の騎馬が残っている。これも徒競走同様、勝負の白黒をつける、最後まで闘争本能を働かせる、という人間の本来の原始的な欲求からは程遠いところで終わってしまっている。見ていても面白くないところか、腹立たしさまで感じた次第。 日本の学力における国際競争力も低下の一途であるが、このような現場を見せられると良い意味での競争意識も刺激されずにそのまま成長した子供たちが世の核を成していく時代が来るものかという、寒い気分を感じざるを得なかった。


まあ、それにしても、我が娘、あっという間に5年生。ホントに早いものだ。
これからは時間進行のスピードは更に加速していくのだろう。

Subway Series- Yankees vs Mets: Part-1

2005-05-21 23:21:15 | Weblog
大リーグMLBも今日からインターリーグの交流戦が始まった。

New YorkではYankees vs Mets, Los Angelesでは Dodgers vs Angeles, ChicagoではCubs vs White Sox, 更にSan FranciscoではGiants vs Atheletics、と同一都市、或いは近隣都市チーム同士の対抗戦が組まれ、おのずと熱を帯びてくる。
大学バスケットボールの記事でも書いたが、このようなライバル関係にある同一都市のチームの対戦を米国人は異常な熱狂をもって迎えている。日本ではサッカーで静岡ダービー、大阪ダービーと言われるやはり同府県チーム同士のゲームもあるが、大リーグのこの組み合わせの熱狂はその比ではない凄まじさがある。日本で例えると、ぴったり来るものは見当たらないが、感覚的には、その競争意識の熾烈さの点で、昔の六大学・早慶戦のような雰囲気がある。

昨年は多忙でその機会はなかったが、一昨年丁度今時分、現在の会社に就職してWashington近郊の本社に出張した後に、このYankees vs MetsのSubway Seriesを見るためにNew Yorkに立ち寄った。

今振り返っても、あのゲーム(2試合を観戦したのだが)のざわめきを思い出す。如何に野球がアメリカ人に愛され、またこの両チームがニューヨーク市民に愛されているかを肌で感じるものであった。今日朝の実況放送を大画面で見て、観衆のざわめきを耳にして、あの興奮を思い返したのである。[#

Most Emailed Photos

2005-05-21 17:13:04 | Weblog
http://news.yahoo.com/photos/mostemailed

日々見る米国ご本家Yahoo!のページで、Most Emailed Photosというコーナーがある。Yahoo!のサイトにアクセスした人が、友人知人に送った写真の頻度の高いものが、毎日毎日列挙されている。話題性の高いもの、写真としてナイスなものが上位にランクされるものと思われるが、アメリカ人のお好みや興味の在りか・スタイルが垣間見れて面白い。

本日(5月20日)の一位は...
米ニューメキシコ州で生まれた小牛ちゃん。足が5本、と書いてあるが、良く見ると右わき腹のあたりに足の形が見える。実際にはこの足は足としては機能するものではなかろうが、ちょっと奇妙な姿。健康状態には問題ないみたいで、何よりでした。

2位になんと日本のネタが登場...
[#IMAGE|c0006772_8344588.jpg|200505/21/72/|left|250|236#]千葉市動物公園にいるレッサーパンダが二本足で屹立。これは我輩も昨晩のテレビで見たが、ヨチヨチ歩きのイメージの強いレッサーパンダが二本足で立つ、それもなかなか背筋伸ばして姿勢も良い、という意外感と癒し感はアメリカ人にも受けたのか。日本ネタ、ということで、ちょっと誇らしいが、アメリカ人は別にこの写真で日本を意識している訳でもなかろうね。
3位、5位に水着の写真が選択されていたが、これらを抑えての2位入賞は、アメリカ人、色気より癒しと面白さを選んだ、ということか。しかし、まるでぬいぐるみそのものだなあ。
水着の写真を御覧になりたい方は冒頭のリンクをどうぞ。

4位は米国で最近出来たジェットコースターの風景。45階建てビルに垂直に上がり、頂点に立つと、ほぼこれもまた垂直に落下、という強烈なもの。落下速度は時速200kmを越えるというから新幹線並みである。おおーこわッ。まあこの辺の選択になると、単純なアメリカ人気質が良く現れておる。まあ、そもそも友人知人にサイトの写真を送る、なんているのは、若い人の所業ということになるのであろうか。

日々こんなの見て行くのも、面白い。

「旅行地理検定試験」

2005-05-19 00:05:31 | Weblog
もう一週間前ほどだったと記憶するが、或る夕刊紙の小さなコラムが目を引いた。
『趣味系資格に挑戦』というコラムで紹介されていた資格がこれ、
「旅行地理検定試験」なり。

副題に<年間約8000人が受験。入門編の4級は合格率80%>とある。
何だ、8割が合格とは随分易しそうだな....。落とす試験ではなく、知識普及のための合格させる試験なのだろうな。主催は、旅行地理検定協会とか。初めて聞いた協会である。
とりあえず、サイトを覗いて見ることにした。

我輩、遠い昔の大学受験、社会は地理を選択しており、かなり得意でもあった。
希望校の合格も、この地理で得点を稼げた成果であると今でも思っておる。
こつこつ勉強すると知識も増えていき、まさに「地理(塵)も積もれば山となる」(寒ッ~)の世界であった。
昔とったきねづかを...、と意気込んでサイトにアクセスしてみる。

試験は国内編と海外編の2つあり、いづれも1級から4級まで難易度別に4階級ある。
1級以外はインターネットでも受験できると言う。これは今風で面白いシステムだ。受験会場に行かなくて済むうえ、自宅で出来るのは手軽で良い。

4級の国内編をみると35分で70問の設定なので、一問30秒以内で解答しなければ間に合わない。答えを調べている暇などない、殆ど瞬間的に答えないと間に合わないようだ。

概ね国内編と海外編を比べると、個人的には海外編のほうが易しいように見える。
国内編は温泉地がらみの問題が多く、かなり良く勉強しないと分からない問題が多い。温泉通の方でも結構難儀だろう。常識テストのようにも当初は思ったが、意外と難しい。地理の知識と旅の経験が必要な、楽しめる面白い試験で、資格という悲壮感の匂いのあるものでもないのがいい。

残念ながら次回の試験は6月5日で申し込みは5月10日で終了しておった、残念!
6月の次は12月、と年2回のようだ。受かったからといって何のためにもならないであろうが、ボケ防止と知識昂揚、更には、旅行プランのアイデア蓄積、という趣味と実益兼ねたお勉強ができそうだ。

皆様 ちょっとお試しの試験問題、チャレンジしてみては如何か?

今回6月の試験はは通算で21回目の試験らしいが、過去6回からずっと受験して国内編・海外編いづれも1級を取得している地理の達人女性がこのサイトで紹介されていた。どの分野にもすきこそ物の上手なり、という達人が居るものだ。こういう話を見聞きすると、ちょっと燃えてくるなあ。

ゴッホ Part-3

2005-05-17 23:38:39 | Weblog
月曜昼、に続いて、今日も昼に少し時間があったので、竹橋・近代美術館まで来てみた。
昨日は同じ時間帯で、この「ゴッホ展」、入場まで30分待ち。

たかが美術展で、というのはともかく、これだけ待つのは異常か、と思っていたが、実は本日の待ち時間、何と「90分で~す!」とのこと。またもむせ返り、「ゴッホ、ゴッホッホ!」と咳き込む。
昨日の3倍の待ち時間である。事態は悪くなっておる。
あわよくば、と思って来たが、とても入場は覚束ないな。
とてもとても、チョッと来て、ぱっと見て、さっと帰る、なんていう芸当は無理そうだ。

いやいや年配者を中心に、女学生、主婦などなど随分来ている。待ちの列が何回もとぐろを巻いておる。美術館前の広場だけでは収まらず、行列は舗道まで延びておった。
この「ゴッホ展」、開催期間も1週間を切ったことから、この混雑振りは改善しそうもない。
木金土は夜も8時くらいまで、とサラリーマンも仕事後に来れる設定としているようだが、この分だと今週は最後のチャンスに賭ける人が多く、厳しそうだ。この手の人気展覧会はもっと早いうちにこないとゆっくり見れないのだろう。

眼を美術館入口から竹橋側にやると、なんと黄色いバス。
良く見ると、ゴッホ展に連れてくる専門のバスのようだ。
これまた驚き、「こんなのあるの?!」、という感じだが、この斬新な色彩のバスも人気を煽る一因となっているのだろう。美術展に専用お迎えバスがあるなんているのも前代未聞だ。

連休が明けて、ちょっとお楽しみの目玉がなくなって来た状況で、この「ゴッホ展」は身近でちょっと品の良い娯楽、というところなのだろうか。人気のあるのは良いが、あまりに皆考えることが同じ、というようにも見え、聊かうす恐ろしいものを感じながら、昼休みを終えた。