シンガポールねたを小休憩。
本日は、今月に入って2回目の忘年会。
大学を出て最初に就職をした米国大手銀行の先輩同輩計5人が銀座・泰明小学校近くの「野ざわ」という小料理屋に集まった。
10人も入れば満杯になる小さなお店である。
いづれも皆、その銀行にはとうの昔に別れをつげており、Z氏は豪州系銀行の東京支店長、I氏はドイツ系銀行の営業のエグゼクティブ、Y氏はフランス系銀行の国際資金為替部長、そして、K氏は豪州系銀行のディーラーを経てコンサルティング会社を経営、と皆それぞれ歳をとり、立派になっておる。丁度1年前にやはり忘年会をやって以来の再会である。1年の経過が如何にあっという間であったかということを強く感じさせられる。
我輩とその同期Y氏を除くとあとの三人は50歳代、それぞれの世界でよく頑張っておられる。
特に、金融機関の場合は、昨今統合・合併は日常茶飯事であり、或る日起きてみたら全く会社が違う状況になっていた、ということが当たり前のようにある世界なのだ。実際、統合・合併による悲哀の話などが最初の話題になっていた。
次第に会は打ち解け、過去の同僚の話、昔の営業活動ぶり、現状での愚痴や家族・生活の話、将来の展望、とサラリーマンらしい会となってきた。まあ、健康で何とか暮らせれば有難い、と言うことで落ち着いたが、皆高価なスーツを着込み、結構な水準の生活を送っておられるようだ。
話が盛り上がっていた時、この小さな店に巨漢の男が入ってきた。
何と大相撲の高砂親方だ、我々の世代からは、むしろ大関・朝汐、と呼んだ方が分かりやすい。若い世代には、あの暴れん坊横綱・朝青龍の師匠・親方、と言った方が良いだろうか。いやまあ、驚いた。
この店はそういう店なのか。
この高砂親方、先にカウンターに座っておった初老の紳士と、30台半ばに見える知的な美人の横に座り、明るくあの大声で話をしていた。我輩の座っている椅子からすぐ後ろ50cmのところでである。
親方は、30分くらい話して、すぐにその初老の紳士と外へ出てしまったが、流石にタニマチのひとの取り扱いにも慣れているようだった。その間は、久しぶりの同窓会ではあったのだが、一生懸命近況を語る諸先輩をよそに、我輩の耳はすぐ後ろの親方の方に釘付けとなってしまっておった。
親方は今日は誕生日だ、とか言っておったようだ。
記憶に間違いなければ、我輩と同じ年の生まれであったように思う。
本日は、今月に入って2回目の忘年会。
大学を出て最初に就職をした米国大手銀行の先輩同輩計5人が銀座・泰明小学校近くの「野ざわ」という小料理屋に集まった。
10人も入れば満杯になる小さなお店である。
いづれも皆、その銀行にはとうの昔に別れをつげており、Z氏は豪州系銀行の東京支店長、I氏はドイツ系銀行の営業のエグゼクティブ、Y氏はフランス系銀行の国際資金為替部長、そして、K氏は豪州系銀行のディーラーを経てコンサルティング会社を経営、と皆それぞれ歳をとり、立派になっておる。丁度1年前にやはり忘年会をやって以来の再会である。1年の経過が如何にあっという間であったかということを強く感じさせられる。
我輩とその同期Y氏を除くとあとの三人は50歳代、それぞれの世界でよく頑張っておられる。
特に、金融機関の場合は、昨今統合・合併は日常茶飯事であり、或る日起きてみたら全く会社が違う状況になっていた、ということが当たり前のようにある世界なのだ。実際、統合・合併による悲哀の話などが最初の話題になっていた。
次第に会は打ち解け、過去の同僚の話、昔の営業活動ぶり、現状での愚痴や家族・生活の話、将来の展望、とサラリーマンらしい会となってきた。まあ、健康で何とか暮らせれば有難い、と言うことで落ち着いたが、皆高価なスーツを着込み、結構な水準の生活を送っておられるようだ。
話が盛り上がっていた時、この小さな店に巨漢の男が入ってきた。
何と大相撲の高砂親方だ、我々の世代からは、むしろ大関・朝汐、と呼んだ方が分かりやすい。若い世代には、あの暴れん坊横綱・朝青龍の師匠・親方、と言った方が良いだろうか。いやまあ、驚いた。
この店はそういう店なのか。
この高砂親方、先にカウンターに座っておった初老の紳士と、30台半ばに見える知的な美人の横に座り、明るくあの大声で話をしていた。我輩の座っている椅子からすぐ後ろ50cmのところでである。
親方は、30分くらい話して、すぐにその初老の紳士と外へ出てしまったが、流石にタニマチのひとの取り扱いにも慣れているようだった。その間は、久しぶりの同窓会ではあったのだが、一生懸命近況を語る諸先輩をよそに、我輩の耳はすぐ後ろの親方の方に釘付けとなってしまっておった。
親方は今日は誕生日だ、とか言っておったようだ。
記憶に間違いなければ、我輩と同じ年の生まれであったように思う。