日本経済新聞読者の皆さんは、毎朝一体どこから読み始めるのであろうか。
我輩は一面からではなく、最終面から読み始める。
ご存知の通り、「私の履歴書」は日経新聞朝刊最終面に毎日連載されている看板コーナーで、毎月1人ずつ経済、政治、文化など各界の著名人が月替わりで登場、さまざまなエピソードを交えて半生を振り返るコラムである。毎月一人のコラムであるから、年間では12人しかこのコラムには登場できない。これまでの登場人物はいづれも遠い存在が殆どであった。
今月は、衆院議長で元・自民党総裁の河野洋平氏。
今日の内容は、「生体肝移植で元気に-家族に支えられ、喜び実感」とある。
30年ほど前に肝臓の異常が発見されて以来、症状が悪化してきたが、1997年には意識を失う肝性脳症が現れ、激しい政務の中、入退院を繰り返してきた。見かねた娘さん、長男に強く勧められて、最後は長男・太郎氏の頑固な勧めに押される形で、彼の肝臓を移植する手術を受けることになった話が書かれている。
実は、その太郎氏の嫁さん(香さん)が、我輩が勤務していた米国の銀行での同僚であったのだ。今朝の新聞には、河野洋平氏および長男・太郎氏の家族の写真が掲載されていたが、久しぶりにその写真に彼女の姿を見ることが出来た。少しふっくらし、母親の顔になったな、と直感。河野洋平氏がコラムに登場とのことでいつ彼女が出てくるかと心待ちにしていたが、遂に我輩の知り合いにも「私の履歴書」に登場するものが出てきたと、懐かしさと同時に感慨も湧いてきた。河野洋平氏はその移植手術を受けるにあたり、その彼女の一言が決め手になったと書いてあった。
その米国銀行は名門で、当時は皇太子のお后候補と写真週刊誌などで取り上げられている女性も居たほどで、名家のお嬢さんも多かった。河野太郎氏夫人・香さんは確か所謂帰国子女で調査部アナリスト担当の秘書役をやっていた。優秀な女性が多い職場の中で、彼女の美貌と品性はかなり目立っていたが、まさか河野洋平の長男と結婚するとは意外であった。1990年台中ほどのことである。
我輩が当時オフィスで一人残って夜中近くまで仕事に追われていたときに、彼女が婚約相手だった河野太郎氏を連れてオフィスに来たことがあった。勿論その頃は太郎氏も衆議院に立候補する前の会社員時代、(確か、富士ゼロックス)だったのでまさか著名政治家の息子だとは思いも寄らなかったわけだが、挨拶をしたことを覚えておる。
その後の河野太郎氏の台頭・活躍ぶりは皆さんの知るところである。
彼女も大物政治家の義父をもち、また夫自体も政治家として活躍しているその妻として、公の活動も多くご苦労されていることと思う。夫が父へ肝臓移植する、という状況での心労も並大抵ではなかった筈。結婚8年目にしてお子さんに恵まれた、というのも、苦難の末、と想像させられる。
結婚により生活も大きく変わった彼女、今後も元気に活躍して欲しいと願っている。
我輩は一面からではなく、最終面から読み始める。
ご存知の通り、「私の履歴書」は日経新聞朝刊最終面に毎日連載されている看板コーナーで、毎月1人ずつ経済、政治、文化など各界の著名人が月替わりで登場、さまざまなエピソードを交えて半生を振り返るコラムである。毎月一人のコラムであるから、年間では12人しかこのコラムには登場できない。これまでの登場人物はいづれも遠い存在が殆どであった。
今月は、衆院議長で元・自民党総裁の河野洋平氏。
今日の内容は、「生体肝移植で元気に-家族に支えられ、喜び実感」とある。
30年ほど前に肝臓の異常が発見されて以来、症状が悪化してきたが、1997年には意識を失う肝性脳症が現れ、激しい政務の中、入退院を繰り返してきた。見かねた娘さん、長男に強く勧められて、最後は長男・太郎氏の頑固な勧めに押される形で、彼の肝臓を移植する手術を受けることになった話が書かれている。
実は、その太郎氏の嫁さん(香さん)が、我輩が勤務していた米国の銀行での同僚であったのだ。今朝の新聞には、河野洋平氏および長男・太郎氏の家族の写真が掲載されていたが、久しぶりにその写真に彼女の姿を見ることが出来た。少しふっくらし、母親の顔になったな、と直感。河野洋平氏がコラムに登場とのことでいつ彼女が出てくるかと心待ちにしていたが、遂に我輩の知り合いにも「私の履歴書」に登場するものが出てきたと、懐かしさと同時に感慨も湧いてきた。河野洋平氏はその移植手術を受けるにあたり、その彼女の一言が決め手になったと書いてあった。
その米国銀行は名門で、当時は皇太子のお后候補と写真週刊誌などで取り上げられている女性も居たほどで、名家のお嬢さんも多かった。河野太郎氏夫人・香さんは確か所謂帰国子女で調査部アナリスト担当の秘書役をやっていた。優秀な女性が多い職場の中で、彼女の美貌と品性はかなり目立っていたが、まさか河野洋平の長男と結婚するとは意外であった。1990年台中ほどのことである。
我輩が当時オフィスで一人残って夜中近くまで仕事に追われていたときに、彼女が婚約相手だった河野太郎氏を連れてオフィスに来たことがあった。勿論その頃は太郎氏も衆議院に立候補する前の会社員時代、(確か、富士ゼロックス)だったのでまさか著名政治家の息子だとは思いも寄らなかったわけだが、挨拶をしたことを覚えておる。
その後の河野太郎氏の台頭・活躍ぶりは皆さんの知るところである。
彼女も大物政治家の義父をもち、また夫自体も政治家として活躍しているその妻として、公の活動も多くご苦労されていることと思う。夫が父へ肝臓移植する、という状況での心労も並大抵ではなかった筈。結婚8年目にしてお子さんに恵まれた、というのも、苦難の末、と想像させられる。
結婚により生活も大きく変わった彼女、今後も元気に活躍して欲しいと願っている。