ニッポン放送の社外取締役が3人一斉に辞任したという報道を目にした。
通常株主総会などを通して身を引くことは多いものの、こうしたタイミングでの辞任は珍しいという。日本ではこの「社外取締役」というのは、あまり馴染みのない役割のようで社会的にも認知度は今ひとつである。
そもそも日本では「取締役」というのも、会社の出世街道の第一の大きな到達点、やっと重役の一員となり、経営の執行に携えるという感覚だろう。米国の場合は、全く異なっており、この取締役、Director,は経営の監視役であり、執行役ではない。経営の執行を監視する言ってみれば株主の利益を代表する立場で経営に物申すことが最大の任務である筈。米国企業の場合、取締役会の過半数以上がこの「社外取締役」から構成されている。彼らが平気でCEOを首にする例は枚挙に暇がない。最近CEOをクビになったというHPの女性社長・フィオリーナ女史も、この社外取締役の意見によるものである。
ニッポン放送の社外取締役を辞任した久保利弁護士や野中ともよ女史は著名人であちこちに肩書きを持つようなひとであるが、これまで騒動の渦中にあったニッポン放送の社外取締役としては、殆ど目に見えて判るような言動は見えてこなかったのが実は個人的にはずっと不思議でならなかった。このような時ほど、社外人として客観的冷静なコメントを経営陣に対して言うべきだったはずだが....。
そして、今日の突然の辞任である。
「一身上の都合」で雁首そろえて辞めていく、というのも非常に解せない。
所詮は「社外」人、火中の栗は拾わず、単に臭い物には蓋、君子危うきに近づかず、ということだけであれば、日本のコーポーレート・ガバナンスなど無きに等しいものと言わざるを得ない。
3人一緒の辞任の真相は如何に?
通常株主総会などを通して身を引くことは多いものの、こうしたタイミングでの辞任は珍しいという。日本ではこの「社外取締役」というのは、あまり馴染みのない役割のようで社会的にも認知度は今ひとつである。
そもそも日本では「取締役」というのも、会社の出世街道の第一の大きな到達点、やっと重役の一員となり、経営の執行に携えるという感覚だろう。米国の場合は、全く異なっており、この取締役、Director,は経営の監視役であり、執行役ではない。経営の執行を監視する言ってみれば株主の利益を代表する立場で経営に物申すことが最大の任務である筈。米国企業の場合、取締役会の過半数以上がこの「社外取締役」から構成されている。彼らが平気でCEOを首にする例は枚挙に暇がない。最近CEOをクビになったというHPの女性社長・フィオリーナ女史も、この社外取締役の意見によるものである。
ニッポン放送の社外取締役を辞任した久保利弁護士や野中ともよ女史は著名人であちこちに肩書きを持つようなひとであるが、これまで騒動の渦中にあったニッポン放送の社外取締役としては、殆ど目に見えて判るような言動は見えてこなかったのが実は個人的にはずっと不思議でならなかった。このような時ほど、社外人として客観的冷静なコメントを経営陣に対して言うべきだったはずだが....。
そして、今日の突然の辞任である。
「一身上の都合」で雁首そろえて辞めていく、というのも非常に解せない。
所詮は「社外」人、火中の栗は拾わず、単に臭い物には蓋、君子危うきに近づかず、ということだけであれば、日本のコーポーレート・ガバナンスなど無きに等しいものと言わざるを得ない。
3人一緒の辞任の真相は如何に?