多分駄文のおじさん日記

我輩は駄文を書くおじさんである。旅、音楽、MLB、株式投資、etc., 日々想いつくままに思いを巡らすのである。

訪問有難うございます!

2005-08-20 07:11:35 | Weblog
別サイト、多分駄文のオジサン旅日記にて引き続き記事を書いていますので、覗いてやってください。

また、もうひとつの別サイトOjisan Photo Studioは、旅の写真を中心に多くのフォトアルバムを掲載中です。こちらもどうぞ宜しく。

REDANG Island in Malaysia

2005-06-25 07:39:31 | Weblog
長く、厳しい仕事を終えたあと、人生苦ありゃ、楽あるさ~♪

随分久しぶりに、「人間らしい」週末を迎えるにあたり、やっとリラックしてきた。
緊張が弛んだ分だけ、これまでの疲労が表面化し、あちこちが痛くなってきた。
今日金曜日は、同じく金属疲労ならぬ勤続疲労で同僚の半分近くが、休暇、或いは病欠となった静かなオフィスとなっている。

7月中半にシンガポール経由で、マレーシア東海岸に浮かぶ小島、レダン島に行く。名前も聞いたことのない島だったが、海の透明度抜群の何もない静かな島だそうだ。
時間が通常の3倍速以上の速度で進む恐ろしく忙しき日々を終えてひと息つくと、今度は時間の流れが異常にゆっくりと感じられてくる。その究極は、休暇で行くこのレダン島での時間であろう。時計が意味を持たない、朝が来れば起き、陽の光を浴びて何もしない昼を過ごし、夜になれば寝る、という贅沢な空間に早く浸りたいものだ。


NYのお薦め散歩道 (3) Central Park‐2

2005-06-25 07:34:38 | New York
緑の季節である。
ここのところずっとオフィスで働きずめであったが、緑の深さも増してくる季節である。疲れきった眼には、優しく癒してくれる木々の緑が良い。

New YorkのここCentral Park、四季折々の表情を持っているが、この緑の季節は何とも生き生きとした最も美しい季節である。ありとあらゆる生物が生長している躍動感がある。
Central Parkを進んでみよう。

直進すると、すぐに動物園に遭遇する。決してスケールの大きいものではないが、マンハッタンのど真ん中にペンギンやアシカが居るのは面白い。小さな子供連れにはお薦めである。

ここセントラルパークは、ジョギングやサイクリングの名所でもある。
New York訪問3、4回目あたりのとき、初めて園内を1時間ほどジョッギングしたときには、感動の思いであった。

ガイド本を読むと、1万年前に終わった氷河時代のつめ跡がセントラルパークの岩肌に残されている、とある。確かにそうした岩肌が散見される。世界の名だたる近代都市と氷河時代というミスマッチの組み合わせも何だか面白い。


公園内を幌馬車が走っている。聊かメルヘンチック過ぎる光景ではあるが、素直にお伽話の世界に入って夢を見てみましょうか、という気分に徹しなければならない。(写真)


公園内には様々な銅像やオブジェが見られ、これも散策中の楽しみの一つとなる。これらのフォトコレクションでも何時かやってみたいものだ。


セントラルパークの景色は多様性に富んでいる。
野外音楽堂やら、池や噴水、お城も見える。緑の後ろに聳え立つ高層ビル群もNew Yorkらしいコントラストだ。


大都会New Yorkにも野生動物は多く棲息している。このリス君もその仲間である。こんな大都会にもこんなものが居るのかと最初は、それだけでも感動したものだ。


さて、我が散策も終わりに近づいてきた。いや、時間があればもっと寄り道をしてあちこちを歩いたり、芝生に横たわっているだけでも良いのだが。終点のメトロポリタン美術館を裏側から臨む。


New Yorkの街、或る意味では、ストレスとテンションの塊りのような街でもある。人々の歩きは早く、車の混雑、無秩序、それだけでも膨大なエネルギーが消費されている。ストレスとテンションが大きければ大きいほど、Central Parkの持つ大きな包容力、癒しの力が意味を持つというものなのだろう。ここの楽しみ方は無限数のパターンがある。いよいよ、次の目的地メトロポリタン美術館に到着。また次のページが始まる。

*** 写真編、http://ptaro2009q.exblog.jp/を御覧下さい。

徹夜の友

2005-06-25 07:24:59 | Weblog
6月の最繁忙期には、自社の社員だけではとても仕事量が手に余るゆえ、派遣社員やアルバイトの大学院生を集めて24時間体制の業務が続いた。
夜も相当更け、皆が疲れ始めた頃、NY帰りの姉御肌・女性社員が皆に配ったのがこれ。
人数分以上のパッケージを大量に買ってきたらしい。
なかなか気前がいいもんだ。 GABA(ギャバ)というチョコレートだ。

表にはどこの製造なのか書いてない。裏面も見たがこれも相当よく読まないと製造会社名が分からない。実は、かの江崎グリコだったのだが、社名を目立たせないのは何故だろう?(よく見ると右上にGlicoがあった。)

袋の表面頭の部分に黄文字で、「ストレス社会で闘うあなたに。」と1行目立つフレーズがある。
なかなか、上手い手法だ。
この1行の有る無しで、売れ行きは恐らく天と地ほどの差が出ているのではないだろうか。そして、激務の中でこのチョコレートを口に運ぶ瞬間には、チョコの甘さとこの1行で結構癒されるのではないか。

味覚によってどの程度リラックス効果が出てくるのかは定かではないが、精神的に癒しと勇気が湧いてくるこのチョコレートが今回の徹夜の友、MVP ! 

このチョコの専門サイトがグリコのサイトの中にある。

●リラックスに役立つアミノ酸「GABA」を高含有。
● 「ほっ」と癒されたい時に食べたくなる、優しい味わい。
● 生活シーンにマッチしたパッケージ形態。

なるほど、である。
単なるチョコレートでも演出の仕様によっては、随分付加価値が付いているように思えるもんだ。お陰で2回の徹夜も何とか持ちこたえることが出来た。多謝!

また徹夜....。

2005-06-22 23:46:51 | Weblog
21日は夏至だった、と言う。
夏至というのは、1年のうち最も昼の時間が長い日。
言い換えれば、これからは、だんだん日の長さは下り坂となる、考えようによっては、ちょっと悲しい日でもある。

そんな夏至の日、先週の木曜夜に続き、またもや会社で徹夜の仕事であった。
朝も4時近くになると、外も闇が白さを帯びてくる。
時間との戦いの中で作業を進めるが、夜の2-3時頃には、睡魔が襲って来て、能率が落ちる、というよりは、自分が何をやっているかも分からないような状況になっていた。

しかし、その峠を越えると、不思議なことに今度は覚醒剤でも打ったかのように(その経験はないので、どんなものか真実は知らないが)、急に脳の巡りが良くなり、今までの眠気が嘘のように能率が上がってきた。こんなことがあるもんだ。
三日前の徹夜のときは、職場に残ったのは自分ひとりであったが、この日の徹夜は自分の部下の若奥様と一緒。彼女もなかなか弱音を吐かぬので、こちらも手を緩める訳にも行かなかった事情もあった。一人だけなら、途中でどうなっていたことやら。部下や派遣社員のお嬢さんの仕事のミスをチェックする仕事が最後の仕事となったが、ミスをしそうなのは、むしろこの朦朧とした自分かもしれぬと苦笑い、へたり笑い。

ここ一月の忙しさは異常なものであったが、日程的にはこの日の作業が最終日にして最大の作業量、それも極端に仕事量が多い「最難関の日」なのだ。まさに、この頂上を越さないとこの季節労働は終わらないのだ。
時間までに終わらせる、というプレッシャー、今の時間が昼間で、連絡を取り合っている米国のスタッフとのやり取り、というもうひとつのプレッシャー。この2つのプレッシャーとの戦いに緊張を強いられた作業ではあったが、何とか始業時間前には終了でき、ほっと安堵。最終日だと言う意識も助けになった。このような日々が永遠に続くとなれば絶望であるが、これが今日で終わるとなると、希望に満ちてくる。それで何とか頑張れた訳だ。

しかし、若いときに比べて、大きな仕事が終わったあとの爆発的な喜びや感激もそうなく、ただしみじみと、「やれやれ」と思うのみ、というのは、やはり歳を取った証左なのだろうね。OnとOffのメリハリがその境界線を失っている。何だか何となく、尿意は強いのにおしっこの出具合が悪い、とか、そんな状況と相通ずるものがあるもんだ。(ちょっと例えが悪すぎました、失礼...。)

その日の夜は、久しぶりに(僅か2日ぶりでした)に家に帰り、家族の顔を見て、床についた。
夜10時半過ぎに寝付いたあと、朝6時に子供の部屋の目覚まし時計が鳴るまでの時間、形容し難いほどの深い眠りについていた。このところ数年、これも年齢のせいもあるのだろう、眠りが全般に浅く、途中意識が戻ることも普通のこととなっていたが、この日の眠りはそのような瞬間が微塵も無いままに兎にも角にも深い深い「完璧な眠り」についていたのであった。自分にとっても大きな驚き。これは徹夜のご褒美なのだろうか、と思わず考えてしまった。

夏至が過ぎて、日の長さは下り坂となるが、仕事の方は、「冬至」のような日を越え、これからやっと自分の時間もより持てる状況になってくる筈。さて、苦しく、また時間のなさに苛まれていた時に逃避的に考えていたことに、実際ゆっくりと思いを馳せることの出来る喜びを噛みしめよう。

精神的支柱たる人

2005-06-14 00:31:40 | Weblog
現在、会社の業務は年間の中でも最も忙しい時期。
その中で、今週の忙しさはピークとなる。昨年も経験したこの時期の極端な忙しさには覚悟が必要。早朝自宅を出て行くときには、 「今週は決戦だ!」と思わず叫びたくなる気分であった。

さて、会社に着き、メールの整理をし、朝の業務の準備も程なく整え、9時を迎えた。
仕事量は極端に多いが、先週から米国本社に依頼した仕事も順調に出来上がっており、思ったよりもストレスも感じずに時間が過ぎていく。これは、幸先良い、と思った矢先であった。

最近、あまり連絡のなかった米国本社の重鎮A氏からのメールが入っていた。
この会社では珍しい15年のキャリアを持つ大ベテランの人格者のA氏だ。
この時間帯、米国東海岸はまだ日曜の夜9時チョッと前というところ。我が社では、この曜日この時間帯でも業務のメールが結構発信されており、そう珍しいことではないのだが、このA氏の件名が'Thank you'とある。悪い予感がした。

やはり、この会社を辞める、という内容であった。
近頃あまりメールも来なくなり、聊かおかしな気配は感じていたが、悪い予感はズバリ的中してしまった。実は、このA氏、今の会社に就職をした際、我輩を数ある候補者の中から選んでくれた恩人なのだ。単にそうした恩だけではなく、会社に入ってからも直接のボスとして、日米の距離はあったものの日々親しく付き合わせてもらった。業務の知識はピカイチで、親日家でもあり、取引先の機関投資家の方々からも大きな敬愛の対象となっていた。

このA氏、今の金融界に来る前は、米国の幾つかの有名誌に経済記事等を投稿するフリーのジャーナリストの経験もあり、表現力や洞察力の豊かさは並外れたレベルであった。何かを尋ねると、単に答えを言うだけではなく、その意味するところの周辺隅々まで丁寧に教えてくれる。1を訊くと10返ってくる、という感じのまさに我輩にとってもProfessorであった。
また、元ジャーナリストらしく、スポーツや旅の話題なども機知に富んだ話を聞かせてもらうことが出来た。
これまで20数年のサラリーマン生活を営んできて、日本人アメリカ人を問わず、R氏ほど心より敬愛し、所謂相性(Chemistry)が良かったパートナーを見たことはない。彼と巡り会えたことは、自分の社会人の経験の中でも強く記憶すべきことであった。

最近、社内の風向きが変わり、トップの人間が変わり、そのトップが嘗ての子飼いをどんどん社内に引き連れてきた結果、副社長の立場に居たA氏の立場も次第に不遇なものになってきたことは聞いていたが、このような知らせを聞き、やはり残念でしょうがない。願わくば、会社を辞められても、こちらからお付き合いを続けていただきたい御仁だが、どうなることやら。

本日の忙しい時間の中、彼に何と言葉をかけて良いか逡巡しているうちに、長い会社での一日を終えた。彼へのメールは本日は結局、出さなかった。彼にはあまり陳腐な言葉で別れを伝えるのも気が進まなかったからだ。
疲れた体で帰りの電車に乗り、彼のことをしみじみと振り返るにあたり、「精神的支柱」という言葉が頭に浮かぶ。その「精神的支柱」がすっぽりと無くなった時、改めて彼の存在の大きさを感じ、寂しさを感じた。 日々、色々なドラマが起きるものだ。

英語検定試験

2005-06-12 17:09:38 | Weblog
本日は朝から小5の娘が受験する英語検定試験のお付き添い。
小4で5級に合格し、今回挑戦は4級。まあ、中学2年生前半程度までの内容であるが、これまで数週間にわたり、土日曜は午前中一緒に問題集を履修し、スパルタ教育を施してきた。
(今の仕事やめたら、これからは英語の塾の教師でもしようか、ハッハッハ!)

内容的には、ヒヤリングを含めて皆4社択一のマークシートを埋める問題で、本当の意味の英語力を包括的に試す試験にはとてもとても思えないシステムだが、まあ、早いうちに子供に英語の基礎を習得して欲しいとの願いもあり、子供には頑張ってもらっている。会場に入っていく受験者の中には、時々ビックリするほど小さい子供の姿も見られた。小1小2くらいの帰国子女(にしては、小さすぎるが)が受けるのだろうか。4択なら何とかなるかもしれないなあ。

1時間ほどの試験を終えて、ほっとした表情の我が娘、表情を崩して戻ってきた。
随分緊張したようだがほとんど出来たと安堵していた。教えた我が身としても、同じく安堵。
周りの受験者はほとんどが中学生以上だったらしい。どうも小学校の同学年でも、英検というのは話題には全くなっていないらしい。(レベルの高い学校であれば、そんなこともなかろうが。) 
近くの落ち付きの無い中学生の男の子が小学生の我が娘の答えを盛んにカンニングしようとしていた、という話しには笑ってしまった。 

試験を終えて、家族皆安堵したところで食事をし、そのあと腹ごなしに書店で時間をすごす。
試験までの頑張りのご褒美に娘が欲しい本を買ってあげることにした。バレエの本を選択した。お父さんからも、一冊プレゼント、ということで買ったのは、「英検3級問題集」。ちょっと趣味悪いかなあ。

幼稚園時代からバレエを習っている我が娘、人様の前での公演はもう何度も経験しており、遠いところでは奄美大島まで馳せ参じての公演にも出演した経験があるようだが、どうも来年には、何とNew Yorkのカーネギーホールでの公演予定があるとのこと。(ホントかいな、金が掛かるなあ...)これからは、New York行きをニンジンにして、英語に励んでもらうしかないな。

NYのお薦め散歩道 (3) Central Park‐1

2005-06-12 07:32:10 | New York
New YorkのCentral Parkと言ったら、これは誰もが知っている大公園。New York市民のみならず、世界の各地からNYを訪れる人達にとっても憩いの場所となっている。

Ground Zeroのあるダウンタウンからは地下鉄に乗って一直線、ミッドタウンから更に北へ進むと、東西が800m、南北が4kmという長方形状の公園が続く。

NYに来たときには、ビジネス、個人的な楽しみ、いずれの場合でも必ずこのCentral Parkに来る。Hotelを近くに取ったときには、早朝の公園内ジョッギングなどを行い、「気分はもうNew Yorker」と、嬉しい体験も何度かした。

此処に必ず来る、というのは、その鍵がある。
公園散策の最後にメトロポリタン美術館(Metropolitan Museum)を訪れるのが、我がNew Yorkの旅の定番であるからだ。 
Central Parkを散策し、暫く歩いた疲れを美術館で癒す心地よさよ。

ということで、今回3月のNY訪問もDay 1 には、判で押したように逡巡無くこのCentral Parkへ。
公園の入口付近に有るのが、あのプラザ合意で知られるPlaza Hotel。
金融人なら誰でも知っている1985年のドル高是正の為替合意が行われた会議場がこのプラザホテル。当時のアメリカ、貿易赤字が深刻な状況で、為替調整による国際収支の均衡を図るのがこのプラザ合意であったが、その後1ドル200円を切り(今では信じられない水準だが)、1年半ほどで150円くらいまで一気に円高が進み、世界の為替相場が大パニックになったことを良く覚えておる。
まあこんないわく付きのホテルであるが、罪の無い観光客へは、「行ってらっしゃい、ゆっくり楽しんでおいで!」、と公園に送り出してくれるようだ。

NYのお薦め散歩道 (2) Brooklyn Bridge-3

2005-06-12 07:25:42 | New York
Brooklyn Bridgeを歩き始めて15分頃で最初の石塔近くに辿り着く。
冬の寒さの中でも、もううっすらと額に汗が浮き出てくる。

この頃になると、特に観光客は、石塔をバックに、或いは、橋のたもとに寄り掛かりマンハッタンの摩天楼をバックに記念撮影、というのが増えてくる。何故か分からぬが、中年夫婦、老夫婦などには、「写真を撮ってあげましょうか?」という声が自然と出てくる。今回もドイツから来たという中年夫婦の撮影をしてあげた。やはり、結構色々なところから此処に集まっているのだ。
どこか同じ山を登っている同士のような気分で、橋を歩きながら抜いたり抜かれたり、すれ違うたびにちょっとした言葉を掛け合ったり、と小さなコミュニティが出来てくる気分も悪くない。

ゴシック様式のアーチの柱につるされたワイヤーが統制された幾何学模様を造り出し、独自の空間を創造する。落下防止らしき金網も模様のひとこまと思えば目の邪魔にもならない。
19世紀のアメリカの作品、悪くない。

NYのお薦め散歩道 (2) Brooklyn Bridge-2

2005-06-12 07:21:31 | New York
市庁舎向かって右側に進むと、Brooklyn Bridgeの麓が見えてくる。
ManhattanとBrooklynの間に流れるEast Riverに跨った全長2kmを越える橋だ。
完成は1883年というから120年以上の歴史か。
この橋のたもとに初めて来た時(2003年6月)には、何分掛かるか分からんが、取り合えず歩いてみよう、と進んだことを覚えている。

今回(2005年3月)は、このBrooklyn Bridgeのお散歩は2回目だったが、前回のときは色んな人がこの橋を渡っており、興味深かった。生活のためにこの橋を歩く人は殆ど居ない。時折、自転車がもの凄いスピードで通り過ぎて行くのが、チョッと怖い。

先へ進む。緩やかな登り坂を歩くにつれ、当然周りの景色は大きく変わっていく。
橋中央に有る石塔が次第に大きく見えてくる。

地上部分から、河の上まで来ると、右側にはPier17なるショッピングセンターや自由の女神像見学の船が出る波止場が見える。

そして、その先はWall Streetを望む摩天楼が聳え立つ。
最もNew Yorkらしい風景を此処から楽しむことが出来る。

『はるばる来たぜ函館ぇ~』ならぬ、『はるばるきたぜ、ニュ~ヨオォォクゥッ!!』という感じである。(古いですか?) 函館の街の全景を見るなら臥牛山と呼ばれる函館山、マンハッタンを見るならここBrooklyn Bridgeだ。
この壮大豪華な光景を独り占めだぜ、と良い気分になる。世界の資本主義の象徴たるこの摩天楼街を一望、全て自分の支配下においたような優越気分が湧いてくる。この光景を目に焼き付けるだけでもこの橋を歩くことの価値は充分ある、と自分自身に納得。(何だコリャ?)

以前にも書いたが、そこに摩天楼の兄貴格だったWTCのツインビルが居ないことだけが寂しさを誘う。

NYのお薦め散歩道 (2) Brooklyn Bridge-1

2005-06-12 07:16:57 | New York
今週は、月曜日早朝会社のデスクに着いた時から金曜日の深夜帰宅するまで、ずっと忙しい一週間を過ごした。睡眠の記憶さえあまりないほどだった。来週はその忙しさが更に加速する。取り合えず、本日はカレンダー通りの休みが取れる。ホッと一息だ。
日々ストレスと緊張で疲れ、睡眠不足に苛まれても、休みの土曜日の朝でも、陽が登り明るくなると目が醒めてしまう。哀しいことだ。疲れてもゆっくりと朝寝坊も爆睡も出来ぬのは年寄りの証左か。

さて、New Yorkの散歩道シリーズ、その2、 Brooklyn Bridgeをご紹介。
今回もLower Manhattan、Ground Zeroからのコースである。
これは誰もが知っていると思われるが、なかなかお決まりの観光コースに乗せられてしまうと、行けそうで行けないところか。

Ground Zero、ハドソン河を背にして東方向へ進む。途中少し迂回してWall Streetあたりの金融街の匂いをちょっとかいで見るのも良い。
金融関連のニュースではお馴染みの、ニューヨーク証券取引所(New York Stock Exchange)に遭遇。ここでの株価の動向は、日々の世界の市場に影響を及ぼす源泉となる。まだ、テロへの警備も重重しく、一般人は容易に近づけぬ雰囲気であるのが残念。聊か遠巻きに前を通り過ぎることとした。

また、この近くには、我輩が最初に勤務した米大手銀行の本店ビルがある。入社して数年初めて此処を訪れたときには、そのビルの大きさに圧倒された。アメリカ資本主義のひとつの象徴とも思われたこのビル、ビル前の広場にはオーナーのコレクションのひとつであろうが、幾つかのオブジェが置かれている。当時の日本の巨大金融機関にはない、リベラルな雰囲気にも感激したことを覚えている。今はどうか知らないが、日本の大蔵省(現・財務省)のオフィスも入っていた。いずれにせよ、首を90度に上げても、ビル頂上が遥か遠方にある高層ビルが林立している。

更に東へ進むと前方に高いビルが見えてくる。市庁舎(City Hall)である。(写真)
威厳有る緩やかな半円形の弧を描いたビルである。

その麓にある小公園は、摩天楼の中の、ちょっとホッとする癒しの空間である。
緑の季節には噴水が良く似合うことであろう。

NYのお薦め散歩道 (1) ハドソン河のほとりで

2005-06-06 23:38:32 | New York
東京もだいぶ蒸し暑くなってきた。
このところ地球温暖化やビル熱など、複合的な要因で、東京の夏はもう熱帯雨林並みになってきた。昨年夏には40度の猛暑の日を体験したが、もうとんでもない暑さであった。

さて、そんな中、New York3月初旬の寒い写真をご紹介。
New Yorkerにもあまり話題にはなっていないと思われるが、 「こんな良い散歩道がある‐その1」のご紹介である。

場所は、Ground Zeroにすぐ近いダウンタウンにある今回のホテル・Mariott Fianancial Centerから徒歩で僅か2,3分。すぐにマンハッタン西側のハドソン河にぶつかる。
ここの川べりのプロムナード(散歩道)は綺麗に整備され、街路樹も美しい。
勿論、ハドソン河の雄大な河の流れと対岸に見えるNew Jerseyの真新しい高層ビル群も詩情を誘う景観であった。

また、マンハッタンの最南端、バッテリーパーク方向に向かって進むと、前方にはあの自由の女神像も見えてくる。

訪問当時は早朝に降った白雪がうっすらと積もり、白と黒のそれこそモノトーンの世界であった。気温も氷点下に近く(マア最も向こうでは摂氏ではなく、華氏なのでマイナスにはならないか!)、身も心も引き締まるなか、人通りの少ない静寂と広大な景色を独占しながらの散歩が楽しめた。何と言う満足感だったろう。

寒い早朝の中でも、犬の散歩や、ジョッギングを楽しむ中高年の夫婦など、誰もがまるで映画の俳優・女優のように絵になっていた。自転車に乗って来た若い女性が雪でスリップして、自転車が遥か前方に吹っ飛び、また女性本人も車体から外れて転倒したところに遭遇したが、そのシーンさえ、何か映画の一シーンのようであった。

そういう自分も其処にいるとやはり最後は映画の主人公の気分になったぞい。
古いレンガの高層マンション群にNYを見るも楽し、対岸のNewJerseyの再開発地帯の幾何学的美を見るも良し、プロムナードの樹木の安らぎをベンチに座って感じるも良し。夏なら日向ぼっこだけでも充分楽しめる筈だ。
観光ガイドには載っていないこの隠れた穴場の散歩道、Ground Zeroへの訪問の後などに、是非お薦めしたい。

Ground Zero Part-7

2005-06-05 07:47:08 | Washington D.C.
New York訪問前、出張中のWashigton D.C.にて、我輩愛好の大手書店Barnes & Nobleに立ち寄った。

このBarnes & Nobleではどこの店でも安売りコーナーがあり、聊か古いが価値の有る本をかなりの安値で売っている。
そこで幾つか見つけた候補本の中でWTCの写真集を選び、購入した。
定価は$35ほどだが、僅か$10程度で売っていた可也のお得品である。
中身の写真の質・量からして、$10は信じられないお値段になっている。
大きく重い書物で出張の移動には余計な荷物になるのは必至であったが、それを省みずに思わず買ってしまった。
(他にも昔のBeatlesの写真集なども、魅力的な値段であったが、あまりに重過ぎるので泣く泣く諦めたのだった。今となると後悔しきりなり...。)


中味の写真には、建設当時の様子から、最期の崩壊まで、様々なアングルの写真が掲載されている。
建築物としてのツインタワーの芸術的価値、都市の風景の中のツインタワーの存在感、という観点から、様々なアングルの写真が楽しめて、興味は尽きないし、見ていて色々な思いが喚起させられる。
また、あの忌まわしいテロ事件での二機目の突入までのコマ送りの写真なども掲載されており、あの時の自分の感情やその時に置かれていた状況なども想起させられた。

あの時は、ちょうど久米宏がやっていた夜10時のニュースステーションの時間であった。
緊急ニュースとして朝のNew Yorkでの事件が実況報道されていたが、当初は、ヘリコプターか何かの軽い事故がらみのお話かと思っていた。
ところが、その報道途中での何と二機目の突入で、これはテロだと戦慄。有り得ない映画の世界が現実となってしまった。

2棟の巨大ビルが音をたてて崩壊する様子を見たときには、世界の終りのような錯覚さえ覚え、絶望的な気分で床に入ったことを覚えている。あのような感情を持つようなことは、我が人生でも最初で最後であろう。
事件の1週間ほど前には、米国旅行(西海岸だったが)したばかりで、ちょっと時間と場所がずれていれば...と、その点でこの事件、何か他人事ではないと感じた。
また過去にはWTCも数多く足を運んでいたことから、本当に戦慄した。知り合いで被害にあった人は居ないか、特にWTC近辺には明らかに知人も勤務しているし、とかなり強い心臓の鼓動を覚えたものだった。

Ground Zero Part-6

2005-06-05 07:41:38 | New York
広い世界の中には「とんでもない奴」がいるもんだ。
「とんでもない奴」には、「とんでもない舞台」が良く似合う。
WTCは、その「とんでもない舞台」の代表格になっていた。

1970年代、完成したツインタワーは世界中の命知らずの格好の標的であったという。
数年の間に二棟のビルの間で綱渡りが行われ、パラシュートを使った飛び降りがあり、最後にはタワーへの登頂が試みられたという。

特に驚かされるのは、二棟間での綱渡りだ。
1974年4月、というから、我輩が丁度田舎から上京して大学生になった頃だが、フランス出身の当時24歳の青年が、或る夜、警備員の目を盗みツインタワーの間に綱を渡した。
これだけでも実に恐ろしい作業だが、彼は翌日早朝にその一本の綱の上を渡ったと言う。
朝の7時過ぎには、「とんでもない事件」に、タワーの下に人が集まり始めた。

聴衆は400メートル以上の頭上を歩く黒の衣装の青年を見上げたという。
どうもその青年は以前にもパリのノートルダム寺院の塔の間や、オーストラリア・シドニーのハーバーブリッジのタワー間の綱渡りもやっているお騒がせマンであった。
何と、WTCのツインタワーの間の110メートルを75分間に渡り7,8往復もしたという。
途中では彼は綱の上で飛び跳ねたり、寝転んだり、という離れ業も演じたらしい。
高所恐怖症ならずとも、考えただけでも身震いする行動であるが、世界は広く、「とんでもない事」を考え実行する人間が出現していたことに改めて驚く。
それだけ、このツインタワーは人のイマジネーションを刺激する威光ある存在でもあり、また注目の的でもあったのだろう。

この綱渡りや、「セミ男」と呼ばれるビルの壁面登頂ら(スパイダーマンの原型か?)、数々の冒険がこのツインタワーで行われた。
こうした離れ業はいつか伝説となり、人々の思い入れも増幅し、結果としてツインタワーに随分の人間味を与えることになったに違いない。
当初はただ馬鹿でかい単純無骨な建物、という散々な評価だったこのツインタワーもこのような伝説に彩られ、次第にエモーショナルな存在となり、大衆に受け入れられる力が備わってきた。

キングコングがその映画でWTCを襲うシーンがあったように記憶するが、日本で言えば、ゴジラが東京タワーを倒したようなものか。
やはり、数あるNYの摩天楼ビルの中でも、WTCのツインタワーの存在感は圧倒的なものであったようだ。

Ground Zero Part-5

2005-06-05 07:36:58 | New York
アメリカ文化とグローバル経済の象徴であったWorld Trade Center(WTC)のことをもっと良く知りたくて、今回3月のNY訪問→帰国後には何冊かの関連本を求めた。
在りし日の実物や崩壊後の現場にも数知れず訪問しているが、その歴史のことは必ずしも良く知っている訳ではなかった。

何冊かの中では、『世界貿易センタービルー失われた都市の物語』 (アンガス・K・ギレスピー著、KKベストセラーズ)が好著であった。

そもそも何のために誰がこのWTCを建てたのか。
何故あのような大きなビルが建てられたのか。
設計家に日系人のミノル・ヤマサキが選ばれたのは何故か。
彼はどう設計したのか。
建設にあたってのどのような困難があり、NY流にどう克服されてきたのか。
ツインタワーが如何にNY市民から愛される存在になってきたのか。

こうした数ある興味あるテーマについて、克明に事実を描いている。
それは、アメリカ・NYの現代史そのものとして捉えることが出来る。

「小さな計画は立てるな。小さな計画は人々の血を沸かすことはない。」
-WTCは最初から大胆な発想から生まれたが、その後ビル建設までの道は平坦ではなかった。
しかし、当時の新大統領、John F.Kennedyの出現や、我輩が最初に就職した米国銀行のオーナーであったRockfeller等の後押しもあって建設に至った事情などもアメリカの良き時代、右肩上がりの時代を感じさせられ、読んで血が湧き上がるものがあった。

また、80年代以降のビル内部の様子、ツインビルの狭間に建つホテルのバーやレストランのディテールなども個人的には経験があり、すぐに目に浮かぶ様子が描かれており懐かしかったし、ちょっとしたトレヴィァを知る点でも面白かった。
ご興味のある方には、お勧めのWTC入門編の一冊である。