多分駄文のおじさん日記

我輩は駄文を書くおじさんである。旅、音楽、MLB、株式投資、etc., 日々想いつくままに思いを巡らすのである。

NYのお薦め散歩道 (3) Central Park‐2

2005-06-25 07:34:38 | New York
緑の季節である。
ここのところずっとオフィスで働きずめであったが、緑の深さも増してくる季節である。疲れきった眼には、優しく癒してくれる木々の緑が良い。

New YorkのここCentral Park、四季折々の表情を持っているが、この緑の季節は何とも生き生きとした最も美しい季節である。ありとあらゆる生物が生長している躍動感がある。
Central Parkを進んでみよう。

直進すると、すぐに動物園に遭遇する。決してスケールの大きいものではないが、マンハッタンのど真ん中にペンギンやアシカが居るのは面白い。小さな子供連れにはお薦めである。

ここセントラルパークは、ジョギングやサイクリングの名所でもある。
New York訪問3、4回目あたりのとき、初めて園内を1時間ほどジョッギングしたときには、感動の思いであった。

ガイド本を読むと、1万年前に終わった氷河時代のつめ跡がセントラルパークの岩肌に残されている、とある。確かにそうした岩肌が散見される。世界の名だたる近代都市と氷河時代というミスマッチの組み合わせも何だか面白い。


公園内を幌馬車が走っている。聊かメルヘンチック過ぎる光景ではあるが、素直にお伽話の世界に入って夢を見てみましょうか、という気分に徹しなければならない。(写真)


公園内には様々な銅像やオブジェが見られ、これも散策中の楽しみの一つとなる。これらのフォトコレクションでも何時かやってみたいものだ。


セントラルパークの景色は多様性に富んでいる。
野外音楽堂やら、池や噴水、お城も見える。緑の後ろに聳え立つ高層ビル群もNew Yorkらしいコントラストだ。


大都会New Yorkにも野生動物は多く棲息している。このリス君もその仲間である。こんな大都会にもこんなものが居るのかと最初は、それだけでも感動したものだ。


さて、我が散策も終わりに近づいてきた。いや、時間があればもっと寄り道をしてあちこちを歩いたり、芝生に横たわっているだけでも良いのだが。終点のメトロポリタン美術館を裏側から臨む。


New Yorkの街、或る意味では、ストレスとテンションの塊りのような街でもある。人々の歩きは早く、車の混雑、無秩序、それだけでも膨大なエネルギーが消費されている。ストレスとテンションが大きければ大きいほど、Central Parkの持つ大きな包容力、癒しの力が意味を持つというものなのだろう。ここの楽しみ方は無限数のパターンがある。いよいよ、次の目的地メトロポリタン美術館に到着。また次のページが始まる。

*** 写真編、http://ptaro2009q.exblog.jp/を御覧下さい。

NYのお薦め散歩道 (3) Central Park‐1

2005-06-12 07:32:10 | New York
New YorkのCentral Parkと言ったら、これは誰もが知っている大公園。New York市民のみならず、世界の各地からNYを訪れる人達にとっても憩いの場所となっている。

Ground Zeroのあるダウンタウンからは地下鉄に乗って一直線、ミッドタウンから更に北へ進むと、東西が800m、南北が4kmという長方形状の公園が続く。

NYに来たときには、ビジネス、個人的な楽しみ、いずれの場合でも必ずこのCentral Parkに来る。Hotelを近くに取ったときには、早朝の公園内ジョッギングなどを行い、「気分はもうNew Yorker」と、嬉しい体験も何度かした。

此処に必ず来る、というのは、その鍵がある。
公園散策の最後にメトロポリタン美術館(Metropolitan Museum)を訪れるのが、我がNew Yorkの旅の定番であるからだ。 
Central Parkを散策し、暫く歩いた疲れを美術館で癒す心地よさよ。

ということで、今回3月のNY訪問もDay 1 には、判で押したように逡巡無くこのCentral Parkへ。
公園の入口付近に有るのが、あのプラザ合意で知られるPlaza Hotel。
金融人なら誰でも知っている1985年のドル高是正の為替合意が行われた会議場がこのプラザホテル。当時のアメリカ、貿易赤字が深刻な状況で、為替調整による国際収支の均衡を図るのがこのプラザ合意であったが、その後1ドル200円を切り(今では信じられない水準だが)、1年半ほどで150円くらいまで一気に円高が進み、世界の為替相場が大パニックになったことを良く覚えておる。
まあこんないわく付きのホテルであるが、罪の無い観光客へは、「行ってらっしゃい、ゆっくり楽しんでおいで!」、と公園に送り出してくれるようだ。

NYのお薦め散歩道 (2) Brooklyn Bridge-3

2005-06-12 07:25:42 | New York
Brooklyn Bridgeを歩き始めて15分頃で最初の石塔近くに辿り着く。
冬の寒さの中でも、もううっすらと額に汗が浮き出てくる。

この頃になると、特に観光客は、石塔をバックに、或いは、橋のたもとに寄り掛かりマンハッタンの摩天楼をバックに記念撮影、というのが増えてくる。何故か分からぬが、中年夫婦、老夫婦などには、「写真を撮ってあげましょうか?」という声が自然と出てくる。今回もドイツから来たという中年夫婦の撮影をしてあげた。やはり、結構色々なところから此処に集まっているのだ。
どこか同じ山を登っている同士のような気分で、橋を歩きながら抜いたり抜かれたり、すれ違うたびにちょっとした言葉を掛け合ったり、と小さなコミュニティが出来てくる気分も悪くない。

ゴシック様式のアーチの柱につるされたワイヤーが統制された幾何学模様を造り出し、独自の空間を創造する。落下防止らしき金網も模様のひとこまと思えば目の邪魔にもならない。
19世紀のアメリカの作品、悪くない。

NYのお薦め散歩道 (2) Brooklyn Bridge-2

2005-06-12 07:21:31 | New York
市庁舎向かって右側に進むと、Brooklyn Bridgeの麓が見えてくる。
ManhattanとBrooklynの間に流れるEast Riverに跨った全長2kmを越える橋だ。
完成は1883年というから120年以上の歴史か。
この橋のたもとに初めて来た時(2003年6月)には、何分掛かるか分からんが、取り合えず歩いてみよう、と進んだことを覚えている。

今回(2005年3月)は、このBrooklyn Bridgeのお散歩は2回目だったが、前回のときは色んな人がこの橋を渡っており、興味深かった。生活のためにこの橋を歩く人は殆ど居ない。時折、自転車がもの凄いスピードで通り過ぎて行くのが、チョッと怖い。

先へ進む。緩やかな登り坂を歩くにつれ、当然周りの景色は大きく変わっていく。
橋中央に有る石塔が次第に大きく見えてくる。

地上部分から、河の上まで来ると、右側にはPier17なるショッピングセンターや自由の女神像見学の船が出る波止場が見える。

そして、その先はWall Streetを望む摩天楼が聳え立つ。
最もNew Yorkらしい風景を此処から楽しむことが出来る。

『はるばる来たぜ函館ぇ~』ならぬ、『はるばるきたぜ、ニュ~ヨオォォクゥッ!!』という感じである。(古いですか?) 函館の街の全景を見るなら臥牛山と呼ばれる函館山、マンハッタンを見るならここBrooklyn Bridgeだ。
この壮大豪華な光景を独り占めだぜ、と良い気分になる。世界の資本主義の象徴たるこの摩天楼街を一望、全て自分の支配下においたような優越気分が湧いてくる。この光景を目に焼き付けるだけでもこの橋を歩くことの価値は充分ある、と自分自身に納得。(何だコリャ?)

以前にも書いたが、そこに摩天楼の兄貴格だったWTCのツインビルが居ないことだけが寂しさを誘う。

NYのお薦め散歩道 (2) Brooklyn Bridge-1

2005-06-12 07:16:57 | New York
今週は、月曜日早朝会社のデスクに着いた時から金曜日の深夜帰宅するまで、ずっと忙しい一週間を過ごした。睡眠の記憶さえあまりないほどだった。来週はその忙しさが更に加速する。取り合えず、本日はカレンダー通りの休みが取れる。ホッと一息だ。
日々ストレスと緊張で疲れ、睡眠不足に苛まれても、休みの土曜日の朝でも、陽が登り明るくなると目が醒めてしまう。哀しいことだ。疲れてもゆっくりと朝寝坊も爆睡も出来ぬのは年寄りの証左か。

さて、New Yorkの散歩道シリーズ、その2、 Brooklyn Bridgeをご紹介。
今回もLower Manhattan、Ground Zeroからのコースである。
これは誰もが知っていると思われるが、なかなかお決まりの観光コースに乗せられてしまうと、行けそうで行けないところか。

Ground Zero、ハドソン河を背にして東方向へ進む。途中少し迂回してWall Streetあたりの金融街の匂いをちょっとかいで見るのも良い。
金融関連のニュースではお馴染みの、ニューヨーク証券取引所(New York Stock Exchange)に遭遇。ここでの株価の動向は、日々の世界の市場に影響を及ぼす源泉となる。まだ、テロへの警備も重重しく、一般人は容易に近づけぬ雰囲気であるのが残念。聊か遠巻きに前を通り過ぎることとした。

また、この近くには、我輩が最初に勤務した米大手銀行の本店ビルがある。入社して数年初めて此処を訪れたときには、そのビルの大きさに圧倒された。アメリカ資本主義のひとつの象徴とも思われたこのビル、ビル前の広場にはオーナーのコレクションのひとつであろうが、幾つかのオブジェが置かれている。当時の日本の巨大金融機関にはない、リベラルな雰囲気にも感激したことを覚えている。今はどうか知らないが、日本の大蔵省(現・財務省)のオフィスも入っていた。いずれにせよ、首を90度に上げても、ビル頂上が遥か遠方にある高層ビルが林立している。

更に東へ進むと前方に高いビルが見えてくる。市庁舎(City Hall)である。(写真)
威厳有る緩やかな半円形の弧を描いたビルである。

その麓にある小公園は、摩天楼の中の、ちょっとホッとする癒しの空間である。
緑の季節には噴水が良く似合うことであろう。

NYのお薦め散歩道 (1) ハドソン河のほとりで

2005-06-06 23:38:32 | New York
東京もだいぶ蒸し暑くなってきた。
このところ地球温暖化やビル熱など、複合的な要因で、東京の夏はもう熱帯雨林並みになってきた。昨年夏には40度の猛暑の日を体験したが、もうとんでもない暑さであった。

さて、そんな中、New York3月初旬の寒い写真をご紹介。
New Yorkerにもあまり話題にはなっていないと思われるが、 「こんな良い散歩道がある‐その1」のご紹介である。

場所は、Ground Zeroにすぐ近いダウンタウンにある今回のホテル・Mariott Fianancial Centerから徒歩で僅か2,3分。すぐにマンハッタン西側のハドソン河にぶつかる。
ここの川べりのプロムナード(散歩道)は綺麗に整備され、街路樹も美しい。
勿論、ハドソン河の雄大な河の流れと対岸に見えるNew Jerseyの真新しい高層ビル群も詩情を誘う景観であった。

また、マンハッタンの最南端、バッテリーパーク方向に向かって進むと、前方にはあの自由の女神像も見えてくる。

訪問当時は早朝に降った白雪がうっすらと積もり、白と黒のそれこそモノトーンの世界であった。気温も氷点下に近く(マア最も向こうでは摂氏ではなく、華氏なのでマイナスにはならないか!)、身も心も引き締まるなか、人通りの少ない静寂と広大な景色を独占しながらの散歩が楽しめた。何と言う満足感だったろう。

寒い早朝の中でも、犬の散歩や、ジョッギングを楽しむ中高年の夫婦など、誰もがまるで映画の俳優・女優のように絵になっていた。自転車に乗って来た若い女性が雪でスリップして、自転車が遥か前方に吹っ飛び、また女性本人も車体から外れて転倒したところに遭遇したが、そのシーンさえ、何か映画の一シーンのようであった。

そういう自分も其処にいるとやはり最後は映画の主人公の気分になったぞい。
古いレンガの高層マンション群にNYを見るも楽し、対岸のNewJerseyの再開発地帯の幾何学的美を見るも良し、プロムナードの樹木の安らぎをベンチに座って感じるも良し。夏なら日向ぼっこだけでも充分楽しめる筈だ。
観光ガイドには載っていないこの隠れた穴場の散歩道、Ground Zeroへの訪問の後などに、是非お薦めしたい。

Ground Zero Part-6

2005-06-05 07:41:38 | New York
広い世界の中には「とんでもない奴」がいるもんだ。
「とんでもない奴」には、「とんでもない舞台」が良く似合う。
WTCは、その「とんでもない舞台」の代表格になっていた。

1970年代、完成したツインタワーは世界中の命知らずの格好の標的であったという。
数年の間に二棟のビルの間で綱渡りが行われ、パラシュートを使った飛び降りがあり、最後にはタワーへの登頂が試みられたという。

特に驚かされるのは、二棟間での綱渡りだ。
1974年4月、というから、我輩が丁度田舎から上京して大学生になった頃だが、フランス出身の当時24歳の青年が、或る夜、警備員の目を盗みツインタワーの間に綱を渡した。
これだけでも実に恐ろしい作業だが、彼は翌日早朝にその一本の綱の上を渡ったと言う。
朝の7時過ぎには、「とんでもない事件」に、タワーの下に人が集まり始めた。

聴衆は400メートル以上の頭上を歩く黒の衣装の青年を見上げたという。
どうもその青年は以前にもパリのノートルダム寺院の塔の間や、オーストラリア・シドニーのハーバーブリッジのタワー間の綱渡りもやっているお騒がせマンであった。
何と、WTCのツインタワーの間の110メートルを75分間に渡り7,8往復もしたという。
途中では彼は綱の上で飛び跳ねたり、寝転んだり、という離れ業も演じたらしい。
高所恐怖症ならずとも、考えただけでも身震いする行動であるが、世界は広く、「とんでもない事」を考え実行する人間が出現していたことに改めて驚く。
それだけ、このツインタワーは人のイマジネーションを刺激する威光ある存在でもあり、また注目の的でもあったのだろう。

この綱渡りや、「セミ男」と呼ばれるビルの壁面登頂ら(スパイダーマンの原型か?)、数々の冒険がこのツインタワーで行われた。
こうした離れ業はいつか伝説となり、人々の思い入れも増幅し、結果としてツインタワーに随分の人間味を与えることになったに違いない。
当初はただ馬鹿でかい単純無骨な建物、という散々な評価だったこのツインタワーもこのような伝説に彩られ、次第にエモーショナルな存在となり、大衆に受け入れられる力が備わってきた。

キングコングがその映画でWTCを襲うシーンがあったように記憶するが、日本で言えば、ゴジラが東京タワーを倒したようなものか。
やはり、数あるNYの摩天楼ビルの中でも、WTCのツインタワーの存在感は圧倒的なものであったようだ。

Ground Zero Part-5

2005-06-05 07:36:58 | New York
アメリカ文化とグローバル経済の象徴であったWorld Trade Center(WTC)のことをもっと良く知りたくて、今回3月のNY訪問→帰国後には何冊かの関連本を求めた。
在りし日の実物や崩壊後の現場にも数知れず訪問しているが、その歴史のことは必ずしも良く知っている訳ではなかった。

何冊かの中では、『世界貿易センタービルー失われた都市の物語』 (アンガス・K・ギレスピー著、KKベストセラーズ)が好著であった。

そもそも何のために誰がこのWTCを建てたのか。
何故あのような大きなビルが建てられたのか。
設計家に日系人のミノル・ヤマサキが選ばれたのは何故か。
彼はどう設計したのか。
建設にあたってのどのような困難があり、NY流にどう克服されてきたのか。
ツインタワーが如何にNY市民から愛される存在になってきたのか。

こうした数ある興味あるテーマについて、克明に事実を描いている。
それは、アメリカ・NYの現代史そのものとして捉えることが出来る。

「小さな計画は立てるな。小さな計画は人々の血を沸かすことはない。」
-WTCは最初から大胆な発想から生まれたが、その後ビル建設までの道は平坦ではなかった。
しかし、当時の新大統領、John F.Kennedyの出現や、我輩が最初に就職した米国銀行のオーナーであったRockfeller等の後押しもあって建設に至った事情などもアメリカの良き時代、右肩上がりの時代を感じさせられ、読んで血が湧き上がるものがあった。

また、80年代以降のビル内部の様子、ツインビルの狭間に建つホテルのバーやレストランのディテールなども個人的には経験があり、すぐに目に浮かぶ様子が描かれており懐かしかったし、ちょっとしたトレヴィァを知る点でも面白かった。
ご興味のある方には、お勧めのWTC入門編の一冊である。

Ground Zero Part-4

2005-05-28 23:33:22 | New York
今度は東側ではなく、西側。

Manhattanからハドソン河を越え、New Jersey州はJersey Cityのホテルそばから撮影。
今回3月のNew York訪問では、一泊分のみではあったが、初めてNew Jerseyに投宿した。
非常に満足したホテルのセレクションであった。(この話はまた別途....。)

しかし、こちらから見るダウンタウンの高層ビル群、やはり....。
「そこにあるべきもの(WTC)がない」、というのは実に寂しい。

Ground Zero Part-3

2005-05-28 22:58:01 | New York
写真はWTCがあったダウンタウンから東側、イーストリバーを跨ぐBrooklyn Bridgeの中央から見たLower Manhattanの景観。 

「そこにあるべきもの(WTC)がない」、というのは実に寂しい。
此処のところ、New Yorkに来ると必ず歩くところがある。(まあ、そんなに頻繁に来ている訳でもないのだが....。)
このBrooklyn Bridgeだ。何故か分からぬが、この橋を歩くことでNew Yorkを感じることが出来る。「また、此処に来ることが出来た...。」

Ground Zeroから東へ向かって10分ほど歩くと、正面左手にぐんと聳えた市庁舎。
その右手には、大いなるイーストリバーを跨ぎ遥かに伸びていくこのBrooklyn Bridgeがある。
右が歩行者、左は自転車用の通路になっている。
橋の中央までは、ゆっくりとした勾配を歩くこと凡そ30分。うっすらと汗をかく。
ここから右側に見るダウンタウンの高層ビル街は壮観だ。
まさに、映画の世界である。
生き馬の眼を抜く凄まじく過酷なビジネス世界が展開されているNew York。
知性だけではなく、ありとあらゆる欲望、政治、人間ドラマが繰り広げられているのだが、それらをすっぽり覆った無機質な高層ビル群の幾何学模様の不可思議さ。

その中でも、WTCのTwin Buildingは群を抜いた背丈でその存在感を漂わせていた。
まるで、高層ビル群の親分、いや兄貴分とでも言った存在であった。
WTC建築当時は、プロの設計家の間でははなはだ評判の悪いビルであったらしいが、その後この景色に溶け込み、なくてはならない存在にさえなっていた。
建物としてはただの四角い背丈だけが高いビルにしか見えないが、その存在は極めて情緒的なものでもあった。

そして、あの同時テロ発生、崩壊によって、その存在は、更に更に情緒的なものになってしまった。

Picture at New York (1)

2005-05-26 00:22:01 | New York
仕事がいよいよ多忙を極めて来た。
更に忙しさは増していく。帰宅時間も次第に遅くなる。
当面は、家に帰っても食べてすぐに寝て終わり、という生活が続くことになる。

ということで、本日はNYで撮った一枚の写真でお茶を濁そう。


NYの通りでは至る所で見られるのがYellow Cab、タクシーだ。
運転手さんも、昔は英語を話さないラテン系の人が多かったが、その後中東の連中なんかが結構増えた時期もあった。車に乗ると、運転手がイスラム語の新聞を読んでいたり、かなりエキゾチックであった。ベルリンの壁崩壊・ソ連の民主化後は、旧・東側諸国の人々も随分NYに流れ込み運転手になったようだ。巻き舌のロシア訛りの英語を喋る運転手と車の中で長い会話をしたことも思い出される。世界の色々なところから夢と富を求めてやってくるのがこのNew Yorkであることを実感させられる。日本がらみのタクシーの話題でいうと、一時もう4-5年前になるか、殆どはフォード車だったYellow Cabだが、ホンダのオデッセイが随分の数、タクシーとして出回っているのを見て驚いた。なかなか世相によって、こうした状況はどんどん変わって行き面白い。

写真は、偶々歩いていたLexington Avenueで見つけた現場。
「やってしもうた...!」という感じでどじを踏んだ運ちゃん、幸か不幸か(?)タクシー同士ではあったが、見事にお釜を掘っておる。通行人も、「ああ良くある風景ね」といった顔で通り過ぎていく。
「この運ちゃん、一体どこの国から来た新米さんかな」
これも、New Yorkらしき景色かな、或る意味では微笑ましくさえ思えるほどだった。

Ground Zero Part-1

2005-05-25 00:07:03 | New York
もう相当の月日が経ってしまったが、まだ寒い3月は11日の金曜日の早朝のこと。
Washingtonのダラス空港からNew JerseyのNew Arkリバティ空港に到着した。

3月とはいえ気温もまだ4,5度と寒い風が吹く中、空港からタクシーで向かったのはグラウンドゼロ。
ご存知、2001年の同時多発テロで標的とされ、崩壊したWorld Trade Center跡の別名である。Yankeesの松井秀喜が入団した年に、New Yorkに初めて着いて空港からすぐに向かったのがこのグラウンドゼロだったことを良く覚えておる。兎に角、New Yorkに着いたらここに来て亡くなった方々に追悼の意を表したい、という誠実な彼らしき行動であった。
我輩も敬愛するゴジラ松井君にならって....?!

我輩が出張でWashingtonに行った帰りにNew Yorkに来たのにはひとつ目的があったのだが(後で公開予定)、真っ先にここに来たのは、何を隠そう、このグラウンドゼロの隣りのブロックにあるホテルに一泊宿泊の予約を入れていたからだったのだ。
金融の聖地Wall Streetのすぐ近くでもあるこの区域は平日はビジネス地区として人通りも多いが、週末となると流石に仕事はオフの人が多く、人通りも減る。そのせいでホテル料金も週末レートでかなり安く設定される、というわけだ。

今回の宿泊はMarriott Fiancial Center。平日は5万円のルームチャージ(税別、税金も10%を優に越え、高い)のホテルである。New Yorkの一定レベル以上のホテルだとこれ位は普通のお値段、やはり大都会の物価は異常に高い。どのホテルも結構平気で値段を上げている。但し、それが週末だとこのMariottも3万円以下。お得感に加えて、グラウンドゼロのすぐ隣り、というのも色々な意味で興味を引かれ、このホテルに決めたわけだ。勿論、あの忌まわしい事件から早くも3年半、追悼の意思も勿論ある。2001.9.11以来では、これで2度目の訪問となる。「その後」の推移がとても気になる。

我輩が大学を出て初めて就職したのが、ばりばりのNew Yorkの大銀行。
石油で巨額の富を得たRockfeller 財閥の「お財布(金庫、というべきか)」と呼ばれていた銀行である。入行して何年かして投資銀行部門でそれなりの成績を上げ、同部門の国際会議の為に初めてこのNew Yorkに来たのが1986年頃だったかと記憶する。
初めてNew Yorkの地を踏んだ時の興奮と不安、Manhattanの影を遠くから見たときの感激、高層ビルの谷間で上を見上げた時の威圧感、人種の坩堝よろしく多民族が夢と欲望を追う不可思議なバイタリティ、色々なものが一気に押し寄せて来た記憶がある。

New Yorkでの仕事第一日目に来たのが、このダウンタウン、ウォール街近くにある我が会社。
それはそれは凄い高層ビルで、ただただ呆気にとられて見上げるだけだったが、今更ながらに自分は凄い会社で働いているんだ、という驚きを感じたものであった。当時はまだ当然健在だったWorld Trade Centerとは、すぐ目と鼻の先にあるビルでもあった。昼休みにはWTCにも足を運んだものである。

この点でも、我輩にとっては、WTC=Ground ZeroはNew Yorkの最初の思い出の地なのであった。 (続く)