夕刻、元貴ノ花の二子山親方逝去の報に触れた。
今年3月の春場所あたりから、相当悪い、いや危篤か、という報道があり、週刊誌などでも、親方の病状の悪さに加えて、家族の骨肉の争いを虚々実々に報じていたこともあり、どうも回復の望みは厳しいのだろうかと心配しておった。
それからすると最期も親方らしい粘り腰だったが、やはり病魔には勝てずに遂に土俵を割ってしまった。
貴ノ花、と言えば、我輩にとっては、「史上初の兄弟横綱」若貴兄弟の父親・師匠というよりも、また、「土俵の鬼」、と呼ばれた初代・若ノ花の末弟というよりも、やはり、自分と同時代を生きた名力士・貴ノ花そのものであった。
75年春場所の決定戦で無敵の憎まれ役(実は、我輩はかなり好きだった)北の湖を破って初優勝した時の世の中の興奮は今も記憶があるが、あれは我輩、大学生の頃であった。
北海道が生んだ大横綱・大鵬と北の湖の丁度間の世代。ライバルは黄金の左、と呼ばれた学生横綱・輪島。(二人が引退後に一緒に出ていた資生堂のCMを思い出す。「アウスレーゼ」だったっけ?なかなかいい味出していた。やはり美男は得だ。)
もうあれから随分の時が流れたものだ。
絶対的な存在だった大鵬引退の後のスーパースターを世の中が求めていた頃、若ノ花の弟というブランドと、粘り強い足腰でファンを惹き付けた。軽量ゆえに簡単に吹っ飛ばされることも良くあり、いつも悲壮さがまつわりついていた陰のある力士であった。
それは、高度成長(大鵬時代)の後の、世に屈折が見え始めて来た頃の時代と妙にダブっていたようにも思える。
大学通学時など、JR(当時は、「国鉄」!)高田馬場駅ホームから見える質屋の屋根に、マリリンモンローの人形と対峙して相撲を取ろうとしている男の人形がぐるぐると廻っていた宣伝オブジェ(?)を思い出す。随分ナンセンスな組み合わせで、更にそれと質屋とが何で関係があるのか、今でも不思議な気分だが、あの男の人形は確か、貴ノ花であったと思われる。何故か、こんな詰まらぬことを思い出してしまった。
それにしても、55歳の死、というのはあまりに早く残念だが、記録ではなく記憶に残る名力士であった。
彼の息子二人も横綱まで辿り着き、既に引退して随分になる。
「明治は遠くになりにけり」という言葉をふと思い出したが、只今の我輩の心境は、
「昭和は遠くになりにけり...。」である。
同時代のヒーローの死に合掌。
今年3月の春場所あたりから、相当悪い、いや危篤か、という報道があり、週刊誌などでも、親方の病状の悪さに加えて、家族の骨肉の争いを虚々実々に報じていたこともあり、どうも回復の望みは厳しいのだろうかと心配しておった。
それからすると最期も親方らしい粘り腰だったが、やはり病魔には勝てずに遂に土俵を割ってしまった。
貴ノ花、と言えば、我輩にとっては、「史上初の兄弟横綱」若貴兄弟の父親・師匠というよりも、また、「土俵の鬼」、と呼ばれた初代・若ノ花の末弟というよりも、やはり、自分と同時代を生きた名力士・貴ノ花そのものであった。
75年春場所の決定戦で無敵の憎まれ役(実は、我輩はかなり好きだった)北の湖を破って初優勝した時の世の中の興奮は今も記憶があるが、あれは我輩、大学生の頃であった。
北海道が生んだ大横綱・大鵬と北の湖の丁度間の世代。ライバルは黄金の左、と呼ばれた学生横綱・輪島。(二人が引退後に一緒に出ていた資生堂のCMを思い出す。「アウスレーゼ」だったっけ?なかなかいい味出していた。やはり美男は得だ。)
もうあれから随分の時が流れたものだ。
絶対的な存在だった大鵬引退の後のスーパースターを世の中が求めていた頃、若ノ花の弟というブランドと、粘り強い足腰でファンを惹き付けた。軽量ゆえに簡単に吹っ飛ばされることも良くあり、いつも悲壮さがまつわりついていた陰のある力士であった。
それは、高度成長(大鵬時代)の後の、世に屈折が見え始めて来た頃の時代と妙にダブっていたようにも思える。
大学通学時など、JR(当時は、「国鉄」!)高田馬場駅ホームから見える質屋の屋根に、マリリンモンローの人形と対峙して相撲を取ろうとしている男の人形がぐるぐると廻っていた宣伝オブジェ(?)を思い出す。随分ナンセンスな組み合わせで、更にそれと質屋とが何で関係があるのか、今でも不思議な気分だが、あの男の人形は確か、貴ノ花であったと思われる。何故か、こんな詰まらぬことを思い出してしまった。
それにしても、55歳の死、というのはあまりに早く残念だが、記録ではなく記憶に残る名力士であった。
彼の息子二人も横綱まで辿り着き、既に引退して随分になる。
「明治は遠くになりにけり」という言葉をふと思い出したが、只今の我輩の心境は、
「昭和は遠くになりにけり...。」である。
同時代のヒーローの死に合掌。