嘗て一度書いたが、1989年初めてシンガポールに来た時に1週間滞在したのがヒルトン・ホテル。米国名門銀行のコミュニケーション研修、ということで、ホテルに缶詰になり、英語でビジネスの様々な事態を口頭・文章で表現する、という日本人にとっては苦手な研修だった。
この熱帯にある国のホテルでは、特に夏場はもうこれでもか、というほどに部屋の冷房をがんがんと効かせてくる。強度の冷房が最大のサービス、最大のごちそう、とでもホテル側は勘違いしているのか、幾ら寒い、と言ってもなかなかマイルドな室温にはならずに参った。2日目辺りから風邪をひいてしょっちゅう鼻水をかんでいる米国人が何人か出てきたが、むべなるかな。我輩も同様に肉体が芯から冷えてしまったことを良く記憶しておるが、最後は皆上着をしっかり着込み毛布のひざ掛けなどをしながらの研修であった。
さてその時のシンガポールの街については、あまり明確な記憶もない。
殆ど外出は出来ず、宿泊していたヒルトン以外では、精々近くの伊勢丹あたりを歩いた程度であった。
当時はヒルトンはオーチャード・ロードの中心、また商業施設の中では、伊勢丹が盟主、というようなぼんやりとした印象が残っておる。
しかし、あれから十数年経過した現在の人の流れ・賑わいからすると、オーチャード・ロードの中心はそのずっと東側の高島屋であり、ホテルの一番手は目立ち方からすると、マリオットである。ヒルトンはもう場所的には、西のはずれに追いやられており、建物そのものも古色蒼然として殆ど存在感がない。若者が足を運ぶエリアには見えない。ここにも、かつての横綱級ホテルの盛者必衰の流れが見えるわけである。誇り高きヒルトン・グループが今後どのように攻勢をかけてくるか、見ものである。
なお、同じヒルトン系列のコンラッドホテルは、ベイエリアに近いシティホール近くにあり、モダンかつ高級な意趣で売っておる。
この熱帯にある国のホテルでは、特に夏場はもうこれでもか、というほどに部屋の冷房をがんがんと効かせてくる。強度の冷房が最大のサービス、最大のごちそう、とでもホテル側は勘違いしているのか、幾ら寒い、と言ってもなかなかマイルドな室温にはならずに参った。2日目辺りから風邪をひいてしょっちゅう鼻水をかんでいる米国人が何人か出てきたが、むべなるかな。我輩も同様に肉体が芯から冷えてしまったことを良く記憶しておるが、最後は皆上着をしっかり着込み毛布のひざ掛けなどをしながらの研修であった。
さてその時のシンガポールの街については、あまり明確な記憶もない。
殆ど外出は出来ず、宿泊していたヒルトン以外では、精々近くの伊勢丹あたりを歩いた程度であった。
当時はヒルトンはオーチャード・ロードの中心、また商業施設の中では、伊勢丹が盟主、というようなぼんやりとした印象が残っておる。
しかし、あれから十数年経過した現在の人の流れ・賑わいからすると、オーチャード・ロードの中心はそのずっと東側の高島屋であり、ホテルの一番手は目立ち方からすると、マリオットである。ヒルトンはもう場所的には、西のはずれに追いやられており、建物そのものも古色蒼然として殆ど存在感がない。若者が足を運ぶエリアには見えない。ここにも、かつての横綱級ホテルの盛者必衰の流れが見えるわけである。誇り高きヒルトン・グループが今後どのように攻勢をかけてくるか、見ものである。
なお、同じヒルトン系列のコンラッドホテルは、ベイエリアに近いシティホール近くにあり、モダンかつ高級な意趣で売っておる。